ようやくの、世界状況
秋東と停戦を結んだ後、吉野は再び日常へと戻っていた。
毎朝セネカを説得しつつ、学校へ通い、漫然と授業を消化し、放課とともに帰る。
基本的には、秋東が転校してくる前、もっと言うとセネカと出会う前と、ほとんど変わっていない。停戦後の秋東は相変わらず皆の人気者で、吉野に対してはこれまでと同じく、人目のあるところではほぼ接点をもつことはしなかった。
日常に埋没していく。
「なべて世はこともなし。平和なのはいいことだなあ」
「いいわけないでしょ」
ばっさりと切り捨てられた。
腰に手を当てて、呆れたように吉野を見下ろすのは他でもなく、秋東だ。
「おかしいとは思わないの? あれからもう二週間も、何もないのよ?」
そうは言われても、と吉野は寝転がっていた姿勢から上体を起こす。そうすることで降りた視界に映るのは、青空、高い鉄柵、遠景。
校舎の屋上だ。
本来は立ち入り禁止の場所である。それゆえに、この空間には人目がない。密会にはもってこいというわけだ。鍵に関しては秋東が魔法で解決してしまっているらしい。その魔法の行使者であるトルクシュタインは、両脚を投げ出して座るセネカの隣に浮かんでいる。
「……そんなことを言うために、俺をまたここに呼び出したの?」
二週間で痺れを切らして、またぞろタイマンでも挑まれるのかと恐々としていたものだったのだが。バカじゃないの、と秋東はさらに呆れを深める。
「違うわよ。あんたが何もしないから、どういうつもりなのか確かめてやろうと思っただけ。世界をどうするか決めるとか、随分と格好いい啖呵を切ってたくせに。何、ヘタレたの?」
言ったなあ、と思い出す。ほとんど勢いから出た台詞だ。本心でもあるけれども……ぶっちゃけ何も考えていない。
などと、正直に言ったら本当にぶっ飛ばされかねないので胸の内に秘めておいて、とりあえず視線を逸らす。
「二週間も、って言うけどさ。あんたのときは、一ヶ月近く何もなかったぞ?」
「それは、私が睨みを効かせてたからよ。こいつは私の獲物だから、手を出したらそいつもろとも木っ端微塵にしてやるって」
「物騒この上ないな……」
「でも、私は負けたわ。驚くべきことに。信じられないことに。堪えがたいことに」
「そんなに繰り返さなくても」
「闇討ちしてやろうかと思うほどに」
「……やめてね?」
「私が負けたことは、さすがに皆もう知っているはず。手出しはしなくても、リアルタイムで観測していた連中だっているはずだしね。それこそ、協会の連中はその筆頭のはずよ」
「――そうだ」
疑念を並べ立てる秋東を遮って、吉野は口を挟んだ。前回の戦闘の終わりに訊こうと思っていて、結局今日に至るまで聞けていない話だ。
「この間は結局聞きそびれたが……その『協会』って奴。それについて教えてくれないか」
「あー……ああ、そうね。そういえばそうだったわ。そんな話もしていたわね」
それすら知らないのだこの愚か者は、と明らかな蔑視を向けて、秋東はため息をつく。
「協会について、ね……そうは言っても、どこから話したものなのかしら。あんた、協会については本当に何も知らないの? さわりくらいは、真柴・鈴沙から聞いてたりしない?」
「さて、どうだったか……」記憶を探る。しかし、思い出されるのは謎の爆撃音ばかりだ。「えっと、真柴さんとセネカを指名手配してる、人形師や人形遣いを統括しようとしている悪の巨大組織……だったっけ」
セネカを見る。色素の薄い瞳はぼんやりとこちらを見返すだけで、肯定も否定もない。
まあ、と秋東は浅く頷いた。
「概ね、そんな理解で間違いではないわ」
「そうなのか? 悪の巨大組織なのか?」
「悪の、かどうかはともかく、確かに巨大ではある。ま、決して善の組織ではないから、悪ではないとも言えないんだけれど」秋東は肩をすくめた。「そうね。じゃあ、その辺りから話せばいいかしら。協会の持つ目的」
「目的って、人形師と人形遣いの統括、だろ」
「正確には少し違うのよ。協会の目的はあくまでも錬金術の発展。決してホムンクルスの乱用なんかを防ごうってわけではないわ。世界平和も勿論眼中にない。むしろ、錬金術の発展のためなら世界のひとつやふたつ、躊躇なく犠牲にするでしょうね」
「成程ねー……」
悪ではなくとも善でもない、とはそういうことか。悪にもなるし善にもなる。ただ目的に忠実なだけで、受け取る側の問題というわけだ。
「もともとは、中世に西洋にあった錬金術師たちの組合、ギルドって言った方がいいかしら、そういう組織を前身としているわ。ついでに言うと、協会が錬金術師の唯一の組織っていうわけでもない。暫定的に協会の下部組織ってことになってる、小規模な組織は結構な数あるわ。ただ、絶対的に組織勢力が協会に及ばない――例え協会以外の全ての組織が連合したところで協会には足元にも届かないほど、圧倒的に勢力がかけ離れているけれどね。勿論、そういった組織の中には少なからず、協会に反感を持っている連中もいる。だから、協会も決して一枚岩じゃないし、言わば最大徒党なのよ」
