第8話 興奮
朝5時。
日の出と同時に起きた。
昨夜は興奮で眠れなかった。
普段は5時半に起きるから、起床時間は大差ない。
今日の課題は三つ。
1. 母の機嫌を良く保つこと。
2. 家事をちゃっちゃと終わらせること。
3. 朝ごはんをいつも通り食べきること。
ここまで考えて、右隣を見る。
母と目が合った。
「「おはよう」」
声が重なった。
…うぅ、緊張する〜。
頑張ろう私! なんとかするさ! なんとかなるさ!
* * *
シーツを整える。
顔を洗う。
着替える。
洗濯物を洗って干す。
掃除をする。
朝食を作る。
朝食を食べる。
食器を洗う。
歯を磨く。
お手洗いを済ませる。
朝7時。
これらを終えた。
母の機嫌も良い方だ。
すごくない? ねえすごくない?
洗濯機なんてないんだよ? 手洗いなんだよ? 三人分だよ?
掃除機なんてないんだよ? 雑巾じゃなくボロいタオルだよ? 家中だよ?
朝食関係は全部母がしてくれたけどさ。
父は六時半に起きてきて、朝食を見て、「海のものと山のものを一緒にするな! 食えんやないか!!」ってキレてたけどね。
ちなみに本日はは黒パン、山菜、小さな川魚を焼いたのだった。
海じゃなくて川だし。そもそもこの地方に海はないじゃん。何言ってるの? って感じ。
日本食だったらどうしてたのよ。味噌汁とかさ、食べられないじゃん。
母が怒って、あいつの朝食を全部庭に投げ捨てちゃった。もったいない。
ま、それくらいしかハプニングはなかったんだからよしとしよう。
そして、今、朝7時半。
水が入った瓶二本とお金、ハンカチが入ったバッグを母が持ち、私は先日公園で遊んだ時と同じワンピースのポケットにハンカチ(母のおさがり)を入れて、家を出た。
なぜ家事が全て終わって三十分後に出発したのか。
ずばり、父と揉めた。
父曰く、「図書館なんかな、行ってもなんにもならんのや!」
今回は父が怒ったというよりはすこぶる機嫌を損ねただけだっため、数発母子ともに殴られるだけで済んだ。時間もたったの三十分。
それはさておき、母と手を繋いで道を歩いているのだが、鼻歌が止まらない。
鼻血が止まらない、わけではないので特に問題はないのだが、周囲の微笑ましいものを見る視線が恥ずかしい。
でも、この興奮状態は誰にも止められないぜ!
さあ、人生初、図書館へまっしぐらだ!!!
* * *
「ここね」
建物が思ったより小さかった。
というか、かなり小さかった。
白い壁の、二階建のビルヂング。
入り口に警備のおっちゃんが立っている。眠そうだ。
今もう九時前だよ? お仕事これからだよね? 昨日遅くまで飲んだのか? とにかくがんばれ〜。
入ろうとしたら、おっちゃんに止められた。
「開館は九時です。まだ入れません」
「そうですか。失礼しました」
おっちゃんが眠そうな目をこすりつつも、はっきりとした声で言った。
私を見つけると、「なんでこんなに小さい子が?」という顔をした。
私は無邪気な笑顔を浮かべた。なんとなく。
「メアリー。ちょっとその辺散策しようか」
「はい!」
このあたりに来るのは初めてだ。
都会よりの田舎であるこの地方は、領主様が治めているらしい。その手腕は決して悪くはなく、おかげでまあまあ栄えているらしい。
制服を着た大人がちらほら歩いていて、大きな建物に入っていく。
乗合馬車が通っていく。
建物はレンガか石造り。木造は見当たらない。
母とぶらぶらしていると、鐘が鳴った。
九時だ。
図書館の前に戻り、さっきのおっちゃんに挨拶する。
「おはようございます! お仕事ご苦労さまです!」
「ん、おはよう。ありがとね」
私の挨拶に驚いたらしい。二歳の子は多分こんなこと言わないからね。前世の記憶持ちの転生児…、それと天才児は言うのかな? まあいいやそんなことは。
図書館に、年齢制限はないのだろう。おっちゃんが通してくれたんだから。
ふわりと、紙の匂いがした。
木製の本棚と、そこにぎっしり詰まった本。
数は多くない。さして広くもない。
でも、綺麗だった。
右奥には本棚がないので、机と椅子があるのだろう。
本棚の側面に板が貼ってある。
一番近くの列、通路の右側の棚には、『文学』の文字が。
反対の左側の棚には、『歴史』の文字が。
四番目に近い列、右側の棚には、『魔法・魔術』の文字が。
奥から三番目、通路左側の棚には、『語学』の文字が。
さあ、どれにする私。
一応、魔法を学びたくて図書館を思いついたから、『魔法・魔術』にがいいか。
メアリー、いや、冷泉美月としての血が騒ぐ。
ここは、『語学』にするべきだ、と。
冷泉美月の心が叫ぶ。
ここは、『語学』を選びなさい、と。
私はまっすぐ、図書館の奥へと進んだ。
いつの間にか、母は手を離してくれていた。
* * *
上の方の棚にある本は見えない。
なら、一番下の段の一番左から攻めるか。
「ラムスカー文字 初級」
な、なにそれ〜!?
本を手に取り表紙を見つめていると、母が寄ってきた。小声で話す。
「本がいっぱいあるでしょ」
「はい。あの、お母さん」
「なに?」
「ラムスカー文字って、なんですか?」
「アーファル文字や他のいくつかの文字の元になったと言われている文字ね。国がまとめる歴史書と政府が使う公的文書はラムスカー文字で書かれているの」
そうそう。私がこの世界に来てから学んだ言語は、このアルカンミア王国の公用語であるアーファル語だ。その文字がアーファル文字。
それはさておき、歴史書と公的文書は文字が違うだと………?
パラパラめくってみると、芸術的な形の文字が書かれている。アラビア文字っぽい見た目だ。
公的文書か。お役立ちではないか。使えたら将来高給取りになれるのでは?
「ありがとうございます。これ読みます」
私は本を抱えて、椅子に座り、黙々と読み始めた。
まずは目次。
ラムスカー文字の成立、文法、長文読解などなど。
ノートほしいな〜。
私が席についたのを見届けてから、母は『文学』の棚に近づき、しばらくして戻ってきたのだが、手にしていたのは「エドワード・カーライル全集1」だった。気になる。いつか読もう。
こうして、私の図書館デビューは果たされたのだった。




