第44話 餌
香織のノートの後半は、乱れ始めていた。体の変化が進み、字を書くのも辛くなっていたのだろう。それでも、彼女は記録をやめなかった。医師として、記録者として。
『気づいてしまった。私を島へ案内した、あの女の子のことだ。』
慎一の指が、止まった。
『彼女は島の娘ではない。本土から来たという。私と同じ、よそ者のはずだった。なのに、彼女だけは、島に溶け込んでいる。島民は彼女を「役目の人」と呼ぶ。』
『彼女は私を島へ連れてくるための、餌だった。前に島で取られた誰かの、後を引き継いで。よそ者を見つけ、親しくなり、島へ誘う。それが、彼女の役目。役目を終えれば、彼女は次の餌役になり、また別の誰かを連れてくる。』
『私は、彼女を恨めない。彼女もまた、囚われているのだから。彼女の目を見れば分かる。彼女は私を島へ連れてきたことを、どこかで悔いている。けれど、彼女には、どうすることもできないのだ。』
慎一はノートを閉じた。手が震えていた。
餌。
水を恐れる自分を、わざわざ大学のゼミで見つけ、親しくなり、この島へ誘った女。
「来ちゃだめだって、言ったのに」と、震える声で言った女。
あかね。
――いや。
慎一は首を振った。あかねは違う。あかねは本当に水恐怖症に苦しんでいた。あかねは自分を頼ってきた。あかねは……。
そう思おうとするほど、香織のノートの一行が、冷たく胸に刺さった。
『彼女は本当に、よそ者を好きになってしまうことがあるそうだ。それでも、役目は変わらない。むしろ好きになるほど、その人を島へ深く連れ込んでしまう。それが、いちばん、残酷なことだ。』




