自由
神ロキ。悪戯と嘘。詐欺と偽り。狡猾と狡知。黄昏と火を司る女神。
終らせる者。幕を閉ざす者。
運命は、彼女に終末に向かうたった一つのレールだけを用意した。
人の子だけじゃない。神とて運命には逆らえない。
とある神はただそこにいるだけで賛美される。生まれた時から世界の光となる。
何を持って生まれるか。何を司るか。人々が才能や個性と呼ぶそれを、神々は権能と呼ぶ。
生まれ持った力。それはすなわち運命を決める力だ。
嘘の神は素直になれない天邪鬼で、悪戯の神は真剣に扱って貰えないまま、狡猾さは賢明さに認めてもらえず、黄昏が下りる。
変わり者。嫌われ者。裏切者。復讐者。秩序を乱すトリックスター。
定められた宿命からは逃れられない。
愛されたかった。認めて欲しかった。だけど、嫌われて当然の神が好かれることはなかった。
だから、自分に下された運命通りに、全てを滅ぼしたまで。自分と自分が愛した者を苦しめた輩に、復讐してやったまで。
たったそれだけの話。
だった、のに、なんで?
「なんだって?」
「君の噂はよく耳にした。私と共にアースガルズに来てくれないか。」
ロキは信じられないものを目にしたかのように目を見開いた。だってそうだろう。全部終わりにしたはずなのに物語の最初に戻ってるんだから、驚きもするだろう。
銀に樹木の色が溶け込んだ薄緑色の髪。
波打つように聡明さが溢れ出す深い蒼い瞳。
まだ、二つの眼を持っていた頃の神々の王。
義兄弟であるロキを躊躇なく見棄てた男神。
彼はまるで初めて会ったみたいな台詞を吐いて、ロキに手を伸ばしている。
「嫌だね。」
その言葉は無意識に出た。現在の状況はサッパリ分からないが、未来の状況は分かる。付いて行ったら、待つのは茨の道だ。いや、修羅の道だ。
またこの嫌な奴と永い年月を付き合って行かなきゃならないなんて、最悪だ。
ロキは考える。これは過ぎ去った過去を走馬灯として見ているのか?それとも自分は未来の出来事を予知しただけで、現在を生きているのか?
それとも、過去に戻ってしまった?
だとすると、これは運命の女神達の仕業?
運命という概念を司る3姉妹を思い出してロキは顔を濁らせた。彼女にとってはあの3姉妹こそが事の発端、元凶と言えなくもなかったので、思い浮かべるだけで怒りが湧いて来る。
それを見てどう思ったか、アースガルズの王が慌てたように手を引っ込む。
「すまない、いきなりすぎたか。謝ろう。ちゃんとした自己紹介もまだだったな。」
「いや、いい。」
「私はオーディン。アースガルズを統治する最高神だ。」
「いいつったのは気にしなくていいって意味じゃなくて今更紹介なんて要らないっつー意味だよ、クソが。」
オーディンを突っぱねたロキが周りの景色を見渡した。何もない平原だった。あるとすれば今自分が座ってる岩くらい。そういえば、こんな場所で初めて会ったんだっけ。
長い草が風に揺れて、青い空に雲が流れる、平凡な風景。天界のどこにでもある野原で、私達は出会った。
そして今、再び出会ってしまった。
だけど、義兄弟の契りを交わしたあの頃と違って、目の前にいるのは憎き復讐の対象に過ぎない。
「私はお前が気に入らない。」
「まだ会ったばかりだろう?」
「うっさい、帰れ。」
だがしかし、彼の言う通り今の彼らは初対面だ。今この時点では何も起きていない。終末のしの字すら始まってない。だから、ロキはオーディンが憎くても何も出来ない。腹いせをしたってまたロキが悪者にされるだけだ。
復讐するにしたって、もっと巧妙な策を用意する必要がある。
嫌われるのは慣れたけど、もし、これがもう一度やり直せるチャンスならやりようによっては──
「って、アホかてめぇは!」
「?!」
ロキは膨れ上がる期待を無理矢理潰した。やり直すにしても、アースガルズの神族どもと仲良くやるつもりはなかった。
