放課後の屋上に呼び出しと言えば
「――来て、くれたんだね」
屋上。夕陽に淡く縁取られる中、背を見せる彼女は戸を抜けてきた吉野に、そう言った。
「よかった。無視して帰っちゃうんじゃないかって心配だったんだよ」
言いながら、彼女――秋東は振り返り、風に煽られる髪を軽く押さえつつ柔和に笑った。
「……考えなくも、なかったけどな」
低い声で、吉野は応じる。
結局、来てしまった。
屋上の戸は、開いていた。鍵があったはずだが、どういうわけか開錠されていた。そしてその先には確かに、秋東がいたのだ。
ただ確認するだけのつもりだったのだが……ここまで来てしまうと、今更「それじゃ」と帰るわけにもいかないか。
「……それで、何の用だ?」
警戒は切らないまま、吉野は問う。吉野と秋東の間に置かれた十メートル近い距離が、吉野の警戒心を表している。
それをわかっているのか秋東は、心外だなあ、と苦笑しながらフェンスに寄りかかった。
「放課後に、屋上。この条件で可愛い女の子に呼び出されたら、テンション上がるものなんじゃないの? 男子って。それともひょっとして、それが吉野くんのハイテンション?」
ざっくばらんに、砕けた口調で秋東は言った。普段のおしとやかな雰囲気からはかけ離れた様相だが、不思議と違和感がない。こちらの方が素なのかもしれない。
「……別に。ただ、俺はそこまで自分に自信がないだけだよ」
あながち嘘でもない。そうなんだ、と秋東は笑った。
「ま、いいんだけど。その様子だと、あれかな、この状況がどういうものなのか、ある程度はわかってるのかな?」
値踏みするような視線を向けながら、秋東は言う。この状況、というのはまさか、先程秋東が言ったようなロマンティックなものを示唆しているわけではないだろう。
そのことを踏まえて、吉野は注意深く、応じる。
「……人形遣い、か。お前も」
「御明察」
ふーん、と秋東は破顔した。けれどもそれはやはり、好意的なものからは程遠い。見下すような冷え切った笑みだ。
「それじゃあやっぱり、あれと契約したのは吉野くんで正解だったわけだ。ホムンクルス七式――忌まわしき人形師、真柴・鈴沙の傑作」
真柴の名。セネカだけでなく彼女の名までもが出るということは、やはり秋東は人形遣いだということか。吉野の予想は正鵠を射ていたというわけだが、しかし全く嬉しくない。
懸念が現実になって喜べようはずもない。
セネカを呼ぶべきか、と吉野は迷う。いざ呼ぼうと言ってもどう呼べばいいのかはわからない。セネカは携帯電話なんてもっていないし、据え置きの電話だってない。
――何かあったら、必ず呼んで。
セネカの言っていた「何か」とは、これは該当しているのだろうか。しかし、だからといって軽々にセネカをこの場へ呼び出すことは、その手段を別にしてもまだ躊躇われる。なぜなら、秋東が人形遣いであるというのなら、
「お前もセネカを狙ってる……てこと、か」
問う、というより確認するようなニュアンスで、吉野は秋東に言う。人形遣いが吉野の前にわざわざ現れるとなれば、その理由はそれくらいしかないだろう。ならば、狙いのものをむざむざと現場に呼び出すようなことは避けるべきではないのか。見たところ秋東もまた人形を連れてはいないようだし、吉野にとって当面の危機というほどのものは――
思案を巡らせる吉野だったが、しかし秋東の返答は軽く、そして意外なものだった。
「まさか。違うわよ」
首を横に振って、秋東は心外であるとでも言うように鼻を鳴らす。意表を突かれて唖然とする吉野を見て、小バカにするように笑いさえした。
「何よ、その顔。あんた、人形遣いは皆世界を欲しがってる、とか思ってるの? やっぱり思ってた通り、バカなんだね」
そんなわけないでしょう、と秋東は呆れたように言った。
