そして二人は
茉乃はその日のうちに支度をして自宅に帰った。
二年という約束を守ってくれるとしたら八月に柊がやってくることは間違いない。佳乃の話では、よく二人で縁側に出てお茶を飲んでいたらしいので、祖母の部屋を掃除し、砂利を敷き詰めた庭に生えた何本かの雑草を抜いて打ち水をした。
現れるならここしかない、と。
帰り道で食料を買い込み、数日なら家から出なくても平気なほど食事の準備もできた。冷凍食品や保存の効く食品を中心に準備し、足りないものは近所のコンビニで買うことにする。
佳乃のアドバイスに素直に従い、仲良くなった友達やバイト先でお世話になった方へ連絡も済ませた。時の流れの中で自分が人との関わりを大切にできるようになっていたのだと、改めて二年という時間の重みを知る。
そして、いつものように仏壇に花や水、父母の好物だった果物を供え、線香に火をつけて手を合わせた。
「お父さん、お母さん。柊さんに会いたい。もし会えたら、彼のところに行ってもいい? 二人を残していくことになるけど、許してくれる?」
返事は無いのはわかっていた。それでもどうしても伝えておきたかった。もう何年も泣いていなかったけれど、その日はなぜか大粒の涙がこぼれた。縁側に佳乃が吊るした風鈴が、チリン、と音を立てる。
そうしてそこから五日間、何事も起こらないまま日々は過ぎていった。
家にある飲み物が少なくなり、歩いて数分のコンビニに買い出しに出かけた。すぐに戻れば問題ない距離とはいえ、時間をロスしないよう、忘れ物がないかチェックして家を出る。
外は夕日が落ち始め、暑さが少しだけ和らいでいた。それでも昼間のうちに照りつけていた太陽の熱を吸収したアスファルトから、じわじわと、茉乃を夏の中に閉じ込めるかのような暑さが包む。
少し汗ばみながらもコンビニで急ぎ買い物を済ませ、自動ドアの向こうに出る。一度冷えた体が外の暑さですぐに温まっていく。
すると突然、聞き馴染みのない声が茉乃を呼び止めた。
「あれ、もしかして藤堂?」
名前を呼ばれて驚き振り返ると、微かに見覚えのある男性がそこに立っていた。記憶の中にあったその顔と、少しずつ一致していく。
「斉藤、くん・・・?」
茉乃は少し青ざめた。それは中学生だったあの日、茉乃にゲームで告白してきた、あの男子生徒だった。
「やっぱり藤堂だ!久しぶり!元気にしてた?」
茉乃の思い出の中にいる彼は、美少年、美形すぎてちょっと怖い感じという印象の男子だったが、今目の前にいる彼は穏やかで少し整った顔立ちの、普通の大人の男性だった。
茉乃は掠れた声でなんとか返事をする。
「久しぶり・・・ですね。」
彼はそんな茉乃の様子を気に留める風でもなく、満面の笑顔で近づいてきた。
「うん。奇遇だな、こんなところで再会するなんて。何かこう、運命を感じちゃうよな!」
(いや別に・・・というより早く帰りたいんだけど・・・)
困った表情で彼を見ていると、突然斉藤は真顔になって茉乃に深く頭を下げた。
「え、ええ!?どうしたの、突然!?」
「あの時は、本当に申し訳なかった!!」
斉藤の突然の謝罪に、動揺し過ぎて手に持っていた荷物を落とした。急いで拾って彼の顔を上げさせる。
「えっと、よくわからないけど気にしないでください。顔も上げて!もう過去のことなので。」
「いやでも!あれをゲームのせいにしてたけど本当は俺・・・あの頃、ずっと君のこと気になってたんだ。」
「え?」
斉藤は顔をゆっくり上げると、罰が悪そうに頭をかきながら苦笑した。
「今更だけど、あの時はゲームに便乗して告白してうまくいけばなんて甘いこと考えてて。でも結局君に冷たくされて動揺しちゃったんだ。まだ中学生だったし、自分でもうまく気持ちを消化できなくてさ、それを友達に愚痴っちゃったら変な噂を流されて・・・。あ、でも俺もそれを止めなかったんだから同罪だ。すまなかった!」
