ノルウェーの画家が
ノルウェーの画家が描いた油彩には、赤く捻じれる背景の中に、口を開けて両耳を押さえる人物が、歪んだ姿で立っている。
平たく描かれたその表情から放たれる叫びは、果たして単純な絶望なのだろうか。
芸術に何の造詣もない私には、その意味を読み解く術がまったくない。
では、その叫びは絶望の彼方にある希望へ向けられたものなのだろうか。
そもそも希望は、絶望の対照たりえるのだろうか。
その油彩画は何も語らず、作者の内面と万人とに無言で問いかけてくる。
鋭い刃を突き付けるように。
真之介と花里は一杯目の鰻丼を食べ終えると、新たに椀に飯を盛り、一片の蒲焼を乗せ、二杯目にかかる。
皿には、ただ一片が寂しく残る。
すでに二杯目を食べ終えた小六は、自分の分は食べ終えたと考えたらしく、最後の一片を遠慮して、ダッチオーブンの底にあるおこげを杓文字でかき集め、甘だれをかけて食べようとしている。
そんな小六の背中に、やんわりと俺は声を掛ける。
「甘だれがなくなると、鰻の蒲焼はもう作れなくなるぞ」と。
木匙を持つ小六の手が止まる。
小さく震える肩の向こうで、壺の蓋がそっと閉じられる。
振り向く小六の表情に、絶望が浮かんでいた。
手に持つ箸は途方に暮れ、椀には焦げた飯だけが虚しく残る。
小六は、その椀を見つめながら哀しい目をして呟く。
「史郎、俺は鰻を取ってくるから、また蒲焼を作ってくれるか」
そばでは真之介と花里が、二杯目の鰻丼を美味しそうに食べている。
一人、取り残される小六の孤独。
俺は小六のあまりにも大きな落胆に同情を禁じ得ず、皿に残った一片を譲ることにした。
小六の表情が、絶望から希望へと変わる。
「本当にいいのか、史郎」
俺が頷くと、小六は今までに見たことのないような笑みを浮かべた。
その顔には、喜色と憂色が入り混じっている。
小六は遠慮なく一片をおこげに乗せる。
そんな姿を真之介と花里は、優しい眼差しで見守る。
三人は一緒に食べる喜びを噛みしめている。
絶望から希望へ。
それでも食べ終えれば、希望は消える。
残されるものは何か。
そんなことを考えながら、俺は三人を見ていた。
親方は、愛と憎しみの狭間で食べていた。
俺は、泣き笑いに揺さぶられて食べていた。
そして、小六は絶望と希望に捩じれて食べている。
私は、油彩画の前に立ち、絶望について考える。
絶望の対極に希望があるのではなく、二つは隣り合って存在しているのではなかろうかと。
高く掲げた希望ほど、絶望の淵は深くなる。
希望と捩れ合って存在する絶望は、いかばかりの深さがあるのだろうかと。
人は絶望に身を捩じる。
人が人である限り逃れることはできない。
螺旋に絡み合う二つの遺伝子のように。
その苦しみ、孤独、不安は、平たい黒ではなく、捩れる赤なのかもしれないと。
私は自分の中の赤を静かに見つめることになる。
絵を見ているのか、淵を覗いているのか、分からなくなる。
絵を見ていたはずの私が見つめられる。
口を開けて両耳を押さえる私が、水面に揺れて映る。
淵の底に沈んで横たわる希望。
それこそが、もっとも罪深き厄災であったのかもしれない。
鰻丼とムンク。
この組み合わせを「なんともまあ」と感じた方へ。
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