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アイソフェミア ―第4次産業革命が魔法と呼ばれた世界―  作者: ArgasNorn


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祝福の夜

【二〇三七年二月九日 午後八時 ヴァルト中央放送 夜のニュース】


「こんばんは。今夜は予定を変更して、国連本部からの世界同時生中継をお伝えします」


キャスターのクララ・ヴィンターは、スタジオの照明の下で、手元の原稿を揃え直した。開戦から二週間。各地の前線からは、部隊との連絡が途絶えたという報告ばかりが届いていた。


「国連事務総長が、まもなく重大な声明を発表する予定です。中継をつなぎます」


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


画面が切り替わった。


国連本部の総会議場。半円形の演壇の中央に、事務総長が立っている。その両脇に、安保理常任理事国の代表たち、各国の大使、事務局の幹部。後方には、ずらりと並んだ加盟国の旗。


照明が強すぎるのか、事務総長の顔は妙に白く見えた。


「世界の皆さん」


声は落ち着いていた。三週間前の、やつれてかすれた声とは違う。滑らかで、抑揚のない声だった。


「国際連合は本日をもって、アーガスノルン・コーポレーションに対するすべての軍事行動を終了いたします」


スタジオで、クララが小さく息を呑んだ。


「各国の軍は、ただちに戦闘を停止し、現在地で待機してください。信号塔への攻撃は、これ以上行われません」


事務総長は、そこで言葉を切った。


カメラが、ゆっくりと彼の顔に寄っていく。


そのとき、全世界の視聴者が気づいた。


事務総長の目が、濁っていた。


黒目も白目も区別がつかない、牛乳を一滴垂らした水のような、白く濁った目。焦点はどこにも合っていないのに、まっすぐにカメラを見つめている。


両脇に並ぶ代表たちの目も、同じだった。


「新しい時代の始まりを、皆さんと共に迎えられることを、光栄に思います」


事務総長は、静かにスーツの懐に手を入れた。


取り出されたのは、黒い拳銃だった。


議場の後方で、誰かが短く叫んだ。


だが事務総長は、それに一瞥もくれなかった。拳銃を持った腕を高く掲げ、議場の天井を仰ぐようにして、これまで一度も聞いたことのない大声で叫んだ。


「新たな時代に、祝福を!」


腕が、素早く下ろされた。


ためらいは、一瞬もなかった。


乾いた銃声が、議場に響いた。


カメラが揺れた。


演壇の上から、事務総長の姿が消えていた。


議場は、静まり返っていた。誰も悲鳴を上げなかった。


演壇に並んでいた代表の一人が、ゆっくりと懐に手を入れた。その隣の代表も。その後ろの幹部も。


濁った目のまま、同じ動きで。


「新たな時代に、祝福を」


声が、重なった。


二発目の銃声。三発目。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


画面が、唐突に切り替わった。


ヴァルト中央放送のスタジオ。


クララ・ヴィンターが、原稿を握ったまま固まっていた。顔から血の気が引き、唇が震えている。


「……っ、中継を、中継を一時中断して……」


彼女はカメラの外を見た。ディレクターに何かを叫ぼうとして、言葉にならなかった。


「た、ただいま、国連本部で……あの、映像に、不適切な……」


画面の外から、誰かの泣き声が聞こえた。スタジオのどこかで、何かが床に落ちる音がした。


クララは、震える手で原稿を置いた。


「申し訳ありません。今、何が起きたのか、私たちにも……」


彼女の言葉の途中で、スタジオの照明が、一斉に落ちた。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


【同日 午後八時十四分】


暗転した画面に、白い文字が浮かび上がった。


ヴァルト中央放送だけではなかった。世界中のあらゆる国営放送、公共放送の画面に、同じ瞬間、同じ文字が、それぞれの国の言語で表示された。


〈政府機能が停止しました。

これ以降、民間企業連合の指示にしたがってください〉


背景は白。ロゴも、署名もない。


そして、音声が流れた。


男とも女ともつかない、穏やかで、感情のない合成音声だった。


「政府機能が停止しました。これ以降、民間企業連合の指示にしたがってください」


一拍おいて、同じ言葉が繰り返された。


「政府機能が停止しました。これ以降、民間企業連合の指示にしたがってください」


それは、翌朝まで止まらなかった。


チャンネルを変えても、同じ文字と、同じ声だった。


ラジオからも、同じ声が流れていた。


駅の構内放送からも。病院の館内放送からも。信号の止まった交差点の、緊急用スピーカーからも。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


【同日深夜 ヴァルト市】


古いアパートの一室で、リサ・ベルクはテレビの前に座っていた。


画面には、白い文字が映っている。スピーカーからは、あの声が繰り返し流れている。


彼女は、膝の上の手帳を開いた。


最初の頁に、色あせたインクで書かれた名前。


〈ヨハン・クレール〉


四十五年前、あの教師が見つけた文書の最後の一行を、リサはいまも覚えていた。彼が逮捕される前に、彼女はその内容を、ディスクのコピーを、たった一度だけ読んでいたから。


〈本プロジェクトの目的は、数値への信頼を通じて、意思決定の権限を段階的に当社へ移すことにある〉


窓の外では、遠くの丘の上に、新しく建てられた信号塔が、夜の闇の中で白く光っていた。


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