10.師匠とミルトン邸にて
「弟子は勉強中なので、少しの時間で結構なんだが、伯爵家の美しい庭をデッサンさせてはもらえないだろうか」
師匠からミルトン伯爵にそう言ってもらい庭に出る許可を取った。
俺は庭に行く前に大階段の踊り場に飾ってあるクインシーの絵をじっくりと眺めた。
おっと、これは……。師匠に言わなくちゃならないな。
ミルトン邸の庭の造りは今流行の幾何学的な庭と違い、どちらかと言うと俺の家と同じ昔風だ。
小径の両側は綺麗に芝生が敷き詰められていて雑草が一つも見当たらない。花壇には小振りの紫と白とピンクの花々が咲いていた。所々にある木々も綺麗に刈り込まれて、さすがに手入れが行き届いている。我が家は通いの庭師しかいないから、比べるのは野暮だな。
ゆるい曲線を描く小径の先には八人くらいはゆったり座ってお茶を飲めそうな円形の白いガゼボがあった。屋根の透かし彫りがなかなか凝っている。
そのまま小径に添って進むと見事なバラが咲き誇る一角に出た。そこでバラの花がらを摘んでいる赤い髪の男を見つけた。デオンで間違いないだろう。
「あのー、肖像画を描きに来た画家の弟子なのですが、あのベンチで絵を描いてよろしいでしょうか」
「旦那様の許可があれば」
「許可してくださいました」
「ではどうぞ」
俺はベンチに座ると小脇に挟んでいたデッサン帳を膝の上に置き、ベストのポケットから鉛筆を出した。
さっと全体の構図を描いてから、デオンに尋ねた。
「庭師さんは、こちらでのお務めは長いのですか?」
「いや、一年半ほどまえは領地の方に居ました」
「ところ変われば、草花の種類も育て方も違うんでしょうね」
「そうですね……」
「領地の庭は広いのですか?」
「ここの二倍は…。池もありますから」
「それは大変だ。領地には今でもいらっしゃることがあるんですか?」
「繁忙期などは、呼ばれることもあります」
「往復となると、日数もかかるんでしょうね」
「十日程度は」
「まあ、楽な仕事なんてないですからね」
ふと芝生の広がる方を見ると、アンジェリカとリャノン嬢が目に入った。
リャノン嬢は初めて見るが、夫人と同じ髪色の、あの父親からは想像もつかない繊細な感じのする人だ。アンジェリカが急に白い花のところに駆け寄り、何やらつかまえていた。蝶か。それをそっと手に包み、リャノン嬢に見せて笑い合っている。なかなか楽しそうだ。
「あ、あの美しい方たちは?」
「お嬢様方です」
「お具合の悪い方がいらっしゃると聞いていましたが、お二人ともお元気そうで良かったですね」
デオンはそれには返事をすることなく、作業を黙々と続けていた。
俺は、それ以上、彼と話すことはやめて、サロンに戻って来て、師匠の脇に控えた。
一段落ついたところで、師匠の耳元で囁いた。
しばらくして俺は「師匠が薬を飲みますので、厨房に行って水を貰ってきます」とメイドが動く前にさっさと厨房に行った。
「お忙しいところすみません。水を一杯いただけますか」
それからは、厨房担当のメイドといろいろ世間話を始めた。
「本当にきれいな庭ですね。専属の庭師さんの腕がいいのでしょう」
「まあね。デオンは小うるさいところもあるけど」
「領地にも呼ばれるとか言ってましたよ。寒い時期だと大変ですね」
「いや、たいてい春先か秋ごろだよ。そういえば去年は大変だった」
「なにがですか?」
「デオンがっちょうどあっちにいる時に、ご長男のコルテス様がお怪我なさってね」
「怪我と言うと?」
「馬から落っこちたのさ。デオンが言うにはあそこら辺では見たこともない大きな蛇がコルテスさまの馬の前に飛び出したとか」
「それは不運でしたね」
これはデオンの仕業でほぼ確定だな。何年も前から庭師として働いているようだから、彼のことを疑う者はいない。
賭場での借金が大きくなって、長男に危害を加えることを承知したのだろう。
あまり長居をしても良くないだろうと思い、俺はコップと水の入ったポットを盆の上に乗せて師匠の所に戻った。
師匠は「最近、少しめまいがしましてね」そう言いながら、クッキーの砕いたものをさも苦そうに飲んでいた。
次の日もまた同じ使用人と世間話を始めた。
「そういえば婚約解消をなさったお嬢様の体調がお悪いと伺っていましたが、昨日はとてもお元気そうでしたよ」
「そうなんだよ。此処だけの話だけどね。伯爵さまの隠し子を引き取ったんだ。そうしたらリャノンお嬢様がお元気になられて。やはり占い師の言うことは当たるもんだね」
