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8.アンジェリカの母親


 メリナと従者は、馬車に乗って行ってしまった。

 エヴァンは名残惜しそうにレネーと呼ばれる女の手にキスをしてホテルを出たので、俺は彼のあとをつけた。

 馬車には乗らずに大通りを真っ直ぐに歩いて行く。この先には初代の王の名前が付けられているグレイソン公園がある。川沿いにある広々とした公園は王都の連中の憩いの場だ。

 エヴァンは芝生ではなく鬱蒼とした木々の茂っている一角を目指しているようだ。大きな樹の下にベンチがある。色褪せた帽子に簡素なジャケットを羽織っている大柄な男がそこに一人で座っていた。


 木の影が彼の上半身を覆い、はっきりと顔は見えなかったが、近づくわけにもいかないから、後方の木の根元で帽子を顔にあてて昼寝をしているふりをしていた。帽子の脇から見るとエヴァンは胸元から封筒を出してを男に渡していた。つまり報酬だろう。耳を澄ますと「これで最後だ」と言っているエヴァンの声が風に乗って聞こえて来た。こんな場面に出くわすなんて俺はついているな。この状況から考えると、エヴァンは何か後ろめたいことをあの大柄な男に依頼したというところだろう。

俺の推測が形になって来た。

 

 二人はそれぞれ反対方向に歩いて去って行った。大柄な男の後ろ姿に陽の光が当たり、帽子から少しはみ出た赤い髪を照らしていた。

 俺はそれ以上深入りするのをやめた。明日にでもアンジェリカの所に行って、彼の特徴を話してみよう。


 しばらくしてから、俺はまたエレナの所に戻った。エレナから夕食を誘われているのだ。ジェルマンにミルトン家とコルビン商会のことを話さなくてはいけないし、頼みごともあるので丁度良かった。

 

 

にわか貴族にしてはカトラリーの使い方が見事だな」

「画家なんかやっていると貴族との交流があるかもしれんからと師匠に叩き込まれました」


 ジェルマンは時折皮肉めいたことを言う。たぶん白い結婚騒動の意趣返しなんだろう。案外、根に持つ男なのかもしれんな。


「それでその師匠と一緒にミルトン家に行こうと考えているんですが、ジェルマン殿が援護がしてくれると助かります」


 俺は今まで調査したことを詳しくジェルマンに話した。当然、フリオのことは端折っている。エレナも興味深そうに俺の話に耳を傾けていた。

 

「トバルの食糧危機のことは俺も聞いている。いずれ援助を申し出されるだろうとは思う。ミルトンのやっていることは、無許可で間違いない。あの地域の出入国管理は辺境伯の時代からミルトン伯爵の管轄になっている。だから好き勝手に出来たわけか。格式のある伯爵家と思って信頼していたのが間違いの元だったのだ。

出入国の管理所に兵を派遣しよう。理由は何とでもなる。まったく、駐在している警備兵もすっかり平和ボケしてしまったな。ランセル、できれば証拠を集めてくれ」

「そのつもりで動いています」

「よし、では、ミルトン伯爵には『かの有名なウェズリー画伯に私の肖像画を描いてもらうつもりでいたが急に予定が入って断らなくてはいけなくなった。だがもし伯爵さえ良ければ私の代わりに描かれてくれると助かる。私の顔も立つんだが』と言ってみるか。食いつくかどうかは分からんが」

