【速報】ナノマシン過剰利用者に「発狂」相次ぐ 北米の一都市では住民ほぼ全員が異常行動 アーガスノルン社の測定値にも異常
二〇三六年六月九日 独立系報道ネットワーク「クリアウォッチ」
前年に自分のサイトを閉鎖されたリサ・ベルクは、国境を越えた記者たちの小さなネットワークに加わっていた。その日の朝、彼女の名前で配信された記事は、数時間のうちに世界中へ広がった。
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【独自】ナノマシン過剰利用者に「発狂」相次ぐ
北米の一都市では住民ほぼ全員が異常行動 アーガスノルン社の測定値にも異常
北米中西部の都市ハロウフィールドで、今年春ごろから住民の異常行動が急増し、現在では人口約四万人のほぼ全員に何らかの異常が出ていることが、本ネットワークの取材で分かった。
関係者によると、最初に症状が出たのは、力場を業務で長時間使う建設作業員や医療関係者、個人用端末「ワンド」を一日中手放さない若者たちだった。激しい頭痛、鼻血、不眠が数週間続いた後、幻覚や記憶の混乱が始まる。さらに進むと、本人の性格からは考えられないほど攻撃的になり、家族や隣人に襲いかかる例も報告されている。
同様の症例は、ハロウフィールド以外にも、少なくとも世界十一の都市で確認されている。いずれも、アーガスノルン社の信号塔に近く、ナノマシン濃度が特に高い地域だった。
ハロウフィールドでは五月以降、市の機能がほぼ停止している。病院の医師や看護師にも症状が広がり、警察官の多くも勤務できない状態だという。現在、州兵が市の周囲を封鎖しているが、封鎖の理由について州当局は「感染症の疑い」とだけ説明している。
本ネットワークは、ハロウフィールドの信号塔の保守を担当していたアーガスノルン社の下請け技術者から、内部の測定記録を入手した。
記録によると、同市のナノマシン濃度は、症状が広がり始めた三月から急激に上昇し、五月には通常の測定上限を超える数値を示していた。しかし、同じ期間、信号塔から送られた信号の記録には、濃度を上げる操作は一切残っていなかった。
アーガスノルン社は、本ネットワークの取材に対し、期限までに回答しなかった。
記事の配信から六時間後、アーガスノルン・コーポレーションは声明を発表した。
〈ハロウフィールド市の事案は、局地的に発生した未知の感染症によるものであり、当社のナノマシン技術との関連を示す科学的根拠は一切存在しません。報道で引用された測定記録は、正規の装置によるものではなく、信頼性に欠けるものです〉
声明の最後には、こう付け加えられていた。
〈なお、当社の装置で計測された同市のナノマシン濃度は、すべて安全基準内です〉
その夜、世界中の視聴者が、同じ二つの映像を見ることになった。
一つは、アーガスノルン社の記者会見。白い壁を背に、広報担当者が落ち着いた声で安全性を繰り返している。
もう一つは、クリアウォッチが公開した、ハロウフィールドの住民が手持ちのカメラで撮った映像だった。
<夕暮れの住宅街。信号塔の白い影の下で、人々が通りに立ち尽くしている。誰も動かない。誰も喋らない。ただ、塔の方を見上げている。
やがて、一人が奇妙な声を上げ、それを合図にしたように、群衆が一斉にカメラの方へ振り向いた。>
映像は、そこで途切れていた。
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同日深夜 東京
七十代後半になった篠宮遼は、病院のベッドの上でタブレットを見ていた。もう垓亜重工の役員ではない。それでも後輩の研究者たちが、毎晩のように報告を持ってきてくれる。
この夜、届いたのは一枚の解析図だった。ハロウフィールドの「識別不能」な信号パターン。
篠宮は、震える指で画面を拡大した。
「三十年かけて空気に満たされたものが、とうとう、誰の言うことも聞かなくなったのか」
彼はタブレットを胸の上に置き、暗い天井を見つめた。




