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3.エレナの結婚と絵画泥棒


「さて、俺とエレナはこれで失礼します。この後すぐに、教会に寄り、婚姻無効とさせていただきます。公爵様、一筆書いてくださいますよね?」


 ここで断れば男が廃る。

 俺は公爵がサインした文書を持って、エレナの手を取り思い切り部屋の扉を開け放った。

 掃除道具入れから荷物を引き上げ廊下を歩いていたら、後ろの方から公爵の声がした。


「エレナ嬢。今日のことも君を利用しようとしたことも心から謝る。だが、どうか私に君を愛する機会をくれないか。手紙を……」


 彼の様子を見ていれば、エレナに魅かれ始めているということはなんとなくわかった。

 だが、すぐに甲高い声が響き、公爵はそれ以上言うことが出来なかった。

 

「何言ってんのよ。今、私達お似合いと言われたばかりじゃない」

「あれは皮肉だよ。私に近寄らないでくれ!」

「やっぱり冷酷非道の人なのね!」


 俺たちは振り返ることもなくそのまま階段を降り、屋敷の離れを出た。

 

「あいつも前途多難だな。これからどうするエレナ?」

「お兄様は独り身なの?」

「ああ」

「だったら、まずはお兄様と一緒に穏やかに暮らしたいわ。聞きたいことも話したいことも山ほどあるの。お父様のことも知りたいし」

「父親は俺が六歳の時に亡くなったよ」


 それを聞いたエレナはすっかり意気消沈してしまった。

 

「でも、お兄様がいるわ……」

「そうだ俺がいる。元気を出せ。今まで離れていた時間を取り戻そう」

「ええ、すごく楽しみだわ。そういえば、さっきお兄様が言ってた道路ってどういうことなの?」

「俺は商会に勤めていてね。いろいろ情報が入ってくるのさ。

オースティン公爵の領地は最近ワインの生産が軌道に乗って来てね、今までの道で南の国に輸出しようとすると量が多い場合は、通行の酒税が割高になるんだ。そこで少し遠回りになるが公爵はハジェンス伯爵の領地を通る道を模索していたのさ。親戚になれば通行税はいらないかもしくはすごく割安になるだろ?」

「そうだったのね」

「不思議なんだが、一人娘の母親が駆け落ちするとハジェンス伯爵家の跡継ぎがいなくなるだろう。そのことはどう思っていたのか分かるか?」

「駆け落ちして子供が生まれたら、きっとお祖父さまも許してくださるだろうと思っていたみたい」

「子供が生まれたと、連絡したのか。それで見つかった」

「ええ」

「でも、じい様は許すことが出来なかった。少しだけ目を瞑れば幸せになる未来もあっただろうに、自らそれを捨てるとは……」


 師匠の下に帰る道すがら、俺が絵画泥棒だということはエレナに話した。受け入れられなくてもそれが俺だから。

 

「そのお蔭でお兄様と会うことができたんだから、何の問題もないわ」

と嬉しいことを言ってくれた。


 師匠にエレナを紹介する時に、俺のことを知っていたのかと聞いたら

「母親が由緒ある伯爵家の出とは聞いていたが、具体的には知らなかったよ」

ついでに「師匠はどういう育ちなんですか?」と聞いてみた。


「あれ? 言わなかったっけ? 俺は没落子爵家の末裔さ」

 

 気を回しすぎたかな。だが、本当の親子だって聞けないことはある。


 さて、くだんの『遺書』に書かれていたことは、エレナが予想した通りだった。

 

『実子のランセル・シューリスが成人したら、ハジェンス伯爵位は彼の物となる。ただし、ランセル・シューリスが妹のエレナ・ハジェンスの成人するまでに見つからない場合は、エレナ・ハジェンスが伯爵位を継ぐ』と書かれ、その下に小さな文字で『ランセル、妹のエレナを大切してちょうだい』とあった。


 正式な弁護士の印もあったので、俺はさっそく貴族籍課に赴き、事の次第を伝え申請をした。


 二週間後には正式にランセル・ハジェンス伯爵となったので、俺はハジェンス伯爵家のタウンハウスに弁護士と数人の警邏とともに行き、伯爵家のいくつかの印を押さえ、その他重要なものに張り紙をした。