「世界なんて手に入れてどうするの? 私は現状に満足してる。――そもそもが、その『七式を手に入れれば世界が手に入る』っていうのも、根拠不明で怪しいし。協会が躍起になって回収しようとしているっていうのは気になるけど、でも私には関係ない」
滔々と、秋東は語る。その言葉を聞くにつけ、吉野はわずかに安堵し始めていた――世界など必要ない、という主張は吉野も大いに同意するところだ。それに、セネカを狙わないというのなら、つまりは敵ではないのかもしれない。味方とまではいかないまでも何か多少の助力は仰げるのではないか。少なくとも現状の吉野は、ほんのわずかな業界情報を得られるだけでもかなり助かるのだ。視線に感じた殺意はやはり吉野の気のせいで、ただ秋東の性格が素で悪いというだけなのかも――
「素で性格が悪くてすみませんでしたね」
「あれ、口に出てた?」
だって今の態度の方が不思議と違和感がないんだもの。
「……まあ、いいけど」
ふん、と鼻を鳴らして、秋東は勢いよく言う。
歯を剥いて、苦々しげに。
「私は世界はいらない。欲しいなんて思わない。けれど、実際に世界を手に入れられるっていう力があって、それを欲しがる奴なんてのはごまんといるわけね。それがどういうことか、わかる?」
問いかけるようにこちらを見ながら、しかし秋東は答える間を与えてはくれなかった。
「誰かが世界を手に入れてしまうかもしれない、ってことよ」
わかる? と秋東は再び言う。
「私が世界を欲さないままでいれば、誰かが世界を手に入れてしまうかもしれない。そして世界を望む奴なんてのは、十中八九ろくでもない奴よ。そんな奴に世界を明け渡してしまえば、現状満足の私の世界はどうなる? 当然、このままではいられない。――気に入らないわよね。全くもって、気に入らないわ。でも、それなら私はどうするか?」
決まってるわよねえ? と秋東は笑った。
凶悪に、凄惨に。
「元凶を断つ。――この場合で言えば、そのホムンクルス七式。それを再起不能なまでに徹底的に破壊してしまえばいい。世界への鍵を壊してしまえば、誰も扉を開くことはできなくなるでしょう? ――そして、そのために、もうひとつ」
す、と秋東は腕を上げた。人差し指で、まっすぐに吉野を示す。攻撃的に尖りきった秋東の気に中てられ、動けずにいる吉野を。
見据えて、嗤う。
「契約者を、抹殺する――契約者のいないホムンクルスは、ただの自動人形よ。魔法を使えないならば、一切の脅威はなく、実に簡単に破壊できる」
ねえ、と秋東はまた同意を求めるように言った。しかし今度は、吉野へ向けたものではない。何もいないはずの、中空へ向けて。
「そうでしょう? ――トルクシュタイン」
昂、と風が啼いた。勢いよく風が、光が渦を巻く。思わず腕で眼前を覆った吉野が見る間に、光風の中から何者かが現れていく。
展開するのは、三対六翼の光。
二翼は顔を、二翼は身体を覆い隠し、そして残る二翼が大きく羽ばたく。
その姿を目にして、吉野は瞠目する。
「天使――! そいつが、ホムンクルス……!」
秋東は、人形を連れていなかったわけではなかった。ただ姿を隠させていただけで、恐らくはずっとこの場にいたのだ。
直感する。
体育の授業中、屋上に見えた逆光の影は、この天使だった。
「心配せずとも、既にこの場には結界を張ってある。外界には何も伝わらないわ。ただ殺すだけじゃさすがに死体は残るけど、灰も残さず消し去ってしまえば証拠は残らない。だから心置きなく、消し飛ばされなさい。さあ――」
秋東が腕を振り上げる。応じるように、天使が輝きを増していく。
「撃ち払いなさい、トルク!」
『Accept-/-Assault-/-Ray』
天使が応じるもとに、莫大な光が集束する。
しかしそれも一瞬だ。
狙いも過たず、光砲が吉野を急襲する。
「っく――!」
為すすべもない吉野は、刹那。
「セネカ――――!!」
全力で、その名を叫んだ。
光爆が炸裂する。




