Thinking Time.
「とにかく、威勢よく啖呵を切ったんだから、世界をどうするのかくらいちゃんと考えておきなさい。私だってあんたの味方じゃない、ただの一時的な停戦協定なんだから」
最終的にそう結論付けて、吉野は秋東に解放された。
一時的な停戦協定。
吉野に見切りをつけてしまえば、いつでも秋東は吉野の敵に回る、ということだ。
味方ではなくとも少なくとも敵ではないという現状、軽々しく秋東を敵にしたくはない。
だから考えなければならない。
古文の授業中、しかし授業をそっちのけでノートにあれこれと書き出してみる。
真柴から断片的に聞いていたこと、秋東から教えてもらったこと、自分の立ち位置、錬金術の世界との向き合い方。
それらを漠然と書いてみて、トントンとノートを叩く。
……あー。
内心に吐息する。
……どうしろって言うんだ、これ。
ほぼ四面楚歌。対処するための知識も足りず、味方もほぼなし。
しかしセネカといる限り、セネカの契約者である限り、吉野もまた一生狙われ続ける――いや、万が一吉野がセネカと別れても、やはりただでは見逃してもらえないんじゃないかとも思われる。知ってしまった人間を生かしてはおかない、というのは映画などでもよくある話だ。
……うーん。
一生狙われ続けるのは嫌だ。
けれど、セネカを渡すわけにもいかない。いつぞや真柴の言っていた、捕獲された後のセネカがどんな目に遭うかという話は大げさであったとしても、サンプルとして回収されるというのではあまりそこから遠ざからないのではないか。
いっそ、協会に加入してみるか?
というようなことを試みに秋東に提案してみたら、烈火の如く怒られた。その場で停戦協定を破棄されかけたくらいだから、もう二度とそんなことを考えるわけにはいかない。
ジルヴェスター・ラルフォンス。真柴と同じく『至高の三師』のひとりにして協会の長。
人形師としての腕もさることながら、人の上に立つ人間としても抜きん出た女傑。
そんな人間の懐に自ら飛び込んでいくなど、愚の骨頂をさらに超越する愚行である、と。
ゴミ屑でも見るような目で秋東に怒られた。
まあ、さすがにこれはないかな、と自分でも思った。そもそも真柴だって協会から逃げ続けているらしいのだ。それなのに吉野がセネカを連れておめおめと協会の手の内に入ってしまえば、秋東どころか真柴からも処刑されかねない。
……連絡、取れないんだよなあ。
真柴とは、秋東との戦闘中に電話があって以来、一度もコンタクトできていない。こちらからの電話も全く通じないし、向こうからかかってくることもない――無事なのかどうかも全く不明だが、少なくとも捕まってはいないだろうというのが秋東の予想だった。
「『至高の三師』を捕まえたともなれば、すぐに噂が広まるでしょ。それも聞こえてこないし……あの狡猾でテキトーな女が、そんな簡単に捕まるとも思えないしね」
一体秋東は真柴に対してどんな恨みがあるのだろう。
そもそも、どうして真柴はセネカを吉野のもとに置いていったのか。セネカが吉野を契約者に選んだから、と思っていたが、実際にその側面もあるのだろうが、しかしその主たる目的は何なのか。全くの素人、ついこの間までただの一般人だった吉野のところに、真柴自身と同じく協会に指名手配されているというセネカを置いていくのは、真柴とともに逃げ回り続けているよりも遥かにリスキーなはずだ。それなのに真柴は、あまりにもあっけなくセネカを置いていなくなった。セネカ自身はその点について何も思うところはないらしく(というか、吉野が契約者であるというところ以外にはあまり関心がない)、そういうところが秋東の言う「テキトー」なのかもしれないが……しかしやはり、腑に落ちないところはある。
吉野自身も、セネカを連れて逃げ回れということだろうか。
一ヵ所に留まっているのは、確かに危険だ――いくらでも敵に狙われ放題である。城を持たない魔王のようなものだ。しかし真柴にはそんなことをしろとは言われていないし、秋東も何も言わない。いや、秋東にとっては吉野が誰に倒されようとも都合の悪いことはなく、自分はセネカが他の誰かの手に渡る前に始末すればいいだけなのだから、漁夫の利も考えて指摘しないのかもしれないが。
いずれにせよ、吉野自身はあまり逃げ回ろうと言う考えは気が進まない。
現実味がない――この期に及んでも。
散々セネカの力を、戦いを見せつけられ、巻き込まれ、あまつさえ自分でも戦いさえしたというのに、吉野にはまだセネカと出会う前の日常から遠ざかっているという自覚がない。だから、世界中から狙われていると言葉面だけで理解していても、では逃亡生活だ、とはなり難い。
あまつさえ、秋東との一戦後は再びの平穏だ……人間、易い方へ流れやすく、慣れやすい。秋東はおかしいと言うが、吉野はそこまでの危機感を感じることはできなかった。
まあ、何とかなるんじゃないかな。
そんな、実に軽い気持ちだ。
だから今も、そんな簡単な気持ちで状況を理解する。
敵は全世界。どこに逃げても敵しかいない。
何だか知らないが現状は平穏だ。
真柴との連絡もつかず、セネカもほとんど何も知らず、秋東からもらえる情報もおおよそ理解した。これ以上、今の状況から知ることのできるものはない。
何をするにしても、硬直している。
つまり、今自分にできることは何もない。ただ、油断しないでおく、という程度のこと。
世界から動き出すのを待つばかり――いや、ひとつだけ、あるか。
秋東との停戦協定の条件だ。
世界をどうしていくのか。
これだけは、考え続けなければなるまい。
「……そうは言っても、なあ」
世界って。
規模が大きすぎて、やはり全くピンと来なかった。