 帳簿は女性二人の散財でかなり厳しい状態だった。恵まれた領地を持っているのに馬鹿な話だ。

 

 そして、いくばくかのお金と小さな家を用意する代わりに今後一切の関わりを持たないという念書に彼ら一人一人の署名を要求した。つまりそれを守らない時は牢屋行きだ。

 

 お金を捻出するために屋敷の美術品を売ることになったが、あまり俺好みの物は無かったので丁度良かった。

 

 ヴォーン元伯爵代行とその連れ合い、そしてシンディにはすぐに伯爵家から出て行って貰った。

日を置くと中の物を持ち出される可能性があったからだ。

 三人はブツブツ文句を言いながらも出て行った。一応最後の慈悲として馬車は用意してやった。

 逞しいシンディのことだ。平民の中でもうまくやっていくだろう。


 また、エレナにつらく当たっていた使用人を洗い出し、解雇した。逆恨みをされても困るので、次の働き先に推薦状は出せないまでも、使用人として雇用していたという証明書は出した。

 

 

 


 エレナと二人で快適な生活を始めたら、オースティン公爵からエレナに毎週のように花束とメッセージが届くようになった。


 毎回毎回飽きもせず

『嫌な思いをさせて済まなかった。私は心を入れ替えた。人を不快にすることはもう決してしないし、君を不幸にすることも絶対にしない。君がいつか私を見てくれることを心から願う』

というような文を書き連ねて来る。

 エレナも最初は無視していたが、三回に一回くらいは返事を書くようになった。

 

 それからは観劇に誘われたり、植物園や公園の散策に誘われたりするようになった。

もちろん俺が一緒だ。嫌な顔をされたら、その時点でエレナを連れて引き返すつもりでいた。

だが、オースティン公爵は俺を嫌がるそぶりは見せなかったし、俺をそれなりに尊重してくれた。


 何回かそんなことを続けるうちに、俺はエレナに言った。

 

「嫌なものは嫌とはっきり言える関係じゃないと俺は許さないよ」


 エレナは神妙に頷いて「はい、お兄様と暮らして、それはとても重要なことだ知りました」とそう言ったので、俺は二人について行くことを止めた。


 それから半年後、結局二人は二回目の結婚式を挙げた。

 

 エレナは顔を上げ、しっかりと背筋を伸ばし、公爵と見つめ合いながら自信に満ちた足取りで祭壇に向かった。

 これ以上ないくらいの美しい花嫁だった。

 

 結婚式の後、エレナに「今度はお兄様の番ね」と言われた。

 

 釣り書きもいろいろ来ていたし紹介されることもあったが、自分の生い立ちを考えると、上品におっとりと育った貴族のお嬢様と結婚して上手く行くとは思えなかった。

 

 しばらくは領地に行って領地内を視察したり、領地の代官と角突き合わせて財政の問題を話し合ったり計算したり、領民の陳情書に目を通したりと、忙しい日々を送った。

 エレナも公爵夫人として、しっかりと存在感を示し始めていた。

 

 

 そんなある日、ぼんやりと周囲が明るくなった明け方に階下からかすかな物音がした。

(下手だな。鍵を開けるときは音をたてないようにしないと)と夢うつつに思った後に、俺は飛び起きた。

ガウンを羽織り、手に暖炉の前の火かき棒を持ち、足音を立てず階下に降りて行った。

また僅かな音がした。第二サロンの方角だ。


 第二サロンの貴重品は何があったかな? そこそこの美術品は置いてあるが......。


 王都のタウンハウスに飾ってある絵は、ハジェンス伯爵家代々の肖像画のほかには、ルパート師匠の絵と俺の絵だけだ。

 嬉しいことに、俺の絵も師匠ほどではないが、それなりに価値が上がってきている。

 第二サロンに飾られている絵はほとんどが俺の絵だ。それでも危険を冒して盗むほどの価値はないだろうなと思いながら、第二サロンの格子窓からそっと覗いた。

 

