道化と女王
適当にあしらっても執念深く追い掛けて来るオーディンを罠に嵌めて、逃げ切ることに成功した。
一人になったとこでロキは頭を回転させる。現状について断言出来る程の結論は出せないが、考えられる可能性は絞りだしておかないと。いつまでも漠然としている訳にもいかないだろう。
神の認知能力は時空を越える。過去、現在、未来。神はどこにでも存在し、自分の身に起きるどの出来事も知ることが出来る。それが予知能力に繋がる。
だが、因果が生まれぬようにと、読み取ることが許される範囲は辿った時間のみとされている。運命の女神達の権能によって全ての神の認知能力が抑えられているのだ。
彼女等より強大な神力を持っていても逆らえない。例外があるとすれば、飛び抜けた予知能力を持った者のみ。
ロキはその範疇には入らない。本来なら未来なんて知るわけがないのだ。
だとすると、やっぱり回帰というのが一番説得力のある仮説だが···。どうして過去に戻ったのかがさっぱり分からない。
「ま、そこはどうでもいいけどな」
神が居なくなって管理人を欲した世界が自ら時を巻き戻したとか、考えようによっては幾らでもそれらしい説は出てくるのだが。
解らない問題を抱えてくよくよするより、都合の良い方に解釈して忘れた方がずっと良いに決まっている。
未来を知っていることも、難しく考える必要はない。因果だろうが運命だろうが、気にせず自由にやっていけばいい。いつから世界の命運を気に掛ける出来た神だったというのだ。ロキは自分の行動で世界がどうなろうが知ったこっちゃなかった。ただ、愛する者達を喪う最悪の事態さえ防げれば充分だ。運命に正面から逆らう道だけれども。
ロキがアース神族にならなかった時点で既に運命は変わり始めているし、心配するにしたって今更感が凄い。これから益々変わっていくだろうし、取り合えずはパラレルワールドという認識でいいはずだ。
もし、他にも記憶があるやつがいたら?なんて心配も多分しなくていいだろう。
過去に戻った理由はチンプンカンプンだが、以前という未来の記憶がロキに残っている理由はなんとなく分かる気がしたからだ。
ロキが回帰する直前、ロキ以外の全ての神が消滅しロキは唯一神となった。即ち、過去に針を巻き戻す直前、世界にいたたった1柱の神だったということ。そしてその世界には、運命の3姉妹も居なかった。
つまり、唯一神となって神格が上がり、抑える奴がいなくなって認知能力が無事に働いたまま、巻き戻しを開始する時点、その場に存在していた──三つの条件をクリアしたことで回帰を認識出来るようになったのだろう。
そんな極悪な条件をクリアしたのはロキ一人だけだ。最高神だったオーディンですらリセットを免れなかった。世界を滅ぼした特典みたいなものである。
ロキは腕を組んだままうんうんと頷きながら空を走るという、端から見れば奇怪な動作で宙を駆けた。
足の動きに合わせて空飛ぶ靴がゆっくりと速力を落とす。手を伸ばせば届きそうな雲を見上げたロキは、オーディンを完全に撒いたという確信とともに周辺を見渡した。
思うがままに旅をしていた頃だから、突然過去に戻ったロキとしては今自分がどこにいるのかも定かではなかった。
「川?」
海に流れる川を見付けたロキが眉をひそめる。九つの世界でここまで大きな川が流れる世界は半数にも満たない。
地上に下り立ったロキは川に囲まれた城壁を遠目で見て前髪を掻き上げた。
頭の中でここが何処か算出したロキが虫を噛み潰した顔で呟いた。
「やっべ、ここは」
「あなたは誰?」
「げっ」
「可笑しな反応ね。私を見てそんな顔する人、初めてだわ」
こっちとしては当たり前の反応なんだよなぁ。
声を掛けてきた女神の姿を捉えたロキは一瞬表情筋が制御出来なかった。どうやら相当酷い顔をしてしまったらしい。
引きつった顔を収拾したロキがそっと視線を逸らす。
美しい薔薇には棘があるって言うけど、この女神を例える言葉として、薔薇とか棘とかじゃ甘過ぎる。
戦争と豊饒を司る、愛と美の女神、フレイヤ。
彼女は、無数の蜂を引き連れた女王蜂だ。
この世で一番美しいと評判の、完璧な顔の形。太陽光を受けて高貴な光を放つ金の髪。心臓と血液の色に輝く瞳。眩しく照される白い肌は、身体中が宝石で出来ているみたいだ。男どもの目を眩ませ、狂わせる、甘い密を垂らす女王蜂。魅了された獲物は毒針の餌食となる。
しかし、男女問わず惑わすその魅力に、ちっとも惑わされなかったロキは彼女とかなり、仲が悪かった。
よく言えば悪友、悪く言えば仇。