「そのお嬢様の元婚約者の方はこちらによくいらっしゃっていたのですか?」
「ここ一年くらいは頻繁に来ていたね。庭が好きらしくデオンともよく話していたよ。お嬢様とも仲が良かったから、婚約解消はお嬢様にとって本当につらい出来事だったんだろうね」
「先のことはわからないものですね」
そして、最終日。
「ミルトン伯爵様、伯爵夫人。大変お疲れさまでした。出来上がったらこちらの弟子に届けさせます。それとですね。あの大階段にある絵はかの有名なクインシー画伯の絵画とお見受けしたのですが、じっくりと見せていただいてよろしいでしょうか」
「もちろんです」
ミルトン伯爵は誇らしげに我々を絵の前まで誘導した。
師匠は少し距離を置いてしばらくの間じっとその絵を見ていたが、徐々に近づき、絵の上から下までじっくりと眺めはじめた。最後には眉間にしわを寄せ、「いやあ、これは、まさか」などと首をかすかに横に振りながら、あの低い声で言うものだから、周りの者の緊張も高まってくる。師匠の演技を見ていると、俺もまだまだだなと思う。
「ミルトン伯爵、そのー、まことに言い難いことなのですが、この絵は偽物です」
「は?」
「この右下の暗い部分に、回りの色よりも少し濃い色で描かれた小さな丸がありますよね。見えますか?」
「そう言われれば……」
「これは贋作画家のマッキー・グレイの秘かなサインで、彼が描いたものに間違いありません」
贋作師によっては、描いたものに自分の足跡を残したいと考える者もいる。
「まさか」
「絵自体も本物よりも若干雑に描かれていますし、聖堂の影も少し暗めです。鑑定はしてもらったのでしょうか?」
ミルトン伯爵の顔からどんどん血の気が失せていく。
「あ、いや。確かな筋から譲ってもらったものですから、偽物とは思いもしませんでした」
「先方に問い合わせた方が良いと思いますよ。先方も気づいていないかもしれませんからね」
「そ、そうですね」
その後俺と師匠は俺の屋敷で遅い昼食を摂った。
濃厚な玉ねぎのスープの後は茸と鱒のパイ。そして鴨肉の燻製。その回りにレタスやらセロリやらトマトやらが綺麗に盛り付けてある。酸味の効いたソースは料理長特製だそうだ。
オースティン公爵領地産のワインを傾けながら、師匠が呟く。
「いつもこんなうまいものばかりを食べていたら。ダメになるぞ」
「今日は師匠が来ると知っていたから特別ですよ。この二日間は市場でソーセージとキャベツの酢の物を挟んだパンでしたからね」
弟子ということになっているのだからきちんと働けと言われ、画材の持ち運びや、片づけは全部俺がやった。他にも師匠のアトリエの掃除までさせられた。
通いの弟子や、掃除人もいるが、アトリエには手をつけさせないので、たまに俺が行くとこき使われるのだ。
「さて、あれが偽物だったとはな。どうなると思う?」
「お金を払っていないとはいえ、ダヤール公爵に馬鹿にされたようなものですからね」
「取引は中止か」
「そうすると、予定より早くコルビン商会がミルトン伯爵の密輸を国に告発する可能性が考えられます。商会の方は自分は悪くないという証明をどうするかですね」
「昔の主人だったから断れなかっただけでは弱いかな」
「そこでデオンが出て来る。庭で聞いたとか。ついでに、元婚約者のエヴァンも引っ張り出す」
「だが、それでミルトン伯爵家が潰れることになったら、困るのはトバルだろう?」
「そうですね……。あ、そうか。告発の準備が出来ているとミルトン伯爵をルディが脅す。そしてアンジェリカが成人の十八になった時に家督を譲ると一文かいてもらう。アンジェリカの成人前にトバル王国から婿を取らせる。そんなところかな」
「手紙の往復に五日から一週間。動きは来週末あたりからになるか」
「俺はこれから王宮に行ってオースティン公爵と話し合ってきます。証拠の書類も渡さなくてはなりませんからね」
食後のお茶の後、俺は長めの上着と揃いのズボンに着替えた。面倒だが王宮へ行くにはそれなりの服装をしていなければ、教養がないだの知識不足だのと言うやつがいる。俺は気にしないが、エレナやジェルマンに迷惑がかかるのは困る。
それにしても、王宮の敷地は広くて嫌になる。伯爵になる前に一通り絵画を見ながら散策してみたことがあったが、同じような部屋が連なっているし、階段や廊下も似たようなのがあちらこちらにある。
時間をかければ、廊下の特長や壁の色、階段の手すりや主柱の形の違いなどに気づくのだが、警備兵に見つからないように歩くから、俺でも迷子になるところだった。




