表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ちょいと偉人に会ってくる  作者: 鈴木ヒロオ
雨に唄えば

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

202/234

お品書きに増えたサーモン握り

 お品書きに増えたサーモン握りと鰻の握り。


 常連客が店を訪れ、カウンターに座って新たな寿司ネタに気づくと、「おっ」と、わずかに目を見開いた。


 その反応を、親方は知らん顔で受け流す。


 「サーモン、いいねえ」と肯定的に笑う客もいれば、「鰻の握りなんて珍しいねえ」と興味津々に身を乗り出す客もいる。


 親方は「まあ、奥さんがな」とだけ言って、ぶっきらぼうに寿司を握り続けた。


 今までにないネタだけに、常連客たちは、とりあえずその二つを頼んでいた。


 食べた客たちは二つの寿司に舌鼓を打ち、「うまいねえ」とか「意外とシャリに合っている」と、親方の試みをほめそやした。


 そのたびに、親方の顔に浮かぶ引き攣った笑顔を、俺は見逃さなかった。


 奥さんは奥で微笑んでいる。


 客は和やかに寿司をつまむ。


 そうして好評を博した寿司ネタは少しずつ人気となり、出前の寿司盛にサーモンや鰻の握りを加えてほしいという依頼が増えてきた。


 親方の胸の奥で鰻への愛憎がじわりと深まっていくのを、俺はヒリヒリと肌で感じていた。


 常連客の中には寿司を頼まず、鰻の蒲焼きを肴に一杯飲みだす者もいて、酔った勢いで「親方の鰻は日本一」と杯を上げる。


 俺は親方の握る包丁が微かに震えていることを見逃さなかった。


 奥さんは隣で緑茶を淹れながら、誰にも気づかれないように、そっと親方の背を撫でて微笑んでいた。


 ある週末、常連客の息子夫婦と名乗る若い二人が、小さな男の子を連れて店の暖簾をくぐった。


 どうやら二人は回らない寿司屋に馴染みがなく、ましてや子どもは初めての体験らしく、店内をキョロキョロと見まわしては、信楽焼の狸を見つけて親方と見比べ、なぜか嬉しそうに笑っていた。


 親方夫婦は、その男の子の姿を目に映し、和やかに微笑んでいた。


 若い二人は奥の座敷に案内されると、一人前桶の寿司を二人前頼み、サーモンと鰻の握りを内容に加えてほしいと注文した。


 男の子も自分で注文したいらしく、奥さんに向かって、「サーモン、玉子、かっぱ巻き、アボカド巻き」と元気な声を店内に響かせた。


 奥さんは少し困惑した様子で、「きゅうりの細巻きはできるけど、アボカドの細巻きは置いてないのよ」と小声で答える。


 「えー」と残念がる男の子の声が続いた。


 その会話は、カウンターの内で寿司を握る親方の耳に、しっかりと届いている。


 張り詰めた空気が、静かに、しかし確実にカウンターの内側へ流れ込んでくる。


 注文が入ると、親方はカウンターのネタケースからネタを取り出し、素早く握る。


 細巻きも、その大きな手からは想像できないほど繊細に動き、六つ切りのかっぱ巻きを完成させた。


 奥さんはできた寿司桶をテーブルに運ぶ。


 親子は美味しそうに食べて、男の子が細巻きを頬張ったまま、「回るお寿司よりおいしいよ」と話している。


 親方の顔に笑顔が戻り、機嫌の良さがそのまま伝わってくる。


 親子三人以外に客はいない、和やかな時間が過ぎていく。


 束の間の安らぎ。


 奥さんの淹れる緑茶の香りが店内に漂う。


 俺はそのひとときだけ、心配は杞憂に終わるかと甘い考えを持っていた。


 長年育まれた鰻の甘だれと、人々の機微はどこまでも奥が深い。


 けれど、親方の甘だれは、まだ日が浅い。








評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