第46話 神官の言葉
医院を出ると、空が、鈍色に曇っていた。
岬の先端に、白い影が立っていた。狩衣の裾を、海風がはためかせている。神官の伊織だった。眼下では、灰色の波が、岩に砕けては引き、砕けては引き、絶え間なく、低い音を立てていた。彼は、慎一が出てくるのを、ずっとそこで待っていたかのように、微動だにせず、海を見ていた。
慎一が近づくと、伊織は、海を見たまま、静かに口を開いた。
「水野医院に、行かれましたな」
慎一は、身構えた。なぜ、それを。だが、考えてみれば、この狭い島で、よそ者の行く先が伝わらないはずがなかった。島のすべての目が、慎一を、見ている。
「悪いことは言わん」
伊織は慎一の目を、まっすぐに見た。その目には、嘘も、悪意も、なかった。ただ、深い、底のない悲しみだけがあった。
「今すぐ、お帰りなさい。次の船が出るうちに。この島に、長くいてはいけません。あなたのような、若い、優しい人は、特に」
誠実な忠告に、聞こえた。慎一の胸を打つほどに。
「……どういう意味ですか」
伊織は、答えなかった。ただ、深く、ゆっくりと、頭を下げた。詫びるような、あるいは、見送るような仕草だった。それから、踵を返し、神社の方へ、去っていった。狩衣の白が、鈍色の空に滲んで、やがて、見えなくなった。
慎一は、その背を見送りながら、上着の内側の、ノートの硬い感触を、確かめた。
後で、彼は知ることになる。香織のノートの、ある一日の記述に、一字一句同じ言葉が書かれていたことを。
『岬で、神官の伊織さんに会った。「悪いことは言わん。今すぐお帰りなさい。次の船が出るうちに」と言われた。誠実な、悲しい目だった。でも、私は知っている。あの船は、もう出ない。あの警告は、優しさではない。儀式の、決められた一部なのだ。取られる者すべてに、同じ言葉が、同じ間で、告げられてきた。』




