新たな力、新たな関係
翌週、月曜日は憂鬱だった。
「マノちゃん!おはよう!」
「おはようございます。沢木さん。」
「マノちゃん・・・?」
あえて距離をとりたい茉乃は、ヒロと呼ぶのをやめた。仕事仲間として接することを徹底しようと、そう決めてその日は出勤したのだ。
「もう、ヒロって呼んでくれないんだな。」
「沢木さんは仕事の大切な仲間ですから。」
「この間は悪かった。俺が焦り過ぎてた。もう一度チャンスをくれないか?」
「・・・それは無理です。」
「マノちゃん!?」
沢木の手が茉乃に伸びてきた時、茉乃は「空気の壁を感じる」と言いながら手を振った―――
「マノちゃん、これ・・・なに?」
その空間には、はっきりは見えないが確実にもやもやした壁のようなものが生まれ、その後数秒で消えてしまった。
「ごめんなさい。沢木さんのことを嫌いになったとかではないんです。でも今はそういう接し方はしたくない。大事な仲間としての距離感を保っておきたいんです。」
沢木は近付かないまま茉乃を見つめた。
「じゃあまだ、チャンスはもらえる?」
「・・・今すぐは無理です。」
「うん。わかった。もう一度初めからやり直すよ。」
本当はチャンスなどなかった。自分の本当の気持ちに気付いてしまったから。
(私は・・・柊さんのことが好きなんだ)
でもその思いが成就することはない。だとしたら、心の整理をつける意味でも、心の中だけでも沢木という逃げ場を作っておきたかった。
(最低だってわかってる。ヒロさん、ごめんね)
そして、また日常が始まってゆく。
午前中の実技指導がついに結城の担当に変更となった。
結城の魔法術の知識は広く深く、沢木に教わっていた時よりも難しいことをいくつか教わることになった。
彼女は実践方法にも独特のルールやこだわりがあり、茉乃は習う以上は徹底しようと、繰り返し結城のこだわりを確認しながら進めていった。
結果、一ヶ月後には結城が教えてくれた魔法術のほとんどをマスターすることができ、さらに新しい魔法術を生み出すことができた。
それは、文字や単語、文とその意味をイメージしながらその通りに指で空中に描くと、それが魔法術として発動する、というものだ。
以前柊が見せてくれた花びらを描き出した魔法術に近いものなのかなと茉乃は感じていた。
「『氷の塊』現れて」
そう言って『氷の塊』を文字として空中に描くと、ガン、と音を立てて板氷のようなサイズの氷が机の上に落ちた。この新しい魔法術は、この世界に無いものや、巨大すぎるとか構造が複雑な物、動物などはさすがに出現せず、自然界にあるありふれた物や植物のいくつかは出せることがわかった。
「うん、いい感じね!あ、そうそう、その力は新しい魔法術として登録しましょう。誰もが使えるかどうかは別として、一つの参考になるし、特許みたいな感覚で捉えてくれたらいいわ。来週一緒に登録に行きましょ?」
「はい、わかりました!」
早速結城は申請に必要な、魔法術の録画をするための道具を貰いに事務室に出掛けていった。
そして茉乃は、最近ではもうそこに予め積んであるたくさんの本を確認する。この後午後の時間にどれを読もうかな、と思案していた。
ガチャ、と音がして、茉乃はドアの方に顔を向けた。
「マノちゃん。」
「柊さん?」
柊が珍しく研究室を訪れた。
最近は、相変わらず朝夕の送迎と夕食を共にする生活は送っているものの、それ以外の時間に話をしたり、ましてや出かけたりすることはなくなっていた。
(柊さんに研究室で会えて嬉しい、なんてダメだな私は)
あれから特に柊に女性の影が見えたりはしていない。だが噂になる程なのだから、いるにはいるんだろうと勝手に思っていた。
(早く諦めなくちゃいけないのに、何でこんなに素敵に見えるんだろう・・・)
思わずとろんと見つめていると、柊がスッと近寄ってきた。
「今日、金曜日だし、たまには夜外に食べに行かない?」
柊の思わぬ近さに赤面する。
「えっと、はい。行きます!」
「よかった、急だったから予定が入っているかと焦ったよ。」
そう言うと、なぜか茉乃の髪を人差し指で少し掬い上げた。その表情と仕草が、茉乃の感情を強く揺さぶっていく。
「な、な、何して・・・」
「何も。ちょっと埃がついてただけだよ。」
柊はさも何でもないことのように話し、伏せがちな目で茉乃に微かに微笑みかけた。あまりの色っぽさに、そういう視線に慣れていない茉乃は動揺が隠せない。
「い、言ってくれれば、自分で取れます!」
「うん。知ってる。」
「え?」
「じゃあ、夕方またいつものように迎えにくるから、他の予定は入れないで。いい?」
「・・・はい。」
柊は研究室を出て自室に戻る。
ここ一ヶ月は彼女の様子を見つつ、何のアクションも起こさず過ごしていた。あの沢木との遊園地デートの後、二人の間にできた大きな溝を少しでも埋めていきたいと思い、焦らずにいつもの二人を取り戻すことを優先した。
そしてだいぶ落ち着いてきた様子の茉乃を見て、今日は一歩前に進めたいと、彼女と生きることを決意してから初めての行動を起こす。
(茉乃、俺なんかに好かれちゃって・・・ごめんね)
でももう柊は前の自分に戻るつもりはなかった。彼女を諦めるつもりもなかった。
決して慌てない。一気に距離を詰めるようなまねは一切しない。
(君が怯えないように、ゆっくり、優しく、俺のことを好きになってもらうようにするから・・・だから)
柊は今夜の約束を楽しみにしながら、自分の午後の業務を始めていった。




