蝉の声が移ろう頃
蝉の声が移ろう頃、季節の幕を引くようにツクツクボウシが鳴いている。
互いの声を探るように、命の気配を測りながら、遠くで鳴いている。
遠くから北寄りの風は、秋の匂いをわずかに運び、葉の色も移ろう。
そろそろ新築工事は終わりに差し掛かり、建物の中では、小さな手直しや掃除も始まる。
又左さんが主屋、離れ、厨を見て回り、不具合を指摘したり、自ら手を入れ直していた。
主屋と離れの一部、そして厨の西側にあたる壁だけは土壁で築かれ、大きく穿たれた格子窓からは光が入る。
その土壁の前には竈が据えられ、鍋釜をのせる掛け口が四つ、きれいに並んでいた。
竈のある広い土間に続いて、板張りの部屋が一間ある。
土間の裏と表には、それぞれ出入り口が設けられている。
今の四人暮らしの家よりも、ずっと大きくて広い。
主屋と離れの板壁の外には軒がせり出し、その下には幅のある縁側が廊下のように続いている。
主屋であれ離れであれ、板戸を開け放ち、長い縁側に腰をおろし、月を眺めるもよし、雨を憂うのも、またありかと思い巡らす。
そんなことを考えていると、玉手箱を開いた翁になったような気持ちになる。
長い縁側に腰をかければ、軒が日差しをやわらげる陰をつくり、正面には敷地が広がり、門があり、そこから両側へ板塀が続いている。
夏の声が最盛期を過ぎたように、新築工事の佳境も過ぎ、人々の声も槌の音も、いまは閑散と静かに響いている。
十羽のひよこは、いつのまにか産毛も抜け落ち、すっかり若鶏の姿となり、敷地に群れをなして動き回っている。
雌雄の判断も容易につくようになった。
雄はトサカと肉垂れが赤く大きくなり、首まわりや背中の羽が黒みや赤みを帯びて、深い光沢を見せ始めている。
雄は四羽、雌は六羽。
縄張り意識が目覚めたのか、雄は仲間の前に立つように歩き、誇示するような仕草が目につくようになった。
地面を蹴る足は力が漲り、逞しい。
家から小さな器を手に持ち、花里が出てくると、若鶏たちが一斉に足元へ集まり始める。
花里はそんな若鶏が愛らしいのか、しゃがんで手ずから刻んだ野菜や穀物のくずを与えていた。
すんすん。
花里が顔をちかづけ、命の匂いを嗅いでいる。
若鶏からは、日に照らされた土の匂いがするのだろうか。
やがて若葉に露が憩うように目を細め、いつものように優しい声をかける。
「壱、争ふはよしなされ。弐、あわて給ふな。参、たんと召し食せ。」
どうやら雄鶏には、いつのまにか番号で名がついているらしい。
花里は慈しむような眼差しで、器の餌を地面にそっと広げながら語りかけていた。
その様子をどこかで見ていた小六が花里のそばに寄り、「早く大きくなれ」と励ましていた。
俺は、その牧歌的な光景にいよいよ風情に感じ入り、翁の心境へと蕩けてゆく。
俗世をひととき忘れるような、そんな心持ちであった。
いつとはなしに真之介が現れ、物静かに俺の隣に腰かけた。
俺たち二人は、束の間の非日常、その風景を桃源郷の仙人にでもなったように語らず眺める。
涼風が渡ると慎ましやかに森が歌い、ツクツクボウシは声をみあわせる。
時間の移ろいがあいまいになると、ツクツクボウシはまた鳴きだす。




