仁右衛門さん一行を見送っても
仁右衛門さん一行を見送っても、まだ一日は終わらない。
陽はなお高く、日差しは弱まる気配を見せない。
枇杷の木のつくる木陰と井戸端には、まだたくさんの甜瓜が残っている。
もらったひよこを籠から出し、一片の甜瓜を与える。
水分を欲していたのか、夢中になった様子で啄んでいる。
与えすぎも良くないと思い取り上げると、ひよこは互いに身を寄せ合いながらよちよちと歩き出し、やがて土の上をつつきはじめた。
花里はひよこのそばにしゃがみ、目の高さを合わせるようにして見守っている。
ひよこが場所を変えると、そのあとをついていき、そっと屈んで目を細めた。
しばらくは夜は家の中で飼い、昼間は外で放し飼いすることになる。
鴉などの野鳥に気を付けなければならないと、仁右衛門さんの従者の一人に助言された。
餌は稗や粟の雑穀、刻んだ青菜を与えれば良いと教わった。
花里とひよこの様子を眺めながら考えた。
ひよこが育ち、鶏はいつから卵を産み始めるのだろう。
卵が手に入るようになれば、作れる料理の幅も広がる。
卵をふんだんに使ってプリンなどの甘い物も作れる。
もしかするとマヨネーズもできるかもしれない。
手順は知っている。
卵黄、塩、酢を混ぜ、それから油を少しずつ加えながら乳化させればできるはずだ。
揚げたての熱々の唐揚げにたっぷりのマヨネーズをつけて頬張る。
想像しただけでも唾が湧いてくる。
考えてみれば、久しく脂ぎった物を食べた記憶がない。
無性に食べたくなる。
俺の足元には剥いた甜瓜の皮や種の残滓が寄せ集められている。
食べるという行為に残された跡。
あれこれと思いを巡らせているうちに、ふと一つの懸念に行き着いた。
鶏肉をどう手に入れるのか、というところへ思いが及ぶ。
雌鶏は採卵に回すとして、鶏肉は雄鶏からということになる。
小さな雛から育てた鶏を絞めることができるのだろうか。
俺は魚なら捌けても、育てた鶏を絞めて捌くことなど、とてもできそうにない。
それに、いざその時、花里の気持ちは大丈夫だろうか。
花にも憐れみを寄せ、時に涙ぐむ彼女の心情を思うと心配になってくる。
彼女のひよこたちを見る瞳には、すでに慈しみの光が宿っている。
俺は冷えた甜瓜を食べながら、ひよこが懸命に土を啄む風景を目に映していた。
ふわふわとしたひよこの黄色、むかれた皮の名残りの黄色。
冷たい果実は初夏を小さく冷やす。
今はその考えを心の隅に寄せて置いておく。
手に持つ食べかけた甜瓜の一片。
そこに一粒の種が果肉に張り付くように残っている。
甜瓜売りの男が、毎年丹精を込めて作り続けてきた果実の種。
平たく細長い楕円形、果汁に触れて、しっとりと淡い黄色。
また、ふと視線が種に留まる。
もしこの種を水槽の青い水に浸して栽培を始めれば、今以上の美味しい甜瓜を作れるかもしれない。
俺はその一粒の種をじっと見つめる。
そうして、残滓の中から種を拾い集めはじめた。
手に一つ一つ集めていると、歯のない男の笑顔が浮かぶ。
自分が栽培した甜瓜を誇らしげに語る、土塊の匂いのする男の手。
胸を張り、朝の光に染められた男の姿。
俺は甜瓜売りの男から、大事なものを奪ってしまうような気がした。
どこかで、間違っているのではないかと思った。
残滓の中へ種を戻す。
それでもいくつもの種が掌に張り付いて残る。
生きるという行為に残された、その跡。
ひよこは、何も知らずに、土の上で小さく鳴いている。




