ホワリッジの言い伝え――広域実験場管理区域・調査記録――
北の果ての町ホワリッジを訪れたのは、秋の終わりのことであった。
この町では、子どもが言葉を覚えるより先に、ある三つの言葉を覚えさせられるという。私が宿の主人に頼み込み、町の古老から聞き取ったそれを、以下に記す。古老は文字を持たず、これを節をつけて唱えた。私はその節回しのまま、なるべく手を加えずに書き留めることにする。
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一つ。
霧の日は、外に出るな。
白き朝は、かの者らの朝なり。
戸を閉ざし、閂を下ろし、霧の晴るるまで息をひそめよ。
外より名を呼ばるるとも、応うるなかれ。
二つ。
各々は、己が身の内の魔力を、切らしてはならぬ。
常に魔力には、余裕を持て。
魔力を使い果たしし者は、己が己でなくなる。
身の内の光の尽くる時、身の内の闇が目を覚ます。
三つ。
魔力の枯れし者は、遠ざけるべし。
霧の日には、その者を、霧の中へ投げ入れよ。
かの者が、連れ去りてゆく。
その正体は、知るべきにあらず。
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古老はこれを唱え終えると、しばらく黙って炉の火を見つめていた。
私は、三つ目の掟の意味を尋ねた。魔力の枯れた者を霧へ投げ入れるとは、つまり、町から追放するということか、と。
古老は静かに答えた。
「魔力の枯れた者は、いずれ人ではなくなる」
それ以上は、何を聞いても答えてくれなかった。
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ホワリッジの人々は、自らの魔力の残りに、病的なほど気を配っている。朝起きればまず、戸口に吊るした小さな水晶に手をかざし、その輝きで己の魔力を確かめる。輝きが鈍れば、その日は魔法を一切使わない。薪割りも水汲みも、手と足でこなす。冒険者でさえ、この町では、魔力を八割より多く使う依頼は受けないという。
ギルドの掲示板には、他の町では見かけない張り紙があった。
〈魔力枯渇の疑いある者は、速やかにギルドへ申し出ること〉
申し出た者がどうなるのか、私はギルドの老主人に尋ねた。
主人は、片目に古傷のある男だった。彼は帳簿から顔を上げず、ただ一言、こう答えた。
「霧が出るまで、町外れの小屋で休んでもらう」
「霧が出たら」
主人は、ペンを止めた。
それから、窓の外の、西の森の方を見た。
「……霧が出たら、迎えが来る」
私がこの町にいた十日の間に、一度だけ、霧の朝があった。
前の晩、宿の主人は私の部屋の窓に板を打ちつけ、扉の前に塩を撒いた。決して外を覗くなと、三度念を押された。
夜明け前、私は、遠くで人の声を聞いた。
町外れの方角だった。男の声のようだった。何かを叫んでいるようでもあり、泣いているようでもあった。やがてその声に、別の声が重なった。ひどく楽しげな低く粘り気のある男の声。そして、細く、かすれた、女の声。
それきり、何も聞こえなくなった。
霧が晴れたのは、昼を過ぎてからだった。
外に出ると、町は何事もなかったように動き出していた。パン屋が窯に火を入れ、子どもたちが広場を駆け回り、ギルドからは冒険者たちの笑い声が聞こえてきた。
ただ、町外れの小屋の扉が、開け放たれたままになっていた。
中には、誰もいなかった。
その日の夕方、ギルドの掲示板から、ひとつの名前が消されていたことに、私は気づいた。
この国の魔導学院の教えによれば、魔力とは、この大陸の大気に満ちる「マナ」を、生き物が身の内に取り込み、蓄えたものである。マナは本来、穏やかで、従順で、人の意志に応えて形を変える。
けれど、学院の教えでは、こうも説かれている。
〈魔力を失ったマナは飢える〉
〈飢えたマナは、黒く濁り、人の意志に従わなくなる。そして、最も近くにある命から、光を奪おうとする〉
ホワリッジの人々が、魔力を切らすことを恐れる理由。枯れた者を遠ざけ、霧の中へ送り出す理由が、この教えからきている。
町を去る朝、私は広場で、子どもたちの歌を聞いた。
手をつないで輪になり、くるくると回りながら歌う、他愛のない遊び歌だった。
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きりのあさには でちゃだめよ
まりょくがからっぽ とおざけて
あかいぼうしの おじさんと
かおのないひとが つれてくよ
どこへいくのか しらないよ
しらないほうが しあわせよ
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最後の一節を歌い終えると、子どもたちはいっせいにしゃがみ込み、きゃあきゃあと笑い声を上げた。
私は、その歌を書き留めながら、町の東に立つ白い塔を見上げた。
塔は、継ぎ目ひとつない白い肌に朝日を受けて、静かに輝いていた。この町のマナは、あの塔の近くほど濃く、豊かだという。人々は、あの塔を、町の守り神のように敬っている。
私は、旅人や冒険者が移動に使う馬車に乗り、となり街へ移動する。
夜も遅くなり、私は宿をとることにした。
宿の個室に入り、一息つく。
そして、カバンから黒い直方体状の通信端末を取り出した。
そこから、黒い通信用のケーブルを取り出し、自分の首に隠されたプラグ接続孔にケーブルを接続する。
自分の目が青く光った。
<垓亜重工製偵察用アンドロイド・H472型>
<通信プロトコル起動>
<送信先:垓亜重工株式会社 本社事業戦略室>
<件名:広域実験場管理区域・調査記録>
<調査記録データを送信>
<送信シーケンス完了>
私は首からケーブルを外し、通信端末をカバンの中にしまった。
窓の外から見える街は漆黒の闇に包まれていた。
夜は更けていく。




