第27話 清明井の荘厳さ
六つの井戸を巡り終えて、慎一は、ふと、奇妙なことに気づいた。
結びの井戸。癒しの井戸。豊穣の井戸。子宝の井戸。大漁の井戸。長寿の井戸。縁、健康、実り、子、糧、長寿――島の暮らしの、あらゆる恵みが、井戸に、つまり水に、結びついている。水を生命の源とする信仰として、これはごく自然なことだ。民俗学的にも、よくある形だった。
だが、それぞれの井戸に添えられた言い伝えには、決まって、影があった。癒された娘は人でなくなり、結ばれた二人は島を出られず、豊漁の裏には「お返し」がある。恵みと、代償。表と、裏。すべての井戸が、同じ一つの真実の、別々の顔であるように。
そして、その真実の中心に、最後の七つ目の井戸がある気がした。
最後の七つ目は、島の北側の森の奥にある『清明井』だった。
他の井戸とは、明らかに雰囲気が違う。
まず、規模が大きい。直径が三メートルはある大きな井戸で、周りを巨石が囲んでいる。そして、しめ縄が張られ、白い紙垂が風に揺れていた。
「これが、島で最も神聖な井戸です」
あかねの声も、自然と厳かになった。
「普段は神官しか近づけませんが、今日は特別に」
慎一たちは、静かに井戸に近づいた。
覗き込むと、他の井戸より遥かに深い。底は見えず、ただ深い闇が広がっているだけだった。
しかし、その深さが、逆に神聖な雰囲気を醸し出している。
慎一は、しばらく、その水面から目を離せなかった。水を恐れてきたはずの自分が、吸い込まれるように、暗い水を見つめている。底のない闇が、なぜか、優しく感じられた。気づけば、どれほどの時間、そうしていたか分からなかった。
――おかしい。こんなに、水を、美しいと思うなんて。
そう思いながらも、視線を引き剥がすのに、不思議なほど力がいった。
「すごい……」
老人が感嘆の声を漏らした。
「何か、パワーを感じますね」
中年男性も、カメラを構えたまま動けないでいる。
慎一も、この井戸の特別さを感じていた。
千年以上前から、島の人々が大切に守ってきた聖地。ここで、どれだけの祈りが捧げられてきたのだろう。
「昔は、重要な決め事をする時、ここで神意を問うたそうです」
あかねが説明した。
「今でも、年に一度の大祭の時は、ここで神事が行われます」
慎一は、井戸の周りの巨石に刻まれた文様を観察した。
渦巻き、波、そして魚。水に関する紋様が、複雑に組み合わされている。
これは、貴重な資料だ。
「写真を撮ってもいいですか?」
慎一が尋ねると、あかねは少し迷った後、頷いた。
「学術的な記録のためなら。でも、フラッシュは使わないでくださいね」
慎一は、丁寧に撮影を行った。
石の配置、文様の詳細、井戸の構造。すべてを記録に残す。
ふと、水面に波紋が広がった。
風もないのに、なぜだろう。
しかし、それも一瞬のことで、すぐに水面は元の静けさを取り戻した。
「そろそろ、お昼にしましょうか」
あかねの提案で、一行は清明井を後にした。
帰り道、慎一は振り返って井戸を見た。
木々の間から差し込む光が、井戸を神秘的に照らしている。
確かに、ここは特別な場所だ。
しかし、それは恐怖ではなく、畏敬の念を抱かせる神聖さだった。
立ち去りぎわ、慎一は、井戸を覗き込んだ。底は見えない。ただ、暗い水面が、かすかに、揺れていた。風は、なかったはずだ。なのに、なぜ、揺れているのだろう。覗き込もうとした慎一の肩を、あかねが、そっと引いた。「あんまり、覗き込まないほうがいいよ」。冗談めかした口調だったが、その手に、一瞬、強い力がこもったのを、慎一は感じた。




