アングラサイト
一九九二年一月十八日、午前二時。
ヨハン・クレールは、台所の明かりを消したまま、居間の隅に置いたパソコンの前に座っていた。画面は緑色の文字だけが浮かぶ、古いモノクロのディスプレイだ。
受話器をモデムのカプラーに押し込み、番号を打ち込む。
〈CONNECT 2400〉
画面に文字が流れ、黒い背景に粗い線で描かれた扉の絵が現れる。会員の間で「地下室」と呼ばれている掲示板だった。盗まれたソフト、出どころの分からない噂、政府の悪口。昼間の自分には縁のない話ばかりが転がっている。小学校の教壇に立つ人間が、夜な夜なこんなところを覗いていると知ったら、保護者たちはどんな顔をするだろう。ヨハンはその想像を、いつも少しだけ楽しんでいた。
新着のファイル一覧に、見慣れない名前があった。
〈ISOPHEMIA.TXT 投稿者:NULL_SAINT 「アーガスノルンの中身。消される前に」〉
アーガスノルン。去年の秋、新聞の一面を埋めた名前だ。善人物質と悪人物質。人の善悪が血液で分かるという、あの大発見を支えた分析装置の会社。
電話代のことが頭をよぎったが、指は勝手にダウンロードの操作をしていた。
二十分後、画面に表示された文書を、彼は三度読み返した。
社内向けの報告書の体裁だった。各国の研究機関に納入した装置の一覧。その横に、「遠隔調整」という見出しと、調整の対象になった測定項目、日付、担当部署が並んでいる。そして最後の頁には、こう書かれていた。
〈本プロジェクトの目的は、数値への信頼を通じて、意思決定の権限を段階的に当社へ移すことにある〉
ヨハンは、冷めたコーヒーに手を伸ばしかけて、やめた。指先が震えていた。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
翌日の夜、彼は文書を三・五インチのフロッピーディスクに写した。一枚では収まらず、三枚に分けた。ラベルにはわざと「算数テスト一学期」「算数テスト二学期」「算数テスト三学期」と書いた。誰かに見られても、教師の持ち物にしか見えないように。
どこに送るべきか、一晩考えた。新聞社は、あの発見をいちばん熱心に持ち上げていた。警察は、来月から施行される予防保護法の準備で、アーガスノルン社と手を組んでいる。
残ったのは、ヴァルト中央放送の報道局だった。夜のニュース番組で、時おり権力に噛みつくような特集を組む局だ。
便箋に、短い手紙を書いた。
〈同封のディスクの内容を、どうか調べてください。私は専門家ではありません。ですが、これが本物なら、私たちが信じている数字はすべて作られたものかもしれません〉
名前を書くかどうか、ペンが止まった。書かなければ、ただの悪戯として捨てられるかもしれない。迷った末に、彼は自分の名前と住所を書いた。それが誠実さだと思ったからだ。
一月二十三日の朝、出勤前に、彼は町外れの郵便局で封筒を出した。窓口の女性は、彼の顔を見ずに切手を貼った。