上手く行って彼等の輪に入れても、虚しいだけだろうから。
もし、以前と違う行動を取ったことで彼等に好かれたりしたら、人間関係が破綻してたのは自分の行いが悪かったからと思わざるを得ない。棄てられたのも、仲間と思われなかったのも全部。
ロキは自分の罪を認め受け入れているが、全部が全部自分のせいだとは思わなかった。だって、先に喧嘩を吹っ掛けて来たのはどう考えてもあっちだったじゃないか。
勝手にこっち側に悪党のレッテルを貼り付けておいて、自分等は悪党よりも非道な真似をする。
ロキが被害者でありながら加害者であるように、彼らもまた、加害者である被害者なのだ。
唇をへの字に曲げたロキが腕を組んで顔を背けた。
「私とお前は相容れない。一目で分かる。はい、さよなら。どっかで狼に喰われておっちんじまえ。」
「悪いがそう簡単には退けない。私には君のような有能な人材が必要なんだ。」
やっぱりそうか。お前は、優秀な部下が欲しかっただけだもんな。義兄弟になったのも、私を縛る鎖が必要だったから、だろ。
切実な視線を見て見ない振りをしたロキは段々頭が冷めて行くのを感じた。
ここで、アースガルズとの縁を切ったらどうなる。
復讐は?全てが無かったことになったのなら復讐の理由もなくなった。まだ起きてもない事で復讐なんて出来ない。
だって、ロキはあの時復讐を終らせてしまった。復讐出来ずに回帰したのならまだしも、派手にぶっ飛ばしてからの回帰だ。自分の中で終止符を打ってしまった後なのだ。
暴れるだけ暴れて、黄昏の中で黄昏て。
正直、一人ぼっちの世界で消滅だけを待っていたロキは達成感も痛快感もなく、ただただ疲れていた。心も体もズタボロ。激戦の中、愛する子供達も喪ってしまい、生きる理由が何一つ残らなくなっていた。
新しい人生とか、考えたこともない。やり直しが出来るなんて、思いもしなかった。
いつも崖の上で落ちそうになっていた。後ろには迫る敵。前に進むと破滅。選べる道なんて無かった。それでも、ロキは選択した。誰かに押されて落ちるのではなく、何もない先に進むことを自分の意思で選んだ。
後悔はない。未練もない。背負っていた物を降ろして、スッキリしていたのに。
またあいつらと暮らさなきゃなんねーの?何それ、つら。
「ぜぇぇったい嫌。」
「どうしてそこまで拒むのかね。君にも良い話だろう。王の参謀は優遇される。」
「優遇だぁ~?」
いいように利用されるの言い間違いだろ。
一頻り嘲笑ったロキが言葉を放つ。
「私は自由でいたい」
あ、そうか。私は自由なんだな。
ロキは言ってから気付いた。今の自分はどこにも所属していない、野良の巨神だ。気ままに天界を冒険する旅の道化。
王に出会う前の道化。真っ黒に燃え尽きる前の火の粉。裏切者でも復讐者でもない本来の自分。
過去に戻ってから憎いはずの相手への殺意を押し殺せた理由が、ようやく分かった。ロキはもう彼等とは関わりたくないのだ。あんな苦労を二度もしたくはないと、疲れきった心が叫んでいる。
「私はお前の部下にも、仲間にも、友にもならない。」
ならば、なれなかった未来を、ならない未来に変えよう。
「だったら──」
「言っとくけど、義兄弟にもならないからな。」
道化はあの世界で、王を絶望に突き落としてやった。そして世界は終わり、王は死んだ。ロキを犠牲に大義を貫いたオーディンは、もう何処にもいない。ロキを縛るものは何も無いのだ。
同じだけど新しい世界。同一人物だけどロキにとって何者でもない王。
「ただの道化で出演させてもらう。」
ロキがニヤリとチェシャ猫のように笑った。
最初から別の道を選んでしまえばどうなるだろうか。未来が変わる。運命に嫌われた道化によって。
悪役に懲りた道化が舞台に上がる。
物語の幕が上がった。どこかで劇場の扉が開く音がした。