悪感情を持っていたのは明らかにフレイヤの方だったのだが。ロキの無神経な行動で、意図せずにフレイヤが被害を受けたりして、結果だけ見ればいつもロキがフレイヤを虐めたみたいになってしまうというか。と言っても、何気にロキの方も毎回被害がでかかったりして。関わると両者が酷い目に合うという、複雑な関係である。
「···関わるとろくなことがなさそうな面してっからよ」
「そうね、当たってるわ。凄いわね、あなた」
「自分で認めるか、普通?」
「本当だもの。ろくなことがないわ」
同意を得ようとした言葉ではない。同意されるとも思わなかった。
気持ちが沈みきった顔にロキが思わず後退る。
「···何かあったのか?」
「優しいのね」
「あん?」
「関わりたくないってい言い方してたじゃない。なのに、関わろうとしてる」
別に思い遣りから出た言葉ではなく、思わず飛び出した言葉なんだが。独り言だったんだが。
勘違いしてるんなら、まぁそれでいいけど。
「お前が辛気臭い顔してるからだろうが」
「ふふふ」
何やら黒く変色した地を眺めて憂鬱な空気を醸し出している女神に近付いたロキは、隣に立って同じく土に目を遣った。
「私が管理していた果樹が···、ヴァナヘイムの皆で大事に育てていた林檎の樹がね、荒らされたの」
「林檎?」
辛うじて何かがあった痕跡は残っているが、リンゴの木だと聞く前までは果樹だと全く気付かなかった。跡形も無い更地には黒く焦げた植物だけが生えている。生命力で溢れるべき川辺には生命の気配がなく、生命が芽生えた面影もない。
ここではもう、果実は実らないだろう。
「木の実まで全部やられて、一から育て直すことも出来ないわ」
フレイヤは一拍置いてから、少し落ち込んだ声で話を続ける。
「ヴァン神族の権能で育て上げた、世界でたった一つの黄金の林檎だったのに」
「なんだと?」
黄金林檎はロキにとっても馴染みのある物だ。しかし聞き捨てならない話が混じっていた。
世界でたった一つ?
ロキの知る限り、ヴァン神族に黄金林檎はなかった。九つの世界で黄金林檎はたった一つ、アースガルズにあるものだけ。
だが、ヴァン神族が心血を注いで造り出したものを、アース神族はどうやって手に入れた?
導き出された答えに、ロキが思わず絶句する。
オーディンの奴、イズンに管理を任せた黄金林檎の樹はここで盗んだものだったのか!
果実を盗み、アースガルズが唯一の黄金林檎の所持者となる為にここの樹を燃やしたのだ。うっわぁ、外道。
「種から作り直すってのは?」
「あれだけの神力、もう集められない。私達数千年は費やしたもの」
ロキの知る歴史でヴァン神族がアース神族に戦争を仕掛けて来た原因も、フレイヤが戦いの火蓋を切った理由も、これで説明が付く。こっちには大義名分があったのだ。
納得した顔のロキが訊ねた。
「諦めるつもりか」
「······」
あれ、マジで?地獄の果てまで犯人を追い掛けると思ったのに。
ロキの知るフレイヤという神はもっとしつこい奴だった。こんなことで、こんなしけた顔はしない。音を上げるには早すぎる。
違和感を感じたロキは思考を巡らせる。
もしかしたら黄金林檎を守れなかったせいで、ヴァン神族に内乱が起こったのかも知れない。最も責任を問われるのは管理を任されていたフレイヤの筈だ。その出来事があって、自分の物を決して手放さない性格になったという可能性もある。
ここから遠い未来、アースガルズとヴァナヘイムが平和協定を結ぶ時、フレイヤを含めた3柱はアース神族となった。その際アース神族がヴァン神族に対してかなり失礼なことをしでかしたのにも関わらず、フレイヤ達はヴァナヘイムへ帰らなかった。ヴァン神族に味方せず、ヴァン神族ではなくアース神族としていることを選んだのだ。アース神族としては再び戦争をするはめにならなくて助かったけど、故郷を捨てたのには理由があったはず。
大切な黄金林檎を守れなかったと相当責められたのではないだろうか。フレイヤと共に来ていたフレイとニョルズはフレイヤの家族だ。フレイヤの意思を尊重したのだろう。
「···そう簡単に諦めんなよ」
どうであれ関係無いが、こんなしおらしいフレイヤを見てると気が狂う。他はともかく、ロキの前では鋭い目付きで強気な女神だったのだ。
ロキは静かにため息をついた。始終口喧嘩ばっかしてたけど、ロキはフレイヤのことが嫌いではなかった。フレイヤがロキを嫌っていたから、意地になって全力で嫌がらせをしてただけ。仲は悪くなる一方だったが、やっぱり嫌いにはならなかった。
欲深い神は好きだから。愛の歪みと闇を知る神は、貴重だから。
同じ愛され役でも、どっかの爽やか男神とは違うのだ。
···まぁ、ここで黄金林檎の奪還を手伝うと、後々面倒なこと減りそうじゃね?
