「ひぃ!」と小六が
「ひぃ!」と小六が、悲鳴とも叫びともつかない声を上げた。
望遠鏡を受け取り、片目を当てて月へ向ける。
焦点が合った、その瞬間だった。
魅入られたように、望遠鏡から目が離せず、息を呑んだまま固まった。
ようやく目を離すと、真之介に渡し、助けを求めるように俺を見つめる。
その目には、言葉にできない畏れが宿っている。
また一つ、星が流れた。
真之介は覗くと、皿のように目を見開いた。
驚きがそのまま顔に浮かび、声も出ない。
大きく息を吐き、優しく花里に手渡すと、目を閉じて月に向かって両手を合わせる。
頭を垂れ、震える手の向こうに夏の星が光る。
花里は小さく息を吐き、ひとこと漏らす。
「うるわし、きよらなり」
月の美しさに感応した花里は、着物の袖で望遠鏡をひと拭いし、善に両手を添えて渡した。
受け取る善は、すぐには覗かず空を見上げる。
満天の光を全身で受け止めるように瞑目する。
やおら覗き口に目を当てると、かっと見開き、月を見る。
しばし無言で月と対峙している。
月光の一筋が善を照らすと、口元に笑みが浮かんでいる。
それは、古い友人に再会した時のような、眩しい笑顔だった。
善が望遠鏡の先を無数の星へと向け、どこか懐かしんでいるように見えた。
そのまま、善の唇がおのずと開く。
譬如 五百千万億 那由他 阿僧祇 三千大千世界
假使有人 末為微塵 過於東方
五百千万億 那由他 阿僧祇国
乃下一塵 如是東行 尽是微塵
俺は思わず、善に何を語ったのかを尋ねた。
善は、遠い場所から故郷に帰り着いた友人を思わせるまなざしで、俺を見つめた。
その瞳は、果てない夜空に深い光彩を秘めていた。
吸い込まれそうな錯覚にたじろく俺に、包むような声で教えてくれた。
「三千大千世界は果てしなく、広いということだ」
俺は無言で首を傾げた。
善は少し寂しげに続ける。
「あらゆる智慧をもってしても、その限りを知ることはできないということだ」
俺はその言葉に、まったく手がかりのない、知りようもないことに、何故か圧倒され、足元の所在を失ったかのようによろける。
善が俺の肩を支える。
「よう、史郎。平気か」
「やあ、善。大丈夫だ。ありがとう」
交わす短い言葉に、初めて会った頃のことを思い出す。
俺たちは肩を触れ合うほどに並べて夜空を見上げる。
夜は互いの存在を薄くしてゆき、気配は夜気に溶ける。
俺は、自分がここにいることを確かめたくて、声を発し続ける。
月のない夜は天の川がより濃く、星がよく見えること。
金星の白く鋭い輝きは、肉眼ではただの点にしか見えないが、望遠鏡を通すと光がわずかに広がり、強すぎる輝きがにじんで輪郭が淡く揺らめくこと。
火星の赤い点光は、落ち着いた炎のように瞬き、異質な存在感で光を放つ。
この夜空には、俺の知らない物語を持つ星座や、見えない星雲が瞬いている。
視界の端で、三つ目の流星も、また何も言わず消えゆく。
土星の輪は見えるのだろうか。
火星や金星は、この時代では何と呼ばれているのだろうか。
小六や真之介や花里は、かわるがわる望遠鏡を覗き、三者三様の姿を見せる。
脈絡もなく思いつくことと、心から湧き上がるものを抑えきれずに、俺は言葉を紡ぎ続ける。
消えてしまいそうになる自分に抗うように。
善は何も語らず、天を見上げ、ただ穏やかに俺の言葉を受け止めてくれる。
夜空と善の瞳は同じ色をしていた。
光彩が流星群のように瞬く。




