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失ったものは

 その日はそのまま研究室を出て、すぐに家に帰ることになった。柊はただ悲しそうな笑顔で茉乃の手を握り、ゆっくりとその手を引いて車まで移動する。


(体は至って元気なんだけど・・・心配かけちゃって申し訳ないな)


 茉乃はその気持ちをどうしても伝えたくて、手をぎゅっと握る。柊は驚いて足を止め、どうしたのと聞いてくるのでもっと困ってしまった。何でもないと伝えたくて首を横に振り笑顔を向ける。


(この世界では筆談もできない。どうやって考えていることを伝えたらいいんだろう・・・)


 すっかり困り果ててしまった茉乃だったが、どうにかなるか!と開き直って前を向いた。この世界に来て、色々なことを経験して、少しずつ現実に自力で立ち向かえるようになってきた。この状況だってきっと何とかなる、そんな気持ちで自身を奮い立たせる。



 いつものように車でマンションまで帰り、自分の部屋に帰ろうとした時、柊に呼び止められた。



「茉乃。少し話をしようか。」



 柊が自分の部屋に連れていく。いつものようにソファーに座り、暖房を入れてミルクティーで温まる。何気ないその時間が、茉乃にはとても大切な時間に感じられた。



「今日のこと、江口に細かく話を聞いた。市村は・・・たぶん何かしらの処分を受けることになると思う。少なくともこの研究所からは離れてもらう。」


 さすがにそれは仕方ないか、と茉乃も頷く。


「鷹宮にはまだ話を聞いていないからわからないが、何も知らないとしても部下のやったことを管理できていなかった責任は取ってもらう。ただ、君のその状態が良くなって、今の役割をある程度果たしてもらってからとは考えている。嫌な気分になるかもしれないけど、大丈夫?」


 茉乃はゆっくりと頷いた。以前の自分だったら無理だったかもしれない。でも今は自信を持って大丈夫だと言える。柊の前では、絶対に自分や自分の現実から逃げたくなかった。


「うん。茉乃は偉いな。でも辛かったらちゃんと俺に言うこと!あ、言うのは無理か・・・じゃあ手を握って!それで伝わるから。」

「・・・」


 早速手を握ってみると、柊がその手を引き寄せて抱きしめた。言葉が出せない分、想いが募る。



「茉乃。愛してる。」



 それはふいに訪れた魔法の言葉だった。



 茉乃の目から涙がこぼれる。そしてそっと体を離して柊の両手を握り、江口との実験で学んだことを試していく。


「茉乃?」


 ふわっと体中の力を集めて、柊の手の中に送り込んだ。


「これ・・・うわ・・・これが茉乃の力・・・?」


 少しでも自分の想いを伝えたくて無茶をした。フラッとなってソファーに倒れ込む。


「おっと、大丈夫か!?」


 慌てる柊の顔が優しくて申し訳なくて、茉乃は頑張って笑顔になる。


「何その顔?あはははは!茉乃、無理して笑わなくていいから!全く、こんな時まで俺のことばっかり考えてくれて・・・ほんと、もう俺・・・」


 柊は、泣いていた。



 初めて見る彼の涙に茉乃は動揺する。泣かないでと伝えたいのに何も伝えられず、ただオロオロとした後、彼の頬を両手で挟んだ。


「むむむ」


 声は出なかったがおかしくてつい笑顔になる。今度は自然な笑顔があふれた。柊もつられて笑顔になる。


「そうだ、茉乃。タイミング悪かったけど、これ、前に言ってた通信用の腕時計。右のボタンを押すと俺と映像と音声で繋がる。左のボタンで時刻合わせとかができるよ。俺も同じものを常に付けているから、茉乃も外さないで。」


 そう言って柊は、テーブルに置いてあった箱から何やら取り出す。茉乃の左腕を持ち上げると、そこにデジタルな腕時計を付けてくれた。一見すると何でもない腕時計だが、かなり難しい魔法技術が使われているらしい。


「声は聞こえないけど顔は見える。困ったことがあったら必ず連絡して。絶対にすぐ出るから。」


 茉乃はわかったと言うように大きく一度、頷いた。


 そして柊は無言のまま、茉乃を引き寄せ、いつもよりずっと優しく、そして深く、唇を重ねていった。




 それからの一ヶ月間、本を読むことは当然できず、なけなしの力をふるいながら、江口、沢木、結城、川田と魔法術の相性を見ながら実験を繰り返していった。


 それ以外の時間はできるお手伝いをして過ごし、話ができない分、掃除と片付けに明け暮れていた。



 市村はどうやらあの後、柊を含めた上層部で会議にかけられたらしく、あの恐ろしい本の調査も含め、別の場所で事情聴取のようなことをされているとも聞いた。


 そして鷹宮とは、必ず江口や川田がいる場所で会い、淡々と魔法術の組み合わせのチェックだけ行っていく状況が続いている。



「藤堂さん。」


 そんなある日、少しだけ一人で研究室にいた時、鷹宮が声をかけてきた。


「ずっと誰かがいて話せなかったから、その、謝罪が遅くなってごめんなさい。私が指示したわけではないとはいえ、市村のやったこと、本当に申し訳ありませんでした。」


 彼女は深く頭を下げ、茉乃に謝罪をした。何も答えられない茉乃は、ただそこに立って彼女が顔を上げるのを待っていた。


「でもこれは私の責任でもある。彼女にはきちんと解決方法を聞き出すから、もう少し待っていてください。まだきちんと話せていないの。お願いします。」


 茉乃は美しい彼女の顔が、すっかりやつれていることにようやく気づいた。そして頷く。


「ありがとう。藤堂さん、・・・それとこの間のバーベキューの時のことも、謝るわ。あんなことあなたに言うべきじゃなかった。久しぶりに彼に会えて、でも隣にあなたがいて、気持ちのやり場を無くしていたの。だからってあんな酷いこと言って、最低だったと思う。ごめんなさい。」


 その言葉にはどう返していいかわからず、もちろん何も話せないので、茉乃はただじっと彼女を見つめていた。


「私は結果を出せるまでここにいる。でもある程度キリがついたらここから離れるから安心してね。ここを離れたらもう二度と彼にも会うつもりはないわ。それだけはあなたに伝えておきたくて。・・・それじゃあ、また。」



 茉乃は少し痩せたように見える彼女の後ろ姿を見ながら、複雑な思いを抱える自分達を、ただただやるせなく感じていた。


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