第49話 餌役の真実
慎一は言葉を失った。
頭のどこかで予期していた。それでも、本人の口から聞くと、足元が抜けるようだった。
「最初から、計画だったのか。大学のゼミで、俺に近づいたのも。水恐怖症のふりをして」
「ふりじゃない」
あかねは初めて顔を上げた。その目に、涙が滲んでいた。
「水が怖いのは、本当。これから水になっていく人間は、みんな、水を恐れる。体が、抵抗するから。私は、二年前にこの島へ来て――前の役目の人に連れてこられて、ここで一度、水に近づいた。それで、選ばれた」
「選ばれた?」
「生贄じゃなくて、餌役に。水は、外から来た人間を取る。でも、取るためには、まず、誰かが連れてこなきゃいけない。だから、取られかけた人間の中から、ひとり、餌役が選ばれる。役目を引き受ければ、しばらくは、人間のまま生きられる」
あかねは、ぽつぽつと、語り始めた。
二年前、あかねもまた、ひとりの女性に連れられて、この島へ来た。優しい、姉のような人だった。本土の旅行先で偶然知り合い、意気投合し、「故郷の島に遊びに来ない?」と誘われた。なんの疑いもなく、ついてきた。
歓待された。潮待庵の温かい料理。島の人々の笑顔。七つの井戸。そして、祓水祭。
気づいた時には、白い衣を着せられ、清明井の前に立たされていた。連れてきた女性は、少し離れたところで、泣いていた。「ごめんね」と、繰り返しながら。
「私を連れてきたあの人も、私と同じだったの。誰かに連れてこられて、役目を押しつけられて。私を井戸に送れば、自分は解放される。そういう仕組み」
けれど、その夜、あかねは沈められなかった。
理由は、あかね自身にも分からなかった。ただ、井戸の縁に立った時、水の底から響く声が、こう告げたのだという。『おまえは、まだ、使い道がある』と。
「水は、私を、餌役に選んだ。次のよそ者を連れてくる役目。それを引き受ければ、生きていられる。断れば、その場で取られる。……私は、断れなかった。怖かった。死にたくなかった。だから、引き受けた。あの優しかった姉のような人を、井戸に送ったのと引き換えに」
あかねは、言葉を切った。喉の奥で、何かを飲み下すように。
「それから、二年のあいだに……二人、連れてきた。本土で見つけて、優しくして、ここまで。一人目は、若い登山好きの男の人。二人目は、定年したばかりの、写真が趣味の人。二人とも、井戸に送った。私が、この手で。心を、殺して。――そうしないと、私が、取られるから」
その声は、もう、涙さえ涸れて、ただ平坦だった。
「あなたで……三人目だった。最初から、そう決めて、近づいた」
あかねの指が、自分の首筋の青い痣に触れた。
「私は、本土の大学に進んだ。民俗学のゼミを選んだのは、偶然じゃない。水にまつわる伝承を調べる人なら、八雲島の話に、必ず食いつくから。水を恐れていて、それでも水に惹かれてしまう人なら、もっといい。――あなたみたいな人なら」
慎一は自分が井戸に落ちた七歳の夏から、ずっと水を恐れ、それでも水の伝承に取り憑かれてきたことを思った。あかねは、そういう人間を探していた。狙い澄まして。
「君が、大学で水を怖がっていたのも……あれも、演技だったのか」
「ううん」
あかねは、首を振った。
「あれは、本当。私の体も、もう、半分以上、水に取られてる。水が怖いのも、水に呼ばれるのも、全部、本当のことなの。ただ……怖がる自分を、あなたに見せれば、あなたが、ほっとけなくなるって、知ってた。本物の恐怖を、餌に使ったの。それが、いちばん、ずるいところ」
慎一は、言葉を失った。彼女もまた、取られかけている。取られながら、次を連れてくる。それが、餌役という地獄だった。
「俺は、最初から、獲物だったのか」
「うん」
あかねは頷いた。残酷なほど、正直に。




