第80話 近寄りがたい女子は、人の少ない休憩スペースで急に本音寄りになる
買い物を終えたあと、五人の動きは少しだけばらけた。
みずきは文房具の袋を見ながらまだ楽しそうにしている。
ことりは買ったブックカバーを丁寧にバッグへしまっていた。
つばさはレシートを折りたたみながら、次にどこへ行くかを静かに考えている顔だ。
その中で、黒瀬レナだけが少しだけ表情を曇らせていた。
「……人、多い」
小さく呟く。
影山涼太はその声をちゃんと拾った。
フードコート近くの通路は、夏休み前の休日らしくかなり混んでいる。
家族連れ。
中高生の集まり。
アイスを持って歩く子ども。
明るい店内放送。
レナにとっては、たぶん一番疲れる種類のざわつきだ。
「黒瀬」
「何」
「ちょっと向こう行くか」
影山が休憩スペースの奥、少し人の少ない側を指す。
レナは一瞬だけ視線を上げて、それから短くうなずいた。
「……行く」
その反応を、みずきが見逃さない。
「お、レナ休憩?」
「悪い?」
「悪くないよー。私たちも飲み物買ってくるし」
ことりが静かに言う。
「先に席、取っておきましょうか」
「いや」
レナが小さく首を振った。
「ちょっとだけでいいから」
その“ちょっとだけ”の言い方が、かなり今のレナらしい。
つばさは何も言わず、でも全部分かっているみたいな目で影山を見る。
「先輩」
「何」
「黒瀬先輩、かなり消耗してます」
「見れば分かる」
「なら、静かな方へ」
「言われなくてもそうする」
そう返してから、影山はレナと一緒に人の流れを外れた。
◆
休憩スペースの端は、通路から少しだけ奥まっていた。
観葉植物の仕切り。
壁際のベンチ。
人通りはあるが、真ん中ほどの騒がしさはない。
「……助かる」
レナは座った瞬間、小さく息を吐いた。
「そんなにか」
「そんなに」
影山も少し離れて腰を下ろす。
沈黙が落ちる。
でも、その沈黙は嫌な感じではなかった。
むしろ、今のレナに必要なのはこの“何も急かされない時間”なのだと分かる。
「飲み物買わなくてよかったのか」
影山が聞く。
「さっき買ったし」
「そっか」
「……あんたは?」
「別に急がなくていい」
その返し方に、レナは少しだけ視線を横へ向けた。
こういうところがずるい、と思う。
先回りして、ちょうどいい温度で言う。
気を遣いすぎるわけではないのに、必要なことはちゃんと分かっている。
「何」
影山が気づく。
「いや」
「その“いや”最近多いな」
「そっちも“なんでもない”多いでしょ」
すると影山が少しだけ笑った。
「お互い様か」
「たぶん」
その短いやり取りだけで、さっきまでのざわつきが少し遠くなる。
レナはベンチの背に軽く寄りかかって、前を見たまま言った。
「……こういうの」
「何が」
「人の少ないとこで、ちょっと外れて話すの」
「うん」
「最近増えたよね」
それは、かなり本質だった。
祭りの夜の公園脇。
自販機前。
影山の家の静かな部屋。
そして今、この休憩スペースの端。
レナと影山の間には、“人の少ない場所で少し本音に近い会話をする”流れが少しずつでき始めている。
「……そうだな」
影山が答える。
「前より、そういう場所の方が話しやすいし」
レナはそこまで言ってから、少しだけ眉を寄せた。
「嫌だな」
「何が」
「そういうの、自分で分かるの」
レナはもともと、何でもない顔をするのが得意だった。
面倒そうに見せて、本当に面倒なことから距離を取る。
でも最近は、それだけでは済まなくなってきている。
静かな場所で影山と二人になると、少しだけ本音が近い。
その事実が、もう自分でも分かってしまっている。
「……黒瀬」
「何」
「今、かなり本音寄りだな」
「分かってる」
レナは短く言った。
「でも、ここだと言いやすいから」
その言葉に、影山は少しだけ黙った。
レナは続ける。
「教室だと、誰かいるし」
「うん」
