今にも雨が降り出しそうな空
今にも雨が降り出しそうな空を見上げる。
試作の望遠鏡が出来て三日が過ぎたが、その間も灰色の厚い雲は居座り、雨が降ったりやんだりを繰り返していた。
恨めしげに空を見つめても、雲が動く気配はなく、いつ降り出してもおかしくない。
雨の気配だけが、なお色濃く空気に沈んでいた。
一刻も早く望遠鏡を完成させたいという気持ちを、俺はもう抑えきれなかった。
曇天の下、我慢できずに指物師の源太さんの工房へ向かうため家を出た。
背負う籠には、試作の望遠鏡と両凸レンズ。
ぬかるみに足を取られぬよう気を付けながら坂道を下る。
坂を下りきるころには、逸る気持ちに押されるように足が速くなる。
跳ねた泥が、じわりと足元を汚していく。
源太さんの工房兼店に着く頃には、息が切れ、胸が熱を帯びていた。
軒下で息を整え、中に入ると、源太さんは入り口に背を向けて作業をしていた。
声を掛けると、振り返ったその目にも、長雨に倦んだ色が見て取れた。
湿った空気のこもる工房に、久しぶりの訪問者を迎えた源太さんの表情には、ふっと喜びが浮かんだ。
俺もそれに応えるように笑みを返す。
工房に積まれた木材は、淀んだ空気の中でかすかに息づいていた。
その息づかいを乱さぬよう、いきなり望遠鏡の製作を頼むのではなく、慎重に順を追って話を切り出した。
まず籠から両凸レンズを取り出し、そっと差し出す。
いわゆる虫眼鏡だ。
源太さんの使っていた鑿の刃先に焦点を合わせ、拡大して見せる。
源太さんの目は見開かれ、さっきまでの倦んだ色は一瞬で消えた。
虫眼鏡を手渡すと、彼は両手で受け取り、感触を確かめながら、裏返したり横から覗き込んだりして驚きの表情を浮かべ続けていた。
その材質の正体は、今でも俺は掴めない。
冷たさはガラスにも似ているが、指先にすっと馴染むような、相反する不思議な感触だった。
俺は材料となる青いゲルから、釣り糸や食器、食品を包む薄いシート、そしてレンズまで作ってきた。
源太さんは、今度は自分の手や道具に焦点を合わせてみせ、思わず感嘆の声を漏らしていた。
虫眼鏡でいろいろなものを拡大して見ている源太さんに、太陽の光で火を起こせることを伝え、決して虫眼鏡で太陽を覗いてはいけない、目を傷める危険があることを十分に説明した。
ある程度、虫眼鏡の性質を理解してもらったところで、籠から試作の望遠鏡を取り出し、使い方を説明しながら、工房の外を覗いてもらった。
竹筒を伸縮させ、焦点が合った瞬間、しばらく源太さんは口を開けたまま固まっていた。
それから一言、呟いた。
「これはまこと、神仏の御しるしにて、天地までも逆さに見ゆるなり。」
たしかに、この望遠鏡では倒立実像、すべて上下左右が逆さまに見える。
俺が望遠鏡で太陽を覗くことも危険であると伝えると、源太さんは深く頷き、それは神仏を畏れぬ所業ゆえの神罰であろうと、一人で合点していた。
俺は源太さんに、試作品をもとに望遠鏡を完成品へ仕上げてほしいと依頼した。
すると彼は、「今年も、いと奇妙なる御頼みにて候へど、造り奉るなり。」と力強く頷いた。
試作の望遠鏡を預けると、彼は姿勢を正し、道具にそっと礼を尽くすように言葉を発した。
「道具に魂を宿すは、木を扱ふ者の務めにて候。」
その瞳には、倦んだ色は消え、雲間から光が差すように輝いていた。




