次の段階へ
連休中、バーベキュー場での失態を柊に責められ、キスやハグの嵐にあった茉乃は、嬉しい反面緊張しっぱなしの二日間を過ごした。もちろんとても幸せではあったけれど。
そのため、せっかくの連休、休めたようなそうでもないような少し疲れ気味の状態で、翌週のスタートをきることになった。
江口と川田との第二段階に向けた取り組みは、至ってシンプルだった。
これまでのように録音した魔法具を使わず、淡々と「文字再生」をかけていくというものだ。もちろんそのままでは何も起こらない。そこからどう変化を生み出すか、別の魔法術をかけたり、別の人が声を出したりしながら試していく。
そんな日々が、一ヶ月ほど続いていった。
十一月の終わりに近付き、厚めのローブを羽織る研究員が増え出した。研究室は寒いが、それぞれ魔法術を上手に活用しながら寒さを乗り切っているようだ。
こちらの世界の電化製品は、電気を使いながらも細かい機能は魔法術が組み込まれたものとなっている。そのため、こうした研究員達の地道な努力が、実は製品開発に生かされているらしいということも、最近茉乃は知って驚いた。特に下の四階の研究室では、そうした研究が多く行われているらしい。
「茉乃、次の実験するよ。」
「泉さん、川田さんがまだ戻ってきてないですよ?」
「いいよ。僕が動かすから、それ。」
そう言って江口はいつも川田が準備している録画するための魔法具をいじりだした。一見するとカメラのような見た目のそれは、レンズに見える部分に丸い特殊な石が埋まっているらしい。魔法術を使って録画をするのだそうだ。茉乃にはまったく使い方がわからず、怖いので触ったことすらなかった。
そして最近は江口との時間はだいぶ穏やかに過ごせるようになり、今では兄のように感じることも増えてきた。
「まーの、だからご褒美ちょうだいー。」
抱きつきそうになる江口の額をグッと手で押さえる。
(前言撤回。この人は調子に乗るんだった!)
「はいはい泉さん次行きますよ〜!」
ふざけながらもきちんとやるべきことはやりつつ、第二段階達成に向けて茉乃も気合いを入れ直す。
「うーん、いくつか魔法術を使ってもらったけど、どれもなんかしっくりこないんだよなあ。君の持っているものは基本言葉があって初めて発動するものばかりだから、どっちにしても応用が効かないし、僕の力を使ってみるか。」
江口がぶ厚いローブをロッカーから取り出した。ざっくりと羽織ると椅子に座った。
「泉さんの魔法術って見たことないなあ。」
「そうだっけ?でも何度も流したから知ってるでしょ?僕の一番深いところまで茉乃は知り尽くして」
「あーあーあー聞こえません!」
茉乃は大袈裟に耳を塞いで聞かないふりをする。
「ちぇ。まーいいや。じゃあ川田くん戻ってきたらやってみよう。」
「はい!」
そして三十分後、戻ってきた川田と共に、再び実験を始めた。
江口の魔法術はとても強いもので、茉乃は今日は結城のローブを借りて、江口の力を防御しながら自分の力を出している。川田は少し離れてその様子を魔法具で録画していた。
手を振るといくつもの魔法術が繰り出される。基本的な火、水、風、そして物を動かしたり物質の状態を変えたりする魔法術も試すが、どれも確実ではない。それでも反応したいくつか、特に風は強い反応があったのだが、それらをメモに取り、茉乃が文章化していった。
「うーん、何か決定的に違うものがあるのかな。でもここまでできるようになったのは大きな進歩だよ。二人ともお疲れさま。」
江口のその一言で、その日の実験は終了した。
帰る間際、江口から声がかかる。
「まーのー、今日鈴村遅くなるって言ってたよ。」
帰り際に聞かされて驚いていると、近くにいた川田も「ああ、会議伸びてるらしいっすね。」と言って奥の部屋に荷物を運んでいく。
「そうなんだ。じゃあここで待ってます。」
そう言うと、江口がニコニコしながら近づいてきて、
「じゃあ僕の部屋でお茶を飲もう!」
と誘ってくる。
「嫌です!あの部屋に行った時はだいたいろくなことがないんですから!泉さん一人で休んでください。」
冷たくそう言うと、江口は悲しそうな顔になりがっくりと肩を落とした。
「せっかく美味しいと評判のお店のチーズケーキ、買ってきたのに・・・」
江口はチラッチラッと茉乃の顔を見ながらボソボソ話す。茉乃が冷たい目で江口を見返しながら「子どもじゃないんですからスイーツで釣られませんよ」と言うと、ちょっとむくれてその場の椅子に座ってしまった。
研究室の窓からはさっきまで夕日が差し込んでいたが、もう暗くなっている。窓に近付き、ブラインドを閉めた。
「茉乃、送っていこうか?」
すぐ後ろから声がかかり、驚いて振り返る。江口の左手が窓のすぐそばに置いてある奥行きのあまり無い棚の上に置かれ、右手は今にも茉乃を取り囲もうとしていた。
「泉さん、いたずらはやめてくださいね。」
「いたずらじゃなければいい?」
「じゃあ触らないでください。」
「触らない。」
確かに触りはしなかったが、茉乃は江口に窓際で囲われてしまった。
「何、してるんですか!?」
「好きだよ。」
「・・・」
「鈴村が羨ましい。僕は君と毎日一緒に仕事はできるけど、君は僕のことを思ってはくれない。」
「それは・・・ごめんなさい。」
「僕の方が君と先に出会っていたら違う結果になってたかな?」
江口の顔が苦痛に歪む。
「・・・わかりません。」
手が少しだけ茉乃に近付く。
「今から嫌なことを言うよ?・・・あいつは、今回君を向こうの世界に帰すだけの力、一年も経たずに溜められると思う。」
「・・・え?」
突然聞かされた言葉と内容に思考が働かない。川田が奥の部屋でカタカタと何かを片付けている音だけが微かに聞こえた。
「どういうことですか?」
「魔法術は感情が高まるとより強く発動したり、予想以上の力を発揮する場合がある。あいつは元々天才だから、あんなとんでもない異能を持ち、さらにそれを発動できるだけの力があるけど、君との出会いで感情がたかぶっているから、おそらく相当な力が生み出されているはず。・・・つまり君を帰すのに、二年も必要ないんだよ。」
「そう・・ですか・・・。」
江口はさらに近付く。
「それをあいつだってわかってると思うな。僕達の実験がこのまま順調に進めば、君は研究室を離れるのにあと数ヶ月で済むし、そしたら向こうに帰れるよ。茉乃はどうするつもりなの?」
その答えを今出せるほど、茉乃の心に余裕はなかった。今の状況も問題だが、まさかそんなに早く別れの時が来ると思ってもみなかったからだ。
「と、とにかく泉さん離れてください!」
「えー、僕だって君と離れるのは嫌なんだけど。わからない?」
「わかりません!!」
「茉乃・・・」
甘い空気を醸し出そうとするのを無理やり止めて、茉乃は腕をくぐってそこから逃げ出した。するとその時ちょうど川田が奥から顔を出す。
「あれ、藤堂さんまだいたんだ!よかった!今奥の部屋に電話があって、もう少しでそっち行きますって、鈴村さんから伝言だよ。」
「あ、ありがとうございます!」
川田はじゃおつかれーと言ってドアを閉めて奥に戻った。
「私、外にいます。泉さんお疲れ様です!」
茉乃はもう振り向かず、研究室の廊下で柊を待つことにした。




