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ちょいと偉人に会ってくる  作者: 鈴木ヒロオ
雨に唄えば

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もう客の予約もない週末

 もう客の予約もない週末は、早めの店じまいとなった。


 親方はカウンター周りを手早く片づけ、簡単なまかないの準備を始める。


 店を開ける前にも食事を出してくれるが、高校生で食べ盛りだった俺には、閉店後も夫婦が何かしら用意してくれた。


 俺と奥さんは皿を洗い、ゴミを片づけ、店内を掃除する。


 生ごみを外に出して戻るころには、赤だしの味噌汁がカウンターに三つ並んでいる。


 味噌汁の味は、その日のネタの魚のアラを使うから日々変わる。


 旨味が濃く、海の香りが鼻腔をくすぐった。


 手を洗い、椅子に座ると親方が尋ねる。


 「鰻でいいか」


 本来、親方は鰻が大好きな人である。


 俺が返事をすると、寿司ネタ用に切られた鰻を皿に並べ、トーチバーナーで軽く炙る。


 奥さんには、丼に少量の酢飯を盛り、捌いた魚の端やすき身を使って海鮮ちらしを作っている。


 親方が鰻丼用にご飯を盛ろうとしたとき、「俺、酢飯でも」と言いかけたが、親方はギロリと一瞥をくれて、黙って炊飯器のご飯を盛りつけた。


 鰻に関しては譲れない拘りがあるのだろう。


 奥さんが小さく息を吐き、やれやれと呆れた様子で、こちらを見ていた。


 刷毛の先からご飯の上に甘だれを垂らす。


 鰻を並べ、さらにその上にもとろりと垂らす。


 そして完成。


 三人並んで「いただきます」。


 俺は味噌汁をすする。


 親方は鰻の上に山椒の粉をせっせと振りかけている。


 かけ終わると、無言で俺に山椒の入った小瓶を渡す。


 俺もまねをして、山椒の粉をせっせと蒲焼に振りかける。


 すると、親方の口元がふっと綻んだ。


 その笑みは、言葉よりも雄弁に「よし」と語っていた。


 先ほどの不機嫌が、すぐに治る。


 二人で鰻丼を頬張る。


 咀嚼そしゃくと味噌汁をすする音だけが聞こえる。


 俺は「親方の鰻は日本一」などと、野暮なことは言わない。


 親方もまた、黙して語らず。


 

 以来、俺は親方と同じく「鰻には必ず山椒の粉」の原理主義者である。


 それは必須であり、なくてはすべては始まらない。


 まずは山椒の実を手に入れなければならない。


 それから専用の俎板や竹串も準備しなければならない。


 親方の捌き方、串を打つときの手の動きを思い返す。


 甘だれはどんなふうに作っていたのか、記憶の底をそっと探る。


 鰻丼に辿り着くまでの段取りが、少しずつ思い出される。


 親方の戦う表情が蘇る。


 桶の中を覗くと、鰻がゆるりと泳ぎ、水面がたぷりと揺れた。


 波紋が控えめな影を底に落とし、黄色い腹がぬらりと淡く照り返した。



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