第7話 体の中でたぷたぷと揺れるもの
二人が大学に戻る道すがら、慎一はあかねを観察した。歩き方が、どこか不自然だった。重いものを背負っているのとも違う。体の中に、何か、たぷたぷと揺れるものを抱えているような――一歩ごとに、内側で、ちゃぷ、と小さく波打つ音が、聞こえる気さえした。
「なあ、百合川さん」
「なに?」
「水、飲まないのか? さっきから水筒を持ってるけど、一度も口をつけてない」
あかねの足が止まった。そして、振り返った時の表情は、慎一の血を凍らせた。
恐怖と諦めが、せめぎ合っていた。瞳孔は異常に開き、口元は、笑っているのか引きつっているのか、判じがたく歪んでいた。
「……最近、喉が渇かないの。いくら暑くても、運動しても、喉が渇かない。代わりに、体の中に水が溜まっていく感じがする」
あかねは、自分の腹部を押さえた。
「ここに、水が溜まっていくの。日に日に増えていく。でも、出すこともできない。ただ、体の中で増え続ける」
それだけ言うと、彼女は足早に歩き始めた。
その後ろ姿を見送りながら、慎一は気づいた。あかねが歩いたあとの地面に、点々と、水の跡が残っている。それは、ただの水ではなかった。かすかに光り、地面に染み込まず、表面で、ゆっくりと、動いている。
まるで、生きているかのように。
慎一は、その水の跡を、じっと見つめた。指で、触れてみようとして――やめた。触れてはいけない。本能が、そう告げていた。
その夜、慎一は眠れなかった。
天井を見上げながら、あかねの言葉を、何度も反芻した。体の中に水が溜まっていく。出すこともできない。日に日に増えていく――。それは、彼が大学の資料で読んできた、各地の「水神に取られる」伝承の症状と、不気味なほど一致していた。文献の中の、遠い昔の出来事だと思っていたものが、いま、すぐ隣にいる女の体で、起きている。
学者なら、これを記録するべきだ。消えゆくものを書き留めるのが、自分の役目なのだから。
だが、それだけでは、なかった。
目を閉じると、井戸に落ちた七歳の夏が、蘇る。暗い水の底。自分を引きずり込もうとした、無数の手。あの恐怖から、慎一は逃げ続けてきた。逃げ続けながら、同時に、取り憑かれてもきた。水とは何か。なぜ人は水に取られるのか。その問いの答えが、あかねの故郷に、あるのかもしれない。逃げてきたものの正体に、初めて、手が届くかもしれない。
朝が来る頃には、慎一は、決めていた。
八雲島へ、行こう。
あかねを救うため。そして、水の底へ消えていく、語られなかった声を、書き留めるため。水を恐れながら、それでも水の伝承に取り憑かれてきた自分にしか、できないことがあるはずだ。それが宿命なのか、ただ罠へ歩いていくだけなのか――その時の慎一には、まだ、分からなかった。




