見えていく現実
翌日は残念ながら柊は仕事で出かけてしまい、恋人同士になって初の休日、とはならなかった。
それでも前日の夜のあの甘い時間は、茉乃をその日一日幸せにするだけの威力を持っていたので、家中を掃除し、夕飯の仕込みを簡単に済ませてから、午後になりウキウキと外に散歩に出かける。
最近では見慣れてしまったその街並みは、もう違和感なく茉乃の心に映り込んでくる。
風が少し冷たくて、持ってきた薄手のウインドブレーカーを羽織った。
しばらく歩くと、何となく目的地としていた公園に着いた。以前ここで沢木に出会い、仲良くなったあの公園だ。周りの桜の木はだいぶ色が変わり、少しずつ葉が落ち始めている。
あの四阿はまだそこにあって、茉乃はゆっくりとそこに向かって歩いていった。
「マノちゃん!?」
後ろから声がかかりビクッとして振り向くと、沢木が走ってこちらに向かってきていた。
「沢木さん・・・?」
嬉しそうな表情を見ながら、茉乃はどうしようと目を泳がせる。
「やっぱりマノちゃんだ!久しぶりにここで会えたね。たまに寄ってみたりしたんだけど、なかなか君には会えなくて。」
「こんにちは、沢木さん。あの・・・以前お話しした件ですけど・・・」
沢木は茉乃の前に立つ。秋の日差しは以前より低くなり始めていて、少し逆光になって彼の表情が見えずらい。
「それって映画の件?それとも俺がまだチャンスが欲しいって言った件?」
「・・・どっちも、です。」
「そう。それで?」
「ごめんなさい。どちらも無理です。」
茉乃は深く頭を下げた。ゆっくり頭を上げてからも、顔を見ることはできなかった。
「わかった。」
沢木のその声にようやく少しほっとして、目を合わせた。そこには、苦しみの表情を浮かべる沢木の姿があった。
「沢木さん・・・」
「いいんだ。君達が以前廊下で話している姿を見て、二人の間に割って入るのは無理なんだろうな、とは思ってたんだ。でもなかなか諦めがつかなくてさ。今日は、会えてよかった。」
泣き出しそうな顔で微笑む沢木に、茉乃は何一つかける言葉は見つからなかった。
「ねえ、マノちゃん。鈴村さんとうまくいったの?」
「え!?」
「やっぱりか!今日何だかすごく綺麗だったから、そうかなって思った。」
「・・・」
沢木が片手を差し出す。
「じゃあ、これからも研究室の仲間として、よろしくお願いするよ。でも、沢木さんじゃなくてヒロさんて呼んで!せっかく仲良くなったんだから。ね?」
沢木の優しさに心が痛む。でもその気持ちに応えたいと、茉乃も手を差し出し握手を交わした。
「ヒロさん、ありがとうございます。まだまだお世話になります。よろしくお願いします!」
「うん。あ、マンションまで送っていこうか?」
「いえ、大丈夫です。」
「・・・わかった。じゃあ帰りも気をつけてね。」
「はい!」
そうして沢木と別れ、茉乃は四阿の中の木のベンチに一人腰掛けた。
ひんやりとした風がその場所を吹き抜けていく。
目を閉じて、元の世界のことを思った。戻る時にはまたあの夏の日差しを浴びることになるのか・・・などと思いながら、ふと現実に立ち戻った。
(私、向こうの世界に帰るんだ、いずれ)
祖母の待つ世界、大学生としての自分、大好きな親友、あの世界に置いてきてしまった全てを、そのままにしておくわけにはいかない。
(じゃあ、柊さんとはどうなるの?)
柊がずっと言い続けていたことが、ようやく実感としてわかってしまった。こうなることを心配してくれていたのだと。
「柊さん・・・どうしよう。もうこんなに好きになっちゃったのに・・・」
茉乃の小さなその声は、誰に聞かれることもなく、秋風の中に消えていった。
マンションに戻ると、茉乃の部屋の前で柊が待っていた。
「茉乃、ごめん。俺しばらく仕事がかなり忙しくなりそうなんだ。来週はあんまり一緒にいられないけど、その次の週は余裕ができるから、それまで待っててくれる?」
茉乃は笑顔で頷いた。さっき感じた不安も、心が通じ合ったのにあまり会えないことも、全て飲み込んで。
「大丈夫!夕飯とかも一緒は難しいかな。じゃあ帰りは来週だけタクシーを使うことにします!それなら柊さんも安心して残業できるでしょ?」
「ごめん、もっと茉乃と一緒に過ごしたかったのに・・・」
そう言って柊が茉乃を優しく包み込む。温かくて優しい人にこれ以上心配をかけたくない。
(この先離れ離れになるとしても、柊さんとの思い出をたくさん作りたいから。笑顔の思い出を残してあげたいから・・・)
「柊さん、私もです。でもお仕事は頑張らないと!ね?」
にっこりと微笑んで柊を見つめる。柊の体に包み込まれて、茉乃は嬉しくて切ないこの気持ちをどうしようかと、思いあぐねていた。




