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ちょいと偉人に会ってくる  作者: 鈴木ヒロオ
夏の末、秋のきっかけ

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酒が行き渡ると

 酒が行き渡ると、膳が運び込まれ、小六が指示を出し、銘々の前に置かれる。


 千太と半助が厨と主屋の間を往復し、真之介と花里が配膳する。


 二人が膳を置くたびに、その人と一言二言、言葉を交わす。


 新築工事に携わった人々には礼を、世話になっている人たちにはこれまでの感謝を述べていた。


 二人は、俺の知らぬ間に、しっかりとこの社会に根を下ろしている。


 どことなく嬉しくもあり、寂しいような、置いて行かれるような気持ちになった。


 料理が並ぶと、話し声が弾み、笑い声が混じるようになる。


 その輪は、ゆっくりと大きくなっていった。


 花里が後ろからやって来て、俺の前にも膳を置き、改まって正座する。


 彼女の後ろには、小六と真之介も慎み深く膝を揃えている。


 小六の殊勝な様子が少し可笑しかったが、それはおくびにも出さず、俺も口元を引きしめ、相向かう。


 俺は簡単な祝いの言葉程度だと思っていたが、それは違っていた。


 花里が両手をついて頭を下げる。


 それから、おもてを上げると、これまでの恩義に対する深い感謝の言葉を述べた。


 その一つ一つが心に沁みるようで、胸の奥から熱いものがこみ上げる。


 そうして、もう一度、深く頭を下げる。


 言葉を待つように、両手を重ねて伏せている。


 目に入った、纏められた後ろ髪には艶があった。


 その黒髪に目が留まり、初めて真之介と花里が家にやって来た日のことを思い出す。


 痩せた体に汚れた着物を着ていた頃のことが、昨日のことのように蘇る。


 あの日は、真之介が今より幼い花里を伴い、深く頭を下げていた。


 あの日、かさついていた髪は、濡羽色ぬればいろのように、しっとりと落ち着いていた。


 感じる頬の火照りは酒のせいだろうか、照れていたのだろうか。


 言葉が見つからず、「ありがとう、これからも宜しく」としか返せなかった。


 真之介は俺の言葉に静かに頭を下げる。


 小六は「俺に任せろ」と胸を張る。


 俺も気が付かない間に、社会に根を下ろしていたのかもしれない。


 花里は体を起こすと、目を細めて優しく微笑んでいた。


 その笑顔が、どこか儚くて壊れそうで、不安を覚えるほどだった。


 以前にも感じたその感覚は、まるで握った砂がこぼれていくようで思い出せない。


 何か、一つきっかけがあれば、すべてを思い出せるような気がする。


 ただ、透明な世界の向こう側から、その笑顔が向けられているような感覚だけが記憶に残っている。


 俺は、その感覚を打ち消すように言った。


 「これからも、ずっと宜しくな」


 花里は控えめに、そして丁寧に、一つ優しく頷いてくれた。


 日は少しずつ傾き、縁側の黄みがかった障子に、そっと触れるように淡い色が差していた。


 髪にも、朱色の細い光が触れていた。






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