第4話 水筒の中身
「羽生くん、ちょっといい?」
あかねの声には、切実な何かが滲んでいた。
「どうした? 珍しいな、百合川さんから話しかけてくるなんて」
慎一は手を止めて振り返った。同じゼミに所属して二年になるが、最近のあかねは人を避ける傾向があった。ゼミの発表でも必要最小限のことしか話さない。
「あの……相談があるの。でも、ここじゃなくて」
あかねは研究室の中を見回した。他に学生が二人、それぞれ黙々と作業をしている。木村は時々あかねを心配そうに見ており、もう一人の女子学生も何か言いたげな表情をしていた。
「わかった。学食でも行くか?」
慎一がノートパソコンを閉じかけると、あかねは激しく首を横に振った。その動きで、髪が揺れ、慎一は気づいてしまった。あかねの髪が、部分的に濡れているのだ。まるで、ついさっきまで水に浸かっていたかのように。
「外がいい。できれば……誰もいないところ」
その声には、恐怖が滲んでいた。誰かに聞かれることを、極度に恐れているようだった。
その時、あかねが持っていた水筒が、かたんと音を立てて机に当たった。
蓋が開いたままの水筒から、中身が少しこぼれた。
慎一は息を呑んだ。
それは、水ではなかった。
透明ではあるが、どろりとした粘性のある液体。そして、その中に、小さな何かが混じっている。
髪の毛のような、細い繊維。
いや、よく見ると、それは動いていた。
生きているように、机の上でうねうねと蠢いている。
「あっ……」
あかねが慌てて水筒を立て直し、ティッシュで机を拭いた。
しかし、液体はティッシュに吸収されず、むしろティッシュの表面で玉のように転がった。
「ごめんなさい、私……」
あかねの目に、涙が浮かんでいた。怯えた目だった。それでいて、その奥で、何かを必死に訴えてもいた。助けて、と。
慎一は、深刻な事態を察した。
「百合川さん、今すぐ話を聞こう。行こう」
慎一は、あかねの腕を取ろうとした。
しかし、触れた瞬間、強烈な冷気を感じて手を引いた。
あかねの肌は、ひやりと冷たかった。指先が触れただけなのに、長く水に浸していた手のような、芯から冷えた感触だった。
人の体温とは、思えなかった。生きている人間の腕を握ったはずなのに、雨に濡れた石に触れたような心地がした。慎一は、とっさに手を引いていた。自分でも、なぜそうしたのか、分からなかった。




