月をまたぐと
月をまたぐと、暑さと蝉の声は一段と密度を増していた。
少し夏バテ気味の俺に比べ、小六、真之介、花里はいつもと変わらぬ様子で毎日を過ごしている。
深夜まで皆で月を眺めた翌日も、普段通りに早朝の暗いうちから起き出していた。
あの日、望遠鏡を一緒に覗いた善は、その望遠鏡を俺から借り受け、翌朝には寺へ帰っていった。
その日以来、善からの音沙汰はない。
清澄寺に折に触れて訪れる新右衛門さんの話によると、善の様子がいつもとは違い、問いかけに対しても、以前のように打てば響く返事がないという。
そのことを尋ねると、ここ数日の不眠の行のためだと善は答えたらしい。
改めて善の様子を窺うと、体の動きはどこかぎこちないが、目だけが妙に冴えている雰囲気が漂っていたという。
どのような行なのかと尋ねると、善は空を仰ぎ、まばゆさに目をしばたたかせて、夜ごと堂の甍の上に昇り、ただ天を見つめているのだという。
俺はすぐに気づいた。
善は毎晩、昼の熱を残した屋根に寝ころび、望遠鏡で夜空を見つめているのだろう。
その姿が想像でき、少しおかしくもあった。
月のある夜は月を、新月には星空を眺める。
月の光がない夜には、天の川の星々はいよいよ輝きを増し、肉眼では見えない奥の星まで見えているはずである。
善の見つめる先は、果てしなく広がっているのだろう。
音の消えた丑三つ時、数えきれぬ星がひそやかに流れ去る。
そんな善に、新右衛門さんは尋ねたという。
「いかなるものを御覧じたまひしや」
善は、まっすぐ直立したまま左手で自分の足元を指さし、それから眩しげに空を見上げて、右手で頭上を指した。
「一念三千」
新右衛門さんが首を傾げると、善は光に目を細め、笑いながら言った。
「一瞬の心の働きの中に、すべてが具わる。遥かな星も、すぐそこに在る」
さらに困惑する新右衛門さんに、善は続けた。
「この地も、彼方の天も、同じ場所となる」
そう俺に話しながら新右衛門さんは、善の存在がどこか遠くにあるようでもあり、それでいて笑いながら話す善はすぐそばにいるようでもあると語り、いつものように何度も深く頷きながら感心していた。
俺には、もう善の真意も、言葉の意味さえも掴めない不思議な気持ちになっていた。
新右衛門さんと同じように、遠くの存在であり、近くの人でもあった。
善にとって距離も時間も折りたたまれ、過去も現在も未来も同列に並び進行しているように思えた。
強い日差しのせいで、そんなあり得ない考えが浮かんだ。
何かが胸の奥に触れる。
善の声が近く、蝉の声が遠くに聞こえる。
そんな気がした。
汗が一筋、頬を伝う。
暑さの中に、新右衛門さんの存在も、俺自身も薄くなりゆく。
滴った汗が、乾いた土に濃い染みを残した。




