第39話 六日目の朝
慎一が目を覚ました時、体の異変は隠しようのないものになっていた。
手首から始まった青い痣は、両腕に広がり、胸元にまで伸びている。皮膚の下で、青い筋が脈打っていた。鏡を見ると、茶色だったはずの虹彩に、青い斑点が滲み始めていた。
水道の水で顔を洗うと、肌が痛んだ。痛みというより、水が体の内側へ染み込もうとする感覚。皮膚が、水を欲しがっている。
ふと、枕元のスマートフォンに目をやって、慎一は動けなくなった。
日付が、おかしい。
慎一の記憶は、四日目の夜で、途切れていた。同乗者たちが食卓で崩れていく、あの異様な夜。そこまでは、はっきりと覚えている。だが、その先がない。昨夜眠って、今朝目覚めた――その感覚なら、今日は、五日目のはずだった。なのに、画面の日付は、上陸から六日が過ぎていることを示している。
まる一日が、まるごと、抜け落ちている。眠っていたのか、起きて何かをしていたのか、その記憶さえ、ない。
甚助は、言っていた。三日後の午後二時に迎えに来る、と。
――とっくに、過ぎている。
指から、力が抜けた。迎えの船を、自分は、まるごと見落としていた。上陸から三日後――つまり四日目の、午後二時。あの日、慎一は潮待庵の一室で、自分の手が水を吸い込むのを見て、おののいていた。港のことなど、頭の隅にもなかった。あの時刻、桟橋には、甚助の船が来ていたはずなのだ。来て、誰も戻らず、去っていった。記憶のほうが、世界の時間から、置き去りにされていた。
水だ。
飲み、浴び、肌から染み込んでくるこの島の水が、時間の感覚を、ふやかしていく。一日が、二日が、指の間からこぼれていく。気づかぬうちに。あの優しい日々の裏で、迎えの船は来て、そして、慎一を置いて、去っていったのだ。
逃げ道は、とうに、断たれていた。
食堂に降りると、もう誰もいなかった。昨日まで一緒に朝食を取っていた泊まり客たちの姿がない。老人も、中年男性も。
そして、月島も。
慎一と同じ船で島へ渡ってきた、あの看護師の女性。首筋に青い痣を隠していた、月島。彼女もまた、いつのまにか消えていた。誰より先に、静かに。
「皆さん、朝早くから、祭りの支度に出られましたよ」
女将のキヨが、いつもと変わらぬ穏やかさで言った。湯気の立つ味噌汁を、慎一の前にそっと置く。
「羽生さんも、お疲れでしょう。今日は、ゆっくりなさって」
その声は、息子をいたわるように優しかった。だからこそ、慎一の背を、冷たいものが伝った。
あかねは昨夜から姿を見せない。
慎一は箸をつけず、立ち上がった。今日のうちに、この島で何が起きているのかを突き止めなければならない。そして、あかねを連れて、本土へ帰る。まだ、そう信じていた。




