2.俺が伯爵家の跡継ぎ?
まもなく男が扉を開けた。
足元しか見えないが、こいつの名は確かジェルマン・オースティンだったかな?
エレナは扉の近くで礼をしていたようだ。
「椅子に座ってくれ」
エレナにそう言って、ジェルマンはソファに座った。足元しか見えないが多分そんなところだ。
「まずは、君に謝らなくてはならない」
「何のことでしょう?」
「『これは白い結婚で君を愛することはない』と言ってしまったことにだ」
「でも、こんな広い豪華なお部屋を使わせていただいて、夕食も持ってきていただきました。私にとっては天国のようです」
「私は君がお金遣いも荒く、義妹を虐める悪女で、あちらこちらで男と遊んでいるという噂を信じてしまった」
「酷い噂があるとは知っていましたが、私は表に出てそれを否定する機会もありませんでしたから」
「私自身も父親と婚約者が立て続けに亡くなって、毒を盛ったとかいろいろ噂をされた。それを訂正するのも面倒だったので放置していたら、『冷酷非道の公爵』という二つ名も貰った。そのお蔭で結婚話が途絶えたからこれ幸いとそのままにしていたんだが」
「なんとなくお気持ちは分かります」
「それでもそんな私が人の噂を信じるなんて最低だ」
公爵ともあろうものが素直に謝ったので、俺は少し驚いた。それほど悪い人間とは思えないが、言ってしまったことが消えるわけではない。エレナはどうするのだろうか。
「その…、なぜ私の噂が本当の事ではないと思われたのですか?」
「俺の友人たちが、今日、ヴェールの下からかすかに見える君の藤色の髪を見て、このような髪色の女を今までに見たことがないと言ったからだ。一人はそれこそ殆どの妙齢の女性を知っているし、まあ遊び人ともいえる。その彼でさえ君に会ったことがないと言うのだ」
「つまり私は男の方たちの遊んでいないと」
「そうだ。そこで出席していた姉にも聞いてみた。君の悪い噂を吹聴していたのは君の義妹や義母だという」
「それは仕方がないです。彼女たちにとって、私は厄介者でしかないのですから」
「もう一つ。私はその話を聞いて君の家の使用人に我が家の使用人を接触させてみた。結果、虐められているのは君の方だった」
「一応、食事は厨房の端でさせてもらえましたし、掃除洗濯も上手になりましたから、そんなに酷くはなかったかと…」
「何を言っている。君は伯爵令嬢だぞ。ハジェンス伯爵家を継ぐ立場の者だぞ」
「えっ? 家を継ぐ?」
なかなか話が面白くなってきたところで、また廊下が騒がしくなり、慌ただしいノックと同時に扉が開いた。
「あー、良かった。見たところ、まだ初夜は済んでないわね」
今度は若い女の声だ。あーあれだ。たぶん義妹ってやつだ。
「君は、エレナの義妹のシンディ嬢だったか? なぜこんなところにいる? 誰が通した?」
「あら、お義姉様がとても大事なものを忘れたので届けに来ました、と言ったら通してくださいましたわ」
「はあ……、それでこんな時間に何の用だ?」
「この結婚話はもともと私に来たものですわ。ジェルマン様が『冷酷非道』と聞いて、私、二の足を踏んでしまいましたの。両親からも伯爵家を継いで欲しいと言われてましたし。ですから義姉に嫁いで貰うことにしたのです。でも結婚式の時にジェルマン様を見て気が変わりましたの。美しい貴方は私の理想の殿方ですわ」
「私とエレナはすでに結婚式を済ませている」
「でも、婚姻届けはまだ教会にありますよね。たぶん明日に役所に提出することでしょう。今宵のうちなら名前を変えても大丈夫ですわ。伯爵家は私たちの子供の一人に継いでもらえばいいのです」
「いいか。良く聞くんだ。君の父親ヴォーンはエレナが成人するまでの伯爵代行だ。彼はすべて伯爵家の正式な印を使っていたし、名前も伯爵と名乗っていたから、私も気が付かなかった。ヴォーン・ハジェンスとは接点もなかったからな。昨日王宮に用事があってついでに貴族籍課に寄った。そこの係の者からヴォーンは実は伯爵ではなく代行だと聞いた。婿養子の君の父親とその後妻の君の母親そして連れ子の君にはハジェンス伯爵家の血は一滴も流れていない。つまり伯爵家を継ぐ資格はないのさ」
「何のことかさっぱり分かりませんわ」
シンディは公爵が怒りのこもった声で話しているのに、まったくひるむ様子はない。内容も理解しているのかしていないのか強気の姿勢はそのままだ。彼女ならこの先の荒波を渡っていけるだろう。
「ハジェンス伯爵家を継ぐのは明日十八歳になるエレナだ。つまり明日から王宮の貴族籍課に申請すればエレナは伯爵となる。だから君の父親はエレナを利用できる形で追い出したかった。私からのハジェンス家への縁談話は渡りに舟だったはずだ。エレナが私の籍に入ってしまえば、いずれ申請をして遠縁と言うことで伯爵位を継げると考えた。わずかな良心がエレナを手にかけようと思わなかったのは幸いだった」
俺はベッドの下でジェルマンの話を聞きながら、登場人物が一人増えたことによって、部屋を出る好機を見出すのが難しくなったと、少々落胆した。
仕方がない、もう少し彼の話を聞くか。
「私は先ほど教会に使いを出し婚姻届けは私が許可を出すまで預ってくれるように依頼した。だからエレナは伯爵になることができる。エレナ、これは私が君にできる唯一の贖罪だ」
