魔王の都市開拓と四ツ橋の聖域
「……健太先輩。昨日の2万歩という進軍は、私の体に心地よい……いや、率直に申し上げますと、容赦ない筋肉痛という名の呪いを残していきました」
月曜日の朝。吹雪はどこか誇らしげに、しかし腰を庇うようなぎこちない動作で事務所の椅子に深く腰掛けた。
「2万歩か。休日にしちゃあ歩いた方だな。腰、大丈夫か」
「ええ。早朝五時半に起床し、鍋を仕込み、メルカリの商材を梱包して出品する……このルーティンをこなした上での戦果です。昨夜はついに、夜に風呂に入り、歯を磨くという偉業も達成しました」
「ふぶきん、夜に歯を磨けたの。すごーい。お菓子食べたいの、消えた」
アリアがパチパチと手を叩きながら、吹雪の顔を覗き込んだ。
「そうなのだ、アリア。夜に磨くと『もう食べなくていい』という感覚が芽生える。これは大発見だ。昨日は中央区の『きいろ』という店で、野菜中心の食べ放題を780円で堪能した。席の場所は少し失敗したが、心斎橋攻略の拠点としては十分だ」
「780円の食べ放題ねえ。お前、本当に安い店見つけるのだけは天才的だな」
「健太先輩、そこからが重要です。私は昨日、四ツ橋のマクドナルドで、コンセントが豊富にある理想的な聖域(拠点)を発見しました。Wi-Fiの微弱な呪界を抜け、ようやく見つけた安息の地です。近くに図書館もある。今後の戦略は、IMPから『きいろ』を経て、図書館とマクドを巡る黄金ルートになるでしょう」
「ふぶきん、お外でゆっくりできる場所、もっといっぱい欲しいね」
「そうなんだ。今、私は『大阪市内でいかに安く、快適に過ごすか』というマッピングにハマっている。空腹を満たし、ゆっくりでき、あわよくば仮眠できる空間。これらを格安、あるいは無料で確保できれば、私の外出は完成する。認知症予防にもなり、思い出も増える。外出は、もはや義務ではなく、最高の娯楽なのです」
「自転車を市内に置きっぱなしにする作戦はどうなったんだ」
「……。警備員の眼光が鋭すぎて、断念しました。長期保管は撤去の対象になる。ならば、今の家の自転車を『もったいないから使う』という精神で愛でることにします。無理に最適化せずとも、気分で原付と使い分ければいい。魔王たるもの、柔軟性も必要です」
「……ただのケチな試行錯誤を、かっこよく言うなよ」
「健太先輩、昨日の総支出は、食べ放題とマクド二回で、わずか1070円です。家でゴロゴロしてお菓子を買い込むより、金もかからず、痩せ、そして腰にもいい。この圧倒的な事実に、私は震えています」
「ふぶきん、明日はどこに行くの。また食べ放題」
「明日はアリオ八尾。そこにあるリノアスでビュッフェです。友人と待ち合わせている。四時間というロングタイム、私はそこで命の限り、いや、胃袋の限りを尽くす予定だ」
「四時間も食うのかよ。お前、今日の晩飯は抜くって言ってたよな」
「……その予定ですが、おそらく無理でしょう。ですが、帰宅後の『食事、即、歯磨き』という封印術を使えば、夜の暴食は防げるはずです。朝一番に原付で出撃し、マクドで時間を潰してから十時の整理券を受け取る。完璧なスケジュールです」
「自分の食欲をコントロールするのに、マクドと歯ブラシをフル活用してんのか」
「それこそがシステムです、健太先輩。人は意思の力では動けない。だが、整理券や歯磨き粉の味には抗えない。私は自らの弱さを、大阪の街という巨大な装置の中に組み込んでいるのです」
「ふぶきん、八尾には古いお寺とか神社もいっぱいあるよ。帰りに寄ってみたら」
「いいな、アリア。お腹を満たした後に、静寂の中で精神を整える。マクドの喧騒と神社の静寂。このコントラストこそ、現代の魔王にふさわしい休日の過ごし方だ」
吹雪は満足げに、自作の「快適空間マップ」をタブレットで更新し始めた。
公園、カラオケ、イートイン付きのスーパー、そして仮眠の取れるベンチ。
彼の頭の中には、大阪という街が、巨大なRPGのフィールドのように広がっている。
「……健太先輩。私は将来、この『安く過ごせる地図』を完成させ、誰もが格安で健康になれる帝国を築くかもしれません」
「勝手に築いてろ。ただし、筋肉痛で明日仕事休むのはナシだぞ」
「ふぶきん、明日のお写真、楽しみにしてるね」
「ああ。ビュッフェの彩りと、古刹の静寂。必ずや持ち帰ると約束しよう」
筋肉痛を抱えながらも、吹雪の目は次の戦地(八尾)を見据えて輝いていた。
空腹、節約、健康、そして少しの贅沢。
それらを緻密な計算でパズルのように組み合わせていく彼の日常は、傍から見れば少し滑稽で、しかし、自分を律して楽しもうとする一人の人間の、切実で幸福な冒険そのものだった。
朝の光が差し込む事務所で、吹雪のタイピング音は、新たな進軍のドラムロールのように軽快に響き渡っていた。