「それで結構です」

「えっと、お兄様はハジェンス伯爵としていらっしゃるの?」

「当然、変装するさ。その方が気軽に動けるからね」

「はぁ、気をつけてくださいね」


 いつも思うんだが、ジェルマンはエレナが俺の心配をするとその端正な顔が少し引きつる。

 そして俺はしばしの優越感を味わう。




 次の日の夜、ミルトン邸のアンジェリカの所へ向かった。

もう部屋が変わったようだ。二階の端の窓辺にリボンがはみ出している。


「部屋が変わったんだな」

「うん、どこにも行かないって夫人に約束したら変えてくれた」

「今度は広くていい部屋だ。ベッドに天蓋もある。小花の壁紙が良い感じだ」

「そうだね。でも私は前の部屋の方が落ち着くけど」

「窓のリボンはわざと挟んでいるのか?」

「なんとなく……。先生が見つけてくれたらいいなと思って」

「いい考えだ。ところで、アンジェリカ。ここの使用人で赤い髪で大柄な男がいないか?」

「庭師のデオンかな。私を馬車に押し込んだのも彼だよ」

「そうだったか」

「昨日ね、伯爵夫人が娘のリャノンさんの部屋に連れて行ってくれたんだ。でも、リャノンさんは私たちを気に留めることもなくボーッと窓の外を見ていた。しばらくして私が『お姉様』って呼んだらびっくりしたように振り返った。その目が真っ赤だった。だから私言ったんだ。『私も母さんが出て行った時はすごく泣いた』って。そうしたら『あなたの名前は?』って聞かれた。『妹がいるなんて知らなかったけど、初めて会ったような気がしないわ』って言ってくれた。すごく優しい人なのに可哀そうだった」

「血の繋がった姉がいて良かったな」

「うん、リャノンさんの気持ちはわからないけど、私は嬉しかった。だから姉様がいて良かったって言ったら、泣かれた」

「そうか……」

「それから、いつでも来てちょうだいって言われたから、傍で本を読んだり、花屋のことなんか話したりしている」

「それはいいな」

「実はね先生。今日、占い師とかいう人が来たの。それで誘われて二人で庭を散策したんだけど……」


 アンジェリカが珍しく次の言葉を紡ぐのに躊躇して、膝の上の両手をみつめている。

 

「どうした? 言いにくいことなのか?」

「ベールで顔は良く見えなかったけど、私、わかったの。あの人は自分の母親だって。五歳まで毎日聞いてた声を忘れるわけないよ」

「そうだったのか……。それは本当に驚いただろう?」

「うん、『母さん、なんでこんなことしてるの?』って聞いてみたの。そうしたら、母さんは私の小さい頃は、子供の愛し方がわからなかったって。『家を出たのはあなたのせいではなくて、人の好い両親に不満が重なったからなの。それでもあなたの幸せを祈らない日はなかった。あなたは伯爵家の血を継いでいるのだから、伯爵令嬢にしなくちゃってずっと思っていた。今がその機会なのよ』ってそう言った」

「何か言い訳に聞こえるな」

「私、冷たいのかな。母さんと十二年ぶりで会ったのに、嬉しい懐かしいというより、じいちゃんとばあちゃんのことを言われたのが嫌だった。それにリャノン姉様をこれ以上傷つけたくないって思った」

「冷たくはない。自分を捨てた親より自分を必要としてくれる人のほうが大事に決まっている」

「そうだね。姉様、今朝はやっと少し微笑んでくれたんだ」


 あんな男のために泣くことなんかないと喉元まで出かかったが、他人に言われても信じようとはしないだろう。いずれエヴァンがどんな奴か気付くだろうし、結局は自分の中であいつへの思いを消化するしかないのだ。

 

「来週から俺は画家ルパート・ウェズリーの助手になってこの屋敷に来るからな。一応は変装するが、知らない振りをしてくれないと困るぞ」

「なんでここに来るの?」

「表向きはミルトン伯爵夫妻の肖像画を描くことだ。だが、いろいろと確かめたいことがあるんだ」

「私は明日から家庭教師が付くんだって。ミルトン伯爵に初めて会った時、『せっかく連れて来てやったのにとんだ芋娘だな。礼も碌に出来ないのか』ってしかめっ面をされた」

「それで家庭教師か」

「うん」

「父親に会えてどうだった?」

「父親なんて全然実感がわかなかった。あいつ嫌いだ。勉強するのはあいつのためじゃない。姉様のため」

「そうか……」

 

 まあ、急に父娘とか言われても、お互いに気まずいだろうとは思うが。

 

 それにしてもメリナがアンジェリカの母親とはさすがに驚いた。だが点と点が繋がって来た。エヴァンはメリナにそそのかされたのだろう。あとはコリンズ商会とメリナとの繋がりがどうなのかだな。

 

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