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水に取られた ー八雲島水籠記ー(改訂版)  作者: 大西さん
第5章 違和感の始まり
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第37話 深夜の密会

部屋に戻った慎一は、荷物の中から塩の袋を取り出した。


甚助がくれた塩。


「気休めかもしれんが」


そう言っていたが、藁にもすがる思いだった。


慎一は、塩を手に取り、体に擦り込んだ。


すると、皮膚の表面に浮かんでいた青い筋が、少し薄くなった。


効果がある。


慎一は、塩を体中に擦り込んだ。


その時、窓をノックする音がした。


驚いて振り返ると、窓の外にあかねがいた。


二階の窓に、どうやって。


慎一が窓を開けると、あかねが滑り込んできた。


「静かに」


あかねが、唇に指を当てた。


「キヨさんに気づかれたら、大変なことになる」


あかねの体は、濡れていた。


まるで、海から上がってきたばかりのように。


「あかね、君は一体……」


「時間がないの。聞いて」


あかねは、早口で話し始めた。


「この島には、恐ろしい秘密がある。千年以上前から続く、人と水の契約」


「契約?」


「島は、水神に生贄を捧げることで、繁栄を保ってきた。豊かな海、清らかな水、すべては生贄の代償なの」


慎一は、民俗学を学ぶ者として、その話に引き込まれた。


「生贄は、島の外から来た人間。年に一度、祓水祭の夜に、選ばれた者が水に還される」


「水に還される……」


「そう。体が水になって、井戸や海に溶けていく。そして、永遠に島の一部となる」


あかねの目から、涙が零れた。


その涙も、青く光っていた。


「私は……二年前に選ばれた」


慎一は息を呑んだ。


「でも、その時、私は逃げた。本土の大学に進学するという口実で」


「じゃあ、君が大学にいたのは……」


「猶予期間だったの。でも、もう限界。水が、私を呼んでいる」


あかねは、自分の手を見つめた。


半透明になった手を。


「君が連れてきた、というのは」


「ごめんなさい」


あかねが、泣き崩れた。


「私が島を出て二年。そろそろ次の生贄を連れてこないと、私の家族が……」


慎一は、あかねの言葉に衝撃を受けた。


「じゃあ、俺は……生贄として連れてこられた?」


「違う!」


あかねが、強く否定した。


「最初は、そのつもりだった。でも……」


あかねは、慎一の目を見つめた。


「あなたと過ごすうちに、できなくなった。あなたを、生贄になんてできない」


二年前、あかねもまた、ひとりの女性に連れられて、この島へ来た。優しい、姉のような人だった。本土の旅行先で偶然知り合い、意気投合し、「故郷の島に遊びに来ない?」と誘われた。なんの疑いもなく、ついてきた。


歓待された。潮待庵の温かい料理。島の人々の笑顔。七つの井戸。そして、祓水祭。


気づいた時には、白い衣を着せられ、清明井の前に立たされていた。連れてきた女性は、少し離れたところで、泣いていた。「ごめんね」と、繰り返しながら。


「私を連れてきたあの人も、私と同じだったの。誰かに連れてこられて、役目を押しつけられて。私を井戸に送れば、自分は解放される。そういう仕組み」


けれど、その夜、あかねは沈められなかった。


理由は、あかね自身にも分からなかった。ただ、井戸の縁に立った時、水の底から響く声が、こう告げたという。『おまえは、まだ、使い道がある』と。


「水は、私を、餌役に選んだ。次のよそ者を連れてくる役目。それを引き受ければ、生きていられる。断れば、その場で取られる。……私は、断れなかった。怖かった。死にたくなかった。だから、引き受けた。あの優しかった姉のような人を、井戸に送ったのと引き換えに」


あかねの指が、自分の二の腕を、強く掴んだ。爪が食い込むほど。


「だから、私には、あなたを責める資格なんてない。私は、人殺しと同じ。いいえ、同じじゃない。何度も、繰り返してきたんだから」


「何度も?」


「あなたで……三人目」


あかねの声が、消え入りそうだった。


「最初の二人は、できた。心を殺して、ここまで連れてきて、祭りに送り出した。罪悪感で、おかしくなりそうだった。でも、生きるためだって、自分に言い聞かせて」


慎一は、言葉を失っていた。


「でも、あなたは、できなかった。あなたが、私の研究の話を、楽しそうに聞いてくれたから。私を、生贄を探す道具じゃなくて、ひとりの人間として、見てくれたから」


あかねは、泣きながら笑った。


「皮肉だよね。優しくされたから、あなたを殺せなくなった。でも、もう、連れてきてしまった。島は、もう、あなたを離さない」

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