「祭りは祭りで、特別すぎたし」
「うん」
「家は……」
そこで一瞬だけ言葉が止まる。
影山の家。
あの静かさ。
生活の空気。
あそこは、レナにとってかなり危なかった。
「家は?」
影山が聞く。
「……落ち着きすぎた」
やっとそう言う。
それはもう、この前自販機前で一度言いかけたことの続きみたいなものだった。
「落ち着く場所、好きなんだな」
「好きだよ」
レナは即答した。
「静かなとこ、壁際、人少ないとこ」
「今その条件だいたい満たしてるな」
「だから助かってる」
そして、その“助かってる”の中に、場所だけではないものも少し混ざっていることを、レナはもう完全には隠しきれなかった。
◆
少しして、影山がふいに聞いた。
「今日、来てよかったか」
その問いはまっすぐだった。
レナは一瞬だけ息を止める。
来る前は、疲れると思っていた。
実際、疲れた。
人は多いし、みずきはうるさいし、ことりは静かに強いし、つばさは全部見てくる。
でも、それだけじゃない。
「……よかった」
レナは前を見たまま言った。
「普通に」
影山が少しだけ目を細める気配がする。
「ならよかった」
その返しが、またちょうどいい。
重くしない。
でも軽くもしない。
「……あんたさ」
レナが言う。
「何」
「こういう時、ちゃんと聞くよね」
「何を」
「来てよかったか、とか」
影山は少しだけ肩をすくめた。
「気になるから」
「そこ普通に言うの、ほんと反則」
「またそれか」
「またそれ」
レナは小さく息を吐いて、視線を少しだけ下げた。
「でも、今日みたいなの」
「うん」
「教室より危ない気がする」
影山はそこで少しだけ黙った。
「何が」
「……あんたと話す距離」
そこまで言うと、さすがにレナ自身も少しだけ頬が熱くなるのを感じる。
でも、もう引っ込める気にはなれなかった。
「静かなとこだと、余計に変に意識する」
今までなら、絶対に言わなかった類いの言葉だ。
けれどこの休憩スペースの端は、自販機前よりもっと中途半端に静かで、だからこそ少し危なかった。
「……黒瀬」
「何」
「それ、だいぶ強い」
「分かってるって言ってる」
レナは少しだけぶっきらぼうに返す。
「でも本当だからしょうがない」
影山は困ったように息をついた。
だが、逃げなかった。
「静かな場所の方が危ない、か」
「うん」
「なんか、分かる気もする」
その返答に、レナは少しだけ目を見開いた。
「分かるの?」
「家の時とか、今日とか」
そこまで言われると、逆にこっちが困る。
ちゃんと受け取られている。
それが分かるからだ。
「……あんたも、最近ちゃんと気づくよね」
「気づきたくて気づいてるわけじゃない」
「でも気づいてる」
「まあ」
短い会話。
でも、そこにある温度は前よりずっと近い。
◆
「影山ー、レナー」
少し離れたところから、みずきの声が飛んできた。
「飲み物買ってきたよー」
ことりとつばさも一緒にいる。
どうやら休憩を終えて、また五人へ戻る時間らしい。
レナは小さく息を吐いた。
「……ちょうどよかったかも」
「何が」
「これ以上長いと、もう少し変なこと言いそう」
影山が少しだけ笑う。
「今でも十分言ってるだろ」
「うるさい」
でも、そのツッコミすら少しやわらかい。
立ち上がる前に、レナは最後に小さく言った。
「あんたといると、静かな場所の方が危ない気がする」
それはさっき言った言葉の、ほとんど確認みたいなものだった。
影山はまっすぐには返さず、でも雑にも流さなかった。
「……覚えとく」
たったそれだけ。
でも、その返しで十分だった。
近寄りがたい女子は、人の少ない休憩スペースで急に本音寄りになる。
そして、その本音をちゃんと受け止められると、前より少しだけ次の言葉まで近くなる。
みずきたちの声の方へ歩きながら、レナは自分の心臓がさっきより少しだけうるさいことを、認めたくないのに認めるしかなかった。




