魔王は金曜の夜に哲学する
一週間の責務を終えた金曜の夜。
大阪の街は、日中の熱気をわずかに残した生ぬるい夜風に包まれていた。
ネオンの光が滲む湿ったアスファルトを、週末という名の解放感を乗せた人々の喧騒が滑っていく。
魔王である俺、吹雪は、その心地よい解放感と同時に訪れる、名状しがたい一抹の虚しさを胸の奥に感じていた。
共に歩く二人の腹心に向け、俺はふと、その思いを口にした。
「なあ、健太、アリア。我々は一体、何のためにこうして毎日、人間たちに紛れて働いているのだろうな」
我ながら、金曜の夜の雰囲気にふさわしい、青臭くも深遠な問いだと思った。
隣を歩くドラゴンの先輩、健太さんは、その琥珀色の瞳で俺を一瞥し、呆れたように一つ、重い息を吐いた。
「また壮大な問いが始まったな、吹雪。答えは至極単純だ。生きるためだろう。貴様が最近こだわり始めた健康的な生活とやらも、日々の創作活動に不可欠な最新機材も、そしてこの魔王城の維持費も、天から慈悲深く降ってくるわけではないぞ」
「むろん、それは分かっている。だが、それだけではあるまい。生活のため、というだけでは、この魔王の魂が満たされぬのだ。かつて我らが玉座から世界を見渡し、天下統一という大義を掲げた時のような、ただそれだけで胸が高鳴る絶対的な目的というものが、今の我々にはあるのだろうか」
そう、俺は何かを求めていた。
日々のブログ執筆や小説創作は確かに創造的で楽しい。
健康に気を遣い、マッサージで体を癒すことの重要性も、この身をもって理解した。
しかし、それらが日常の歯車として噛み合い、滞りなく回り始めた今、そのレールの先に果たして何があるのかが見えず、漠然とした不安に駆られることがあったのだ。
健太さんが何か諭すように口を開きかけた、まさにその時だった。
「あ、見て!お団子屋さん、まだ開いてるよ!」
ふいに、俺たちの間に挟まっていた幼馴染のアリアが、まるで宝物でも見つけたかのように声を弾ませた。
彼女の細い指が差した先には、大通りから少し入った路地裏に、温かい色の裸電球を灯す小さな和菓子屋の店先があった。
そこから漂ってくる、醤油が焼ける甘く香ばしい匂いが、俺たちの鼻腔を優しくくすぐる。
「ねえねえ、買って帰らない?みたらし団子!今日は一週間、みーんな頑張った金曜日だもん、特別にいいよね?」
「…団子、か」
俺と健太さんは、一瞬拍子抜けして顔を見合わせる。
さっきまで繰り広げていた高尚な哲学的問答が、抗いがたい食欲を刺激する匂いの前では、やけに色褪せて聞こえたから不思議だ。
「おい吹雪。貴様、体重管理はどうした。つい先日も『堕落した一日にはしたくない』と息巻いていただろう」
健太さんがすかさず現実的なツッコミを入れる。
「うっ…きょ、今日くらいは良いのだ。これは一週間という名の戦場を駆け抜けた、我ら三人の兵士へのささやかな褒賞だ」
結局、俺たちはアリアの輝く瞳に導かれるようにして、その店先に吸い寄せられた。
そして三人分のみたらし団子を手にすると、近くの公園へと足を向けた。
ひんやりとした夜の空気が心地よい公園のベンチに腰掛ける。
まだほんのり温かい団子を頬張ると、もっちりとした食感と共に、優しい甘さがじんわりと口の中に広がった。月明かりに照らされた甘辛いタレが、きらきらと輝いている。
「ん、美味いな、これ」
「でしょー?難しいお話も大事だけど、お腹がぐーって鳴ったら、もうそっちが勝っちゃうもん。頑張った日においしいものを食べると、幸せな気持ちになるよね」
アリアは心から満足そうに笑う。
その笑顔を見ていると、先ほどまで俺の心を重くしていた壮大な悩み事が、なんだかちっぽけなことに思えてきた。
大義名分や、魂を震わすような目的。
それを探し求めることも、魔王としての生き方なのかもしれない。
しかし、健太さんの言う「生活のための労働」と、俺が求める「生きる意味」という二つの巨大な概念の間には、アリアが示してくれたような、ささやかで、しかし確かな幸せが無数に存在しているのだ。
大きな目的を探す長い旅の途中で、道端に咲く花を愛でたり、小さな泉で喉を潤したりする時間。
そういうものこそが、実は旅を続ける力を与えてくれるのかもしれない。
「…ふむ。悪くないな、金曜の夜というのも」
俺はもう一本、団子に手を伸ばしながら満足げに呟いた。
隣で健太さんがやれやれと肩をすくめ、その口元に微かな笑みが浮かぶのを、俺は見逃さなかった。
アリアが嬉しそうに小さく歌を口ずさむ。
月が綺麗な、週末の入り口だった。