ちょっぴり出しゃばってみるか。
「気が付いてるだろうが、多分果実を盗まれてるぞ。盗人に見当がつく。取り返してやるよ。遠くには行ってないはずだ」
「···あなたが?何故?私は何もあげられないわ」
私に何を求める気?というフレイヤの目線にロキは妙にイラッとして白い目を向けた。
どうやら、フレイヤの美貌に惹かれて彼女に言い寄る輩と一緒にされてるらしい。ていうか、満更でもない顔すんな。そういうの嫌がるくせに、いざ自分の美しさになんともない反応で返すと不満に思うのが実に面倒臭い。
こいつ、初対面で『げっ』とか言われて根に持ってやがる。
「バーカ。暇だから付き合ってやるだけだ、警戒すんな」
間違ってでもお前が可愛くて手助けしよってわけじゃねーよアピールをすると、フレイヤが安心と不快が入り混じった曖昧な表情を浮かべて頷いた。
実際、利益がなかったら干渉なんてしてない。深く関わらない範囲でオーディンにささやかな復讐が出来る上に、あちらに非があるから誰も文句を言えない状況。絶好のチャンスとはこの事だ。
とはいえ、まだフレイヤがロキを見る目はどこか探っている感がある。
「一緒に来るか?」
「え?」
「黄金林檎を見たら私の気が変わるとでも思ってんだろ。最初からリンゴが狙いだった線も疑ってんじゃねーの?」
疑われるのは、正直どうでもよかった。昔だったらカンカン怒ってたかも知れないが、慣れとは怖い。何億年も問題児扱いをされたロキは今やどんな疑いの眼差しも軽く流せる鋼のメンタルになったのである。
しかし、タダ働きなんざ疑われて当然だ。世の中そんな甘くない。何か企みがある行動に見えるのだろう。ロキはただオーディンの計画を邪魔したいだけだが、フレイヤはそれを知らない。だからそれっぽい物を要求せねば。だが、求めすぎてはならない。余計警戒される恐れがある。
ロキは暫く考え込んで、指を鳴らした。
「報酬は、そうだな。黄金林檎の木の下でピクニックがしたい」
「ピクニック?」
フレイヤが拍子抜けした顔で呟く。
「ああ、たまに寄ってのんびりして行くよ」
ここ景色良いし、お昼寝場所にピッタリだよなぁ。
ロキの呑気な言葉にフレイヤが唖然とする。
「心配しなくても取って食ったりしねぇから。なんなら、私が来る度に監視してもいいぜ」
「のんびりしに来るのに、監視されるのはいいの?全くのんびり出来ないと思うけど」
「不便なのは監視する側であって私じゃないんでな。裸じゃあるまいし見られるくらいどうってことねーよ」
フレイヤがなんとも言いがたい表情でロキを見つめた。完全に不思議な生き物を見る目だった。
「んな目で見るなよ。ゆっくり出来る場所って、私にとっては結構な報酬なんだぞ?」
今のロキは屋根無しの野良神だ。
大昔、というか過去に戻ったから現在というべきか。この時期のロキはあっちこっち旅をしていて野宿にも慣れたものだが、安心して休める場所があるかって言われたら皆無だった。いざという時休憩出来るセーフティーゾーンは貴重だ。
「そう···」
フレイヤが焦げた跡地を一度振り返ってから、小さく頷いた。
「じゃあ、協力をお願いしようかしら」
付いて行くと言わんばかりに横に立つフレイヤを一瞥して、ロキが先に歩き出した。
「んじゃ、行きますか」




