1.エレナとの出会い
毎日更新します。一週間ほどで完結します。隣国の陰謀なども入ってきますが、主人公の恋がどうなるかも気になりますね。よろしくお願いします。
今日はオースティン公爵の結婚式だ。
オースティン公爵家の瀟洒な離れは本邸から一本の廊下でつながっている。
「結婚式の手伝いで使用人たちは皆出払っているから離れには誰もいないはずだ。今夜は絶対に安全だ」
師匠にそう言われたので、俺は安心して盗みに入った。
離れの二階の窓をそっと開けて中に入った。
廊下の突き当りのところに目当ての絵画を見つけ、俺は慎重にその絵を外した。
すると、かすかな音がして、絵と裏板の間から何かが落ちた。良く見ると、それは少し黄ばんだ封筒だった。字はだいぶ薄れているが表に『遺書』と書いてある。
俺はどうしたものかとしばし悩んだが、万が一絵のすり替えが見つかった時にこの封筒が役に立つかもしれないと思い、そのままそれをシャツの中に入れた。
本物の絵の代わりに贋作を枠にはめ、元の場所にかけて、さあ引き上げようとしたところで小さな歌声が聞こえた。
一瞬、この屋敷には幽霊が出るのかと思ったが、俺は現実主義だ。そんなことがあるはずはない。
耳をすませば、その歌は廊下の端の右側の部屋から聞こえる。
ああ、あれは、親父が俺に良く歌ってくれた子守唄だ。
俺はその歌声の主を無性に知りたくなった。いつもならこんな無謀なことはしないのに、その声に引き寄せられるように俺は決心していた。
俺の親父は俺が六歳の時に亡くなった。母親は俺が一歳の頃に実家に連れ戻されたらしい。詳しいことは知らないが、親父は「お母さんは藤色の髪の美しい人だった。優しくてお前をとても大切にしていた」と良く言っていた。
どのみち俺は見捨てられたということなので母親に未練は持っていない。
親父は俺を育てるために仕事を掛け持ちしていたから、疲労が蓄積していたのだろう。流行り病に罹った後、一週間ほどで天国へ旅立った。
それから俺を育ててくれたのは、親父が師匠と仰いでいた絵描きのルパートだ。親父は大工の傍ら看板描きもしていたので、そのためにルパート師匠に絵を習っていた。
親父とルパート師匠はとても馬が合ったようで、師匠の方もいつも親父を気にかけていた。だから、親父に俺のことを頼まれれば嫌とは言えなかったのだろう。
ルパート師匠は表向きは絵描きだが、実際は贋作師で絵画泥棒でもある。
七歳の時、初めて師匠に美術館へ連れて行かれた。
荘厳な建物の中に沢山の彫刻や絵画、そして工芸品があり、不思議と心が安らぎ、この美しさの中にずっといられたら幸せだろうなと思った。
絵画が飾られている部屋をゆっくり歩いているうちに、師匠の家の屋根裏部屋にある絵とそっくりな絵を何点か見つけて、俺は子供ながらに目を疑った。
そんな俺の様子を見て師匠は言った。
「ランセル、家にあるものとどっちが本物だと思う?」
「作者が同じものを二枚描かない限り、どっちかが偽物だということですね」
「おー、賢いな」
「その言い方だと、家にあるのが本物ですね」
師匠はニヤニヤして返事をしなかった。
それでも俺はそれがそんなに悪いことのようには思えなかった。そっくりに描くなんてすごい技術だと思ったからだ。
それに師匠は
「今のところは本物を売って儲けようとは思っていないよ。傍に置いて愛でるのが楽しいのさ」
嘘かほんとか分からないことを言っていたので、(まあいいか。)と思った。
それからは師匠に素質があると言われて、絵の描き方も習ったが、絵画の盗み方や護身術まで教えられた。
鍵のかけられている扉を開けるのも楽しく、いつしかほとんどの扉は開けられるようになっていた。
俺も表向きは商会の事務員をしている。読み書き計算は親父が俺の小さい頃から教えてくれたし、ルパート師匠も歴史だのなんだのを教えてくれた。
一応、十五でどこかの学校を卒業したことにもなっている。師匠がその学校の卒業証書を骨董品屋から調達してきて、名前を俺に変えたのだ。
商会に入ってからは周辺の国の言葉も必要に応じて覚えていった。
師匠や親父がどういう出自なのかは知らない。尋ねでもしたら、師匠のことだ。「そんなことどうでもいいだろう」というに違いない。いつか話してくれる機会もあるだろうと思っている。
物を盗むというより、そのスリルが楽しかった。何も盗まなくても図書館や美術館に入って、表には飾られていない美術品や蔵書を堪能したり、貴族の館に入って著名な作家の作品を鑑賞したりと腕と感性を磨いた。
もちろん師匠に頼まれて絵画も数点盗んだ。というより贋作とすり替えた。
今回、すり替えを依頼された絵画は、ここの公爵家が美術館に貸し出していた物で、師匠の好きなヒースの『海辺にて』シリーズの一つだ。
美術館にある間、師匠は時間の許す限り通って模写をし、いざすり替えようとしたところで予定より早く公爵家に引き取られてしまった。
さて、俺は黒の上着を脱ぎ、近くの掃除道具入れのドアを開けてその中に荷物を置いた。
見つかった時のために、いつも俺は盗みを働く場所に合った服装を作業着の下に着ている。
今回は使用人風の白シャツにグレーのベストを着こんでいた。
