最終段階
その日、茉乃は柊と一緒に帰ることがどうしてもできず、先にタクシーで帰宅した。夕食は簡単なものを作り、ラップをかけて部屋に戻った。
そして一時間後。
茉乃が部屋で一人過ごしていると、チャイムもノックも無しに柊が部屋に入ってきた。
「茉乃!」
「柊さん・・・!?」
茉乃の部屋のソファーの上で抱きついて離れない柊を、そっと宥めて体を離す。
「茉乃、俺、本当にごめん。ただ、一緒に居たかっただけなんだ。もう本当はずっと君のことが好きだった。たぶん自分でも気づいていなかったけど、向こうの世界にいる時から・・・君の声が、子供たちに向けた笑顔が、図書館で本を読んでいるその横顔が、本当に好きで・・・どうしていいかわからないくらい君が好きだったんだ。」
柊は茉乃の手を離さない。
「本当はわかってた。多少無理をしてでも向こうの世界で君の力を吸収すればそれでよかったかもしれないって。失敗しても君は数日体調が悪くてぐったりしちゃうことになったと思うけど、死ぬほどのことにはならない。でも、もっと知りたかった。どうして俺が君にこんなに惹かれるのか。どうしたらもっと君と一緒にいられて、俺のことを知ってもらえて・・・もしかしたら好きになってもらえるのかって。」
「柊さん・・・」
柊の目は今まで見たことがないほど怯えていた。
「茉乃、いなくならないでくれ。だめなんだ。もう。君がいない世界なんて意味がないと思えるくらい、大切なんだ。だから・・・」
「柊さん。」
「茉乃!」
茉乃は、覚悟を決めた。
「私の力を、柊さんがしっかり吸収してください。そして早くこの世界に文字を普及させていってください。それが柊さんの願いでしょ?」
「うん。でも・・・」
「大丈夫です。もう納得しましたから。私は何一つ後悔してないし、ここに連れてこられたことを恨んだりもしていませんから。だから、明日。ちゃんと実験しましょう。それで、きちんと終わらせましょう?」
終わらせる、という言葉に、柊はなぜかビクッと反応した。
「それって・・・いや、何でもない。わかった。明日一緒に実験をしよう。それで、きちんと決着をつけよう。」
茉乃は頷いて柊の手を取り立ち上がった。
「夕飯、部屋に置いてあります。しっかり食べてから休んでくださいね。約束です!」
「・・・わかった。」
そうして柊を部屋に帰し、茉乃はしばらくソファーの上で何もできずテーブルの上の指輪を眺めていた。
翌日は柊と一緒に研究室に入った。
鷹宮はいなかったが、江口が待っていた。江口はローブをしっかり着込み、柊はいつものスーツ姿のまま立っている。
まずは柊が茉乃の手を握り、茉乃は力を流す。前回の時よりも強く流すが、柊はピクリとも動かなかった。
少しクラッときたが、茉乃はゆっくりと手を離してから少し離れたところで見守ることにした。
「この資料だけでいい。声もできるだけ出さず、力だけで頼む。」
「わかった。」
江口は魔法具で撮影している。柊が目を瞑る。
手を資料にかざすと、ふわっと茉乃の方まで力が届くような感覚があった。そして彼が目を開け、江口と茉乃が死霊に近づく。
「できてる。」
「うん。ちゃんと文字になってるね。」
「・・・そうか。」
そうしてその後もしばらく、いくつかの資料や少し長めの本で力を試していった。長いものはさすがにかなり時間をかけないと難しいようだったが、短いものは一瞬で文字が再生されていくことがわかった。
江口が何度か力をチェックし、応用させるために必要なことや他の人でも使えるものなのかをチェックしていった。
「うーん、やっぱりまだ誰でもできるって状態ではないな。力もある程度必要だけど、鈴村の中でも形になっていない。感覚的にできているだけなんだろう。天才はこれだから困る。」
「仕方ないだろう。茉乃から受けた感覚しか手がかりがなくやってるんだ。そこを何とかするのがお前の仕事だろ!」
「はいはい、わかりましたよ。でもまだ時間はかかる。少し仕事の時間を空けておいてくれ。よろしく。」
そう言って江口は席を立つと一人外に出ていってしまった。
茉乃は何となく力が抜けて、その場にあった椅子に座ってぼーっとしてしまった。柊がそんな茉乃に近寄り、手を握る。あの不安そうな、怯えたような目で、茉乃を見つめていた。
「茉乃?」
「ようやく、終わったんですね。」
「・・・うん。」
「よかった。私少しは、柊さんのお役に立てましたか?」
「それはもちろん!もちろんだよ!」
「そっか、よかった・・・。じゃあ、柊さん、私、帰ります。」
柊が目を見開く。
「帰るって、部屋に、ってこと?」
「・・・向こうの世界にってことです。本当はもう、帰れるんですよね?私。」
「・・・どうして・・・」
「何となく。柊さんの様子がおかしかったから、かな。でも半分はカマかけちゃいました!」
茉乃は笑って椅子から立ち上がり、一歩後ろに退がる。
「柊さん。私達、お別れ、しませんか?」
そしてその瞬間、奥の部屋の壁が文字通り、凍りついた。