「下部組織って……じゃあ、世界中に点在している小規模な組織っていうのは、全部協会の下に入ってるわけ?」
吉野の問いに対し、いいえ、と秋東は首を振った。
「六割、ってところね。四割は静観している」
「へえ、六割か」
「バカにできる割合じゃないわよ。それに、残りの四割にも助力なんかを期待したりはしないことね。協力しないまでも、残り四割にだって協会と敵対したくない理由があるから」
「それは……攻撃を仕掛けたら潰されるから、とか」
「それもある。けど、もっと大きな理由があるわ。――真柴・鈴沙」
不意に出てきた名前に、ん、と吉野は首を傾げる。それくらいの反応は承知済みだったのか、構わずに秋東は続けた。
「真柴・鈴沙が何て呼ばれているか、あんたも一度くらい聞いたことあるでしょ?」
「何て呼ばれてるか……?」
吉野はいよいよ首を捻るが、しかし思い出せない。いや、そういえば真柴と戦った、天使を従えた男が何か言っていたような……あと一歩のところではっきりしない。困ってセネカを見ると、セネカは淡々とした表情を崩さず、
「『至高の三師』」
「ああ、そうそう、それそれ」
「……あんた、本当によくそんなんで……」
秋東は何やら本気で呆れているようだったが、吉野は何とも言い返し難い。
「で、その『至高の三師』が何だって? というかそもそも何なんだ、『至高の三師』って」
「『至高の三師』っていうのは、当代最高峰と称えられている三人の人形師のことよ。もっと言えば、今いるのは歴代でもトップクラスの三人とまで言われているわね」
当代最高にして歴代トップクラス。
そんなに凄い人物だったのかと、真柴本人を知る吉野はやや受け入れ難い。が、そもそもセネカという、世界中から狙われるほどの人形を創り上げているのだから、当然と言えば当然だ。
「真柴さんみたいのが、あとふたりもいるのか……」
「真柴・鈴沙は例外中の例外よ。あれは変人としてもトップクラス、はっきり言ってオンリーワン。――まあ、あの女はともかく」
なぜかは知らないが、とにかく秋東は真柴が嫌いなようだった。その辺りの話は、今は話題が逸れるから触れないが。
秋東は言う。
「真柴・鈴沙を除く残りふたり。そのうちひとりは、目下行方不明ってことになってるわ。ここ十年ほどね――死んでるんじゃないかとも言われているけど、数年ごとにその人形師の放棄されたアトリエが発見されるから、どこかで生きてはいるはず。人相も人柄も不明だけれど、生き方だけを見れば人形師の鑑のような人間よ。孤独に孤高に、ただ人形だけを創り続ける――」
成程、と吉野は頷く。恐らく、職人気質の人間なのだろう。あるいは芸術家か。
「それで、残りのひとりは?」
「ジルヴェスター・ラルフォンス」
素っ気なく、秋東は言った。
「『至高の三師』のひとりにして――協会の長よ」
「協会の……」
『至高の三師』かつ協会の長。そもそもホムンクルスの存在にしたところでつい最近知ったばかりの吉野では、それが一体どんな人物なのか想像もつかない。それどころか、名前からその人物が男なのか女なのかも判別しかねたが、それに関しては「女性よ」と秋東が教えてくれた。「それも凄い美人よ。還暦過ぎてるはずなのに、二十代の顔してる。妖怪というか、魔女よ」
「そんな人がいるから、協会以外の組織は協会と敵対したくない、ってことなのか」
「そういうこと。『至高の三師』なんて敵に回したら、どうなるかわからない――ってね。関わり合いになることだって御免なはずよ」
そんなに恐ろしいのか、と吉野は他人事めいた感想だったが、しかし現状その組織と、しかも明確に敵対しつつあるのだということに思い当たって、背筋が冷たくなった。
……大丈夫なのか、俺。
「そういえば真柴さん、とセネカって、その協会から指名手配されてるんだよな」
「ええ。協会としても、世界をどうにかできる最高のホムンクルスは、サンプルとして回収しておきたいのでしょう。勿論、錬金術の発展のためにね。それを創った真柴・鈴沙の捕縛も、目的は同じよ。無用な混乱を避けるため、っていうのは二の次ね」
「そうなのか……ん、あんたは協会の人間じゃないんだよな。それなら、別の組織なのか?」
「全然。私はフリーよ。組織は好きじゃないし、トルクがいればひとりでも問題なくやっていけるから。結構多いわよ、フリーの人形遣い。確か、あんたのところに初めて襲ってきてたのも、特にどこの所属でもなかったはず」
つまり、と吉野は考える。
セネカを狙うのは、小規模な組織の人形遣いや秋東のようなフリーの人形遣い、それに加えて協会という錬金術の組織中での最大手。
……簡単に言うと。
「全世界が敵か……」
思わず頭を抱え込んでしまった。改めて考えると、とんでもないことになったものだ。
そんな吉野を、秋東は呆れたように、セネカは無表情に見ていた。