何も言わずに二人の話をじっと聞いていたエレナが突然大きな声を出した。
「ハジェンス伯爵家を継ぐのはランセルお兄様です!」
おい、この状況でそれを言うか?。
「は? お兄様って誰よ」
「エレナ。説明してくれ」
「はい。私の母のオリビアは幼馴染の男爵家の三男であるディラン様と愛し合っていました。でも祖父は貧乏男爵の三男など婿として認めないと祖母の遠縁の伯爵家の次男を婚約者にしました。そこで母とディラン様は駆け落ち同様に家を出ました。そして生まれたのが兄のランセルです。
二人は祖父の目を避けて隣国で暮らしていたのですが、数年後に見つかってしまいました。そして母だけ連れ戻され、婚約者だった今の父と結婚させられました。母はいつも誰かに監視されているような生活を送り、心と身体を病んで私が八歳の時に儚くなりました。兄のことはお祖父様が亡くなった時、私が七歳の頃に教えてくれました。私の本当の父がディラン様であることもその時に知りました」
エレナがゆっくりと話しているのは、たぶん俺に知って欲しいと願ってのことだろう。母親は連れ戻される時にエレナを妊娠していたのか。まさしく俺と彼女は父母を同じくする兄妹だったのだ。
「祖父が亡くなってから伯爵を継いだのは今の父だと思っていましたが、彼は代行にしかなれなかったのですね。実は、母が亡くなる前にしたためた遺書があります。私が成人したら貴族籍課に行って開けるようにと言われ、私はまだその内容を知りません。『ランセルが無事に生きていたら伯爵になってもらいたい』と母は常々言っていましたので、兄に伯爵位を譲ると書いてあるはずです」
「ふん、嘘ばっかり。そのランセルっていう人は何処にいるの? 遺書は何処にあるのかしら」
絵を盗みに入って俺の出自がわかるとは思いもしなかった。
親父がこの国に戻ったのは、母の傍にいてやりたいと思ったからだろう。だが、会えたのだろうか?
親父は何も教えてくれなかった。俺も幼かったからな。親父が俺の出自を言わなかったのは俺に大きなものを背負わせたくなかったんだろう。
そして、あの『遺書』は、エレナが伯爵家で隠し持っていたものを、こちらで取り上げられるのを恐れてあの絵の裏側に隠したということか。
そんなことを考えていると、エレナが俺に呼び掛けた。
「お兄様、こちらにいらしてください」
俺はどうにでもなれと言う気持ちで腹を括り、ベッドの下から這い出して身なりを軽く整え、衝立から顔を出した。
「はじめてお目にかかります。ランセル・ハジェンスです。どうぞお見知りおきを」
貴族のするような礼をした。
姓は父方のシューリスだが、この際ハジェンスを名乗った方が良いだろう。
公爵は目を見開いてソファから立ち上がり「君はなぜここにいる?」そう言ったあと、心の動揺を隠すように、またソファに腰かけた。
俺はそれを見て、少し意地の悪いことを言ってみたくなった。
「妹の結婚相手は『冷酷非道の公爵』と噂のあることを知りました。もしかすると、まだ間に合うかもしれないと考え、連れて帰ろうと決心して駆けつけたのです」
公爵の顔が少し歪んだ。さあ、勝負はこれからだな。
「あなたがエレナの兄だってどうしてわかるの? なぜ今頃になって出てきたの?」
濃いオレンジ色の髪の華やかな装いをした鼻の高い女にそう言われた。ああこれがエレナの義妹か。
「まあ、俺にもいろいろ事情があってね」
そしてエレナの方を向いて
「エレナ、そのヴェールを取り外して俺の隣に来てくれないか」
そう言って、俺も眼鏡を外した。
ヴェールを被っていないエレナを見て公爵が息を呑むのが分かった。まあ、そうなるだろうな。
俺はエレナの肩をしっかり抱いて
「瞳の色は全く同じ。顔立ちもこれだけ似ていれば、兄妹ではないという方が不自然ではないでしょうか?」
さらに「二人とも母親に似たんだな」とエレナに笑いかけた。
するとエレナが急に俺に抱きついて来て泣き出した。
「お兄様。会いたかった。小さい頃からずっと会いたかった」
だから、俺もつい
「もう何も心配するな。俺がお前を守る」と豪語してしまった。続けて「遺書は俺が持っているよ」と彼女の耳元で囁いた。
エレナは『みつけたの?』というように、涙で濡れている大きな目で俺を見上げた。
だから俺は口パクで『絵の中』と言ったら、また抱きつかれた。
そして俺はオースティン公爵と義妹をしっかりと見据えた。
「公爵様、自分の間違いが分かりエレナのために奔走してくれたのはありがたいと思います。けれども、結婚をしようとする相手に愛することはできないだの白い結婚だのと言うのはあまりにも相手を見下しすぎていて非常識です。あなたが公爵と言う立場でも兄として許すことはできません。そしてシンディさんとやら、妹を虐めていたあなた方親子にはいずれその罪を償ってもらいます。公爵様とシンディさん、お二人はお似合いですよ。一緒になられるといいのではないですか。ただし公爵様は平民と結婚することになるので、これからが大変だとは思います。それから公爵様。俺の領地の道路は使わないでいただきたい。それが目的でこの結婚を仕組んだのでしょう?」
言いたいことは言った。次は上手くこの場を去ることだ。