大人になった彼は、あの頃茉乃を怖がらせ傷つけたあの日の少年ではもうなかった。茉乃は一つの区切りをつけることができたと感じていた。
「・・・もうわかりましたから、謝らないでください。でも・・・ありがとう。」
あの時の自分が心の中から解放されていく。顔がいいから嫌だとか、噂を立てられて人と関わりたくないと思っていた幼かった自分は、もうどこにもいなかった。
そして、斉藤の目が真剣なものに変わる。
「藤堂さん、本当に綺麗になったね。あの時も可愛いと本当に思ってたけど、まさかこんなに綺麗になるなんて・・・。あの、もしよければ今度」
「ごめんなさい!」
今度は茉乃が大きく頭を下げた。
「私、将来を誓った人がいるんです。今も、いつ迎えに来てくれるかわからないので、帰ります。ごめんなさい!」
「あ、うん、そっか・・・わかった。突然ごめんな。」
斉藤は少しだけ悲しそうな目で茉乃を見つめていた。彼もまた、幼いあの頃の何かをずっと引きずってきたのだと、茉乃は何となくそう思った。
「いえ。・・・それじゃあ。」
そして茉乃はもう一度頭を下げ、そこから走って家まで戻った。
思ったよりも時間を使ってしまい、焦って足が絡まりそうになる。暑さも蝉の声も買い物袋の重さも、何もかも気にならなかった。ただひたすら家への道を走り抜け、ガラガラッと勢いよく玄関の戸を開いた。
「嘘・・・光ってる?」
家に入った瞬間にその異様な光に気づく。慌てて佳乃の部屋に入り窓を開けると、そこには大きな光と、泣きそうな顔で背を向けようとする柊の姿があった。
「待って!!お願い、閉じないで!!」
茉乃の必死の叫びに、柊がパッと振り返った。くしゃくしゃの笑顔を見せながら涙をこぼすその顔は、茉乃にとって一生忘れられないほど心に刻まれたものとなった。
そして、彼の手が、茉乃の手を掴む―――
「茉乃!!」
「柊さん・・・」
二人は、その瞬間、光の内側、あの見慣れたグレーのソファーの前に立っていた。
「よかった・・・本当に・・・よかった・・・。」
柊は少し髪が伸び、前よりも精悍な顔つきになっていた。そして目の前にいる茉乃を何度も何度も確かめる。手に触れ、肩に触れ、髪に触れて、ようやく彼は安堵の笑みを見せた。
「柊さん。迎えに来てくれて、ありがとう。」
「うん。約束したから。繋げてからしばらくの間茉乃がいなかった時間は、もう会えないんじゃないかって思ったら胸が張り裂けそうだった。来てくれて、本当によかった・・・。」
「遅くなってごめんなさい。・・・柊さん。」
「うん?」
「会いたかった・・・。」
涙が、とめどなくあふれた。
「うん。俺も。」
柊はその涙を指でそっと拭った。
そして二人はしばらく無言で見つめ合い、もう二度とお互いを見失わないようにと、強く抱きしめあった。
柊の胸の中で茉乃がクスッと笑いながら話す。
「私せっかく準備してたのに、指輪とネックレス以外の荷物、全部向こうに置いてきちゃった・・・」
茉乃のその声に、柊はあははっと明るく笑う。
「それだけあれば十分。・・・いや、茉乃がいればそれでいい。よし、じゃあまた一緒に一から買い物だ。家具も服も一緒に買いに行こう。あ、それから今度こそ絶対に、お揃いのマグカップ買うから!」
「あはは!もう、仕方ないなあ!」
そう言って二人で微笑み合い、互いに引き寄せられるように、ゆっくりと唇を重ねていった。
静かな二人だけの時間が流れるその部屋で、優しく落ちてくる夕闇が、静かに二人を包み込んでいった。
終
拙い文章を最後まで読んでいただいて、本当にありがとうございました!