ついでに親父譲りの薄茶色と金の混じった髪を撫でつけ黒ぶちの眼鏡をかけた。
そうして歌声のするドアをそっとノックした。
「この屋敷の使用人でフレディと言うものです。お嬢様が落とされたものをお届けに参りました」
この届け物はとっさに自分のペンダントを取り外して、手に持った。
他に適当なものがなかったからだ。
このペンダントは親父が今はの際に俺にくれたもので、トップの部分は真ん中がギザギザになっていて、もう一つのペンダントと合わせると綺麗に四角になるらしい。
「もしこれがぴたりと合う人に出会ったら、その人はお前の家族に違いない」と途切れ途切れに言われた。『家族』と言われてピンとこなかった俺は、あまり気にも留めないで、一応それを首にかけた。
いずれにしてもそのペンダントはそれほど高価なものでもないので「私のではありません」と返されるだろうと思った。
少しの沈黙の後、部屋の扉が開いた。するとクリーム色のワンピースを着た年の頃、十七、八の藤色の髪のどこか懐かしい感じのする美女がおそるおそる俺に尋ねた。
「落とし物とは?」
「お休みのところ申し訳ありません」
俺は丁寧に頭を下げた。
「こちらのペンダントです」
彼女はまじまじと俺の手のひらにあるそれを見つめると、そっと自分の胸の上に両手を当てた。
「私のは、あります。これをどこで?」
「ああ、違ったようですね。では失礼します」
この話の流れはまずいと思い、俺はそのまま踵を返そうとしたが、彼女は俺に「お入りになってください」と言ったのだ。
なぜだろう? 俺は誘われるままに部屋に入ってしまった。この時、この行動が俺の人生を変えるとは夢にも思わなかった。
すぐ逃げられるように俺は扉の前で、ペンダントの持っていない左手をこめかみに当てて憂い顔で言った。こういう時は少し本当のことを混ぜて話した方が良い。
「あなたの歌が私の小さい頃に聞いたとても懐かしい歌だったものですから、あなたを一目見たくなって自分のネックレスを落とし物と偽ってしまいました」
「あれは母が良く歌ってくれた歌なのです」
そう言うと、彼女はその両手を自分の首の後ろに回した。どうやらネックレスの鎖を外したらしい。
良く見ると、それは俺の持っているものと同じようなペンダントだった。
そして、彼女はそれを俺の手のひらの上に乗せて、そのペンダントのトップを合わせた。
二つはぴたりと合い、正方形を作り出したのだ。
彼女は驚愕の顔で、俺を見て
「ラ・ン・セ・ル・お・に・い・さ・ま?」
そう言った。
「はあ?」
まったく予想もしなかった言葉を聞いて、俺は思わず間抜けな声を出してしまった。
「お母様に、このペンダントのもう片方を持っているのはあなたのお父様かお兄様よと言われていたの。ああ、お兄様の瞳の色は亡くなったお母様と同じ色なのね」
彼女は実に嬉しそうに微笑んだ。
俺の方と言えば気の利いた言葉も出ずに、まずは名前をと「君は誰なんだ?」と尋ねた。彼女が答えようとした時、廊下に足音がして扉がノックされた。
「エレナ様、公爵様がエレナ様にお話があるそうです。お仕度は大丈夫でしょうか?」
扉の外から侍女と思われる人の声がした。
「正式なドレスに着替えた方がよろしいのでしょうか?」
「いいえ」
「では、いま着ているワンピースでお話を伺います」
「わかりました。それでは失礼します」
侍女の立ち去る靴音がした。さあ、おれも立ち去らなくては。
「エレナさんとやら。今日は帰る。また来るよ」
「お願い。ここにいて! 用事はきっとすぐに済むわ。離れたらもう会えないかもしれない」
彼女は必死の形相で、俺の両手首を握った。
予想外のことを言われたこともあり、俺はどうも正常な判断ができなかった。まあ、もう少し話を聞きたいという気持ちもあった。
「……そうだな。じゃ、あの衝立の向こうのベッドの下に隠れるよ。用事が終わったら合図をしてくれ」
「はい、お兄様と呼びます」
「その呼び方は…まあ、いいか。ところで、今日結婚式を挙げたのは君なのか?」
「ええ、結婚式で夫となる人から『結婚式は挙げるが君を愛するつもりはないし、これはいわゆる白い結婚だ。しばらく離れの方で暮らしてほしい。いずれ離婚の手続きを取るつもりだ』と言われたのです。だから彼がこの離れに来るはずはないのですけれど。何があったのかしら?」
首を傾げながら、彼女はベッドに置いてあった白いヴェールを自分の頭にふわりとかけた。
「結婚式でそんなことを言うなんて、とんでもない男だな。それになんでそんなものを被るんだ?」
「義妹や義母親から、私は醜いから夫には顔を見せない方が良いと言われて」
「馬鹿な。あんたはめちゃくちゃ美人だぞ! 鏡はなかったのか?」
「水に映る自分しか知りませんし、義妹のような人が美人なのだと思っていましたから」
「どんな生活をしていたんだ。しかも驚いたことに君は俺に似ている」
「そうなんですか?」
「その公爵が好きなのか?」
「好きも何も全然知らない方です」
「では、ヴェールのままの方が良いだろう」
彼女はまた首を傾げた。美女という自覚がないので危うくて心配だ。
後ろ髪を引かれる思いで、俺は衝立の後ろのベッドの下に隠れた。