 泥棒は、男の格好をしているが、明らかに女だった。

彼女は俺の絵を数点見比べて、比較的、小さめの絵を外して袋に入れた。絵を外すときも音がした。へたくそな奴め。

 その時は声を掛けなかった。なぜかまた来ると思ったからだ。


 案の定、一か月後の同じ時間にまた物音がした。


 今度はサロンの扉を開けて声をかけた。


「何をしている?」


 彼女は驚いて振り返り一瞬硬直していたが、すぐにその場に膝を折り、帽子を取って床に額を付けた。


「たいへん申し訳ありません。どうぞお許しください」

「なぜ俺の絵を狙う。しかもこんな明け方に。見つかる確率も上がるだろう?」


 すると彼女は少し頭を上げてこう言った。


「ある程度光がないと、絵が良く見えないではないですか? え、俺の絵って。あなたはこの絵の作者の」

「ランセル・シューリスだ」

「う、嬉しい。作者に会えた。ここにシューリスの作品がたくさんあると聞いて泥棒に入った甲斐があった」

「喜んでいる場合か。警邏に突き出すこともできるんだぞ」

「それはご勘弁を。すぐに立ち去ります。もう二度とここには来ません。盗んだ絵もお返しします」


 彼女は一つに三つ編みをした金髪の頭を何度も下げた。


「あのな。お前には絵画泥棒の素質がないぞ。まず音を立てすぎる。そして筋力不足だ。体幹もない。敏捷性は分からないが推して知るべしだ。鍵のかかっていない窓を捜すのは上手そうだが、それでも泥棒はやめた方がいい。ところでなぜ俺の絵を狙うんだ? そんなに高くもないだろう」


 俺がそう言うと、彼女は涙ぐみ始めた。しばし唇を噛んだ後、


「す、好きだからに決まってるじゃないですか!」


 涙を一杯溜めた目で俺を睨んで、押さえた声でそう言った。


 その時、俺は落ちた。あまりにも彼女の様子が可愛かったのと、こんな風に真正面から俺の絵が好きだというやつに初めて会ったからだ。俺の絵が好きということは俺が好きということと同義語に思えた。


「お前、普段は何をやっている?」

「花屋のばあちゃんの手伝いをしています」

「そうか……。来週、今日と同じ曜日の午後、両手いっぱいの花束を持って来い。それを抱えたお前を描いてやるよ」

「本当にホントですか?」


 彼女は涙をぬぐって顔いっぱいの笑顔になった。


「ああ、花代もモデル代も出す」

「でも……、脱げとか言わないですよね」

「俺は、基本、風景画専門だ。心配ならメイドに一緒にいてもらおう」

「でも……」

「まだ何かあるのか?」

「貴族家を訪問するようなまともな服を持っていないというか……」

「はあ、仕方がないな。ついて来い。いいか、そろそろ厨房の連中が働き始めるから、音を出すなよ」


 頷く彼女を見て、俺は二階のエレナの部屋へ彼女を連れて行った。

 クローゼットを開けて、三枚ほどのワンピースを選んだ。

 

「これでいいか?」

「これ、私が着ていいんですか?」

「ああ、妹は今妊娠中で着られないし、子供が生まれても多分もう着ないだろう」

「嬉しいです。ありがとうございます」

「丈が長いか?」

「このくらいすぐ直せます」

「胸のところはどうだ? 少し大きいかな?」

「ちょうどいいです!」

「なら、いいか」

「では、何から何までありがとうございました」


 彼女はそう言って俺に礼をし、そそくさとワンピースをカバンに入れて二階の窓から外へ出ようとした。


「おい待て、玄関から出ろ」


 俺はまた玄関まで彼女を誘導した。


 玄関の大きな扉を開ける前に彼女に聞いた。

 

「お前、名は何て言うんだ?」

「アンジェリカです」

「アンジェリカ、来週来る時は、この玄関から入るんだぞ」

「分かりました」


 彼女は俺が開けた玄関の扉を足早に出て半円状の階段を降り、カバンを腕に抱えながら噴水の脇を抜けて駆けて行った。

 意外と敏捷性はあった。


 アンジェリカ。アンジュ、天使か……。さあ、もう少し寝るか。


 俺は、口笛を吹きながら寝室に向かった。




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