第79話 元気系女子は買い物になると“彼女っぽい距離”を自然に混ぜてくる
本棚の間から戻ってきた影山涼太を見た瞬間、藤宮みずきはなんとなく分かった。
――あ、静かに進んだな、これ。
朝比奈ことりは本を一冊持っている。
影山はいつもの困ったような顔をしている。
でも、その困り方がほんの少しだけやわらかい。
たぶん、また“静かな場所だと自然に近くなる二人時間”が発生していたのだろう。
「おかえりー」
みずきが言う。
「ただいまじゃない」
影山が返す。
「でもなんか、そんな感じだったよ?」
「何が」
「空気」
みずきはにやっと笑う。
ことりは少しだけ視線を伏せて、本を抱え直した。
その反応がまた分かりやすい。
「藤宮さん」
「はーい」
「そういう言い方は、少しだけずるいです」
「えー、でもほんとじゃん」
そう言いながらも、みずきはちゃんと理解していた。
図書館フロアはことりの得意な場所だ。
静かで、本があって、落ち着いた空気の中で話せる。
あそこでことりが強いのは当然で、そこに正面から張り合っても仕方ない。
だったら、自分は自分の戦い方をするだけだ。
「じゃ、次は買い物行こ」
みずきが明るく言う。
「課題本はだいたい見れたし、文房具と飲み物買いたいんでしょ?」
つばさがリストを見ながらうなずいた。
「はい。ノートと付箋、それからボールペンの替芯を見たいです」
「私は文庫本の透明カバーも欲しいです」
ことりが言う。
レナは少しだけ周囲を見回してから言った。
「私は飲み物だけでいい」
「じゃあ二手に分かれる?」
みずきが聞く。
その提案はかなり自然だった。
文房具を見る組と、飲み物を買う組。
あるいは、それぞれ必要なものの違いで少し散る。
でも影山には、みずきの目がちゃんと“ここから個別時間を作る”の色をしているのが分かった。
「……どう分かれるんだよ」
影山が聞く。
「んー」
みずきは一瞬だけ考えるふりをしてから、あっさり言った。
「影山、ちょっと文房具付き合って」
やっぱり来た。
「なんで俺」
「だって、男子目線ほしいし」
「文房具に男子目線いるか?」
「いるの!」
そう言い切る。
勢いがある。
でも、完全に勢いだけでもない。
つばさが静かに口を挟んだ。
「先輩、たしかに筆記具は使い方で好み分かれますし、見てもらう意味はあると思います」
「白鳥ちゃん、今日やさしい」
「半分くらいは」
「そこは揺るがないんだ」
ことりは少しだけ目を伏せたあと、やわらかく言った。
「私たちは、先にカバーを見てきます」
レナも短く言う。
「人少ない売り場の方行く」
つまり、かなりきれいに分かれた。
みずきと影山。
ことりとつばさ。
レナはその近くを単独寄りで動く。
偶然にしては、よくできすぎている。
◆
文房具売り場は、図書館フロアより少しだけ明るくて、でも騒がしすぎはしない場所だった。
ノート。
付箋。
ペンケース。
季節限定のデザイン文具。
整然としているくせに、どこか生活感の延長にある空間。
「ねえ影山」
「何」
「こういうのってさ」
みずきがペンを一本手に取って振る。
「なんか、地味に距離近くなるよね」
「文房具で?」
「買い物全般で」
それは、たしかに少し分かる気がした。
何が必要か。
どれが使いやすそうか。
そういう日常寄りの会話は、祭りみたいな派手さがないぶん、妙に現実に近い。
「これどう思う?」
みずきが細めのシャープペンを見せる。
「軽すぎる気もする」
「うわ、ちゃんと答える」
「聞いたのおまえだろ」
「でも影山って、こういう時ほんと真面目だよね」
みずきは笑いながら、別のペンも手に取る。
「じゃあこれは?」
「それは書きやすそう」
「なんで?」
「グリップ太いし、長時間向き」
「うわ、家庭科じゃなくて文房具でも生活力出るの何」
「意味分からん」
でも、みずきはかなり楽しそうだった。
文房具を選ぶだけ。
ただそれだけなのに、影山の“普段何を使ってるか”とか、“どういうものが好きか”とか、少しずつ生活の好みが見える。
そこがたぶん、みずきにはおもしろいのだろう。
「影山ってさ」
「何」
「こういうシンプルなの好きそうだよね」
みずきは無地のノートを指した。
「ああ」
「私、もうちょい色ある方が好き」
「知ってる気がする」
「え、分かる?」
「分かるだろ」
みずきは少しだけ目を丸くして、それから笑った。
「そういうの、さらっと言うよね」
「何が」
「“分かるだろ”ってやつ」
その言い方が妙にうれしそうで、影山は少しだけ返事に困る。
「最近、前より分かってきたし」
みずきは続けた。
「朝比奈はこういうの静かな色選びそうだし、レナは実用一点集中だし、白鳥ちゃんは絶対コスパ見るし」
「白鳥は分かる」
「でしょ?」
みずきはノートを棚へ戻して、今度は付箋コーナーへ移動する。
その歩き方が軽い。
でも軽いだけじゃない。
みずきはこういう場所で、“一緒に生活用品を見る”みたいな空気を自然に作る。
それは本当にデートっぽいわけではない。
でも、“デート未満”の距離感としてはかなり強い。
◆
「これ可愛くない?」
みずきが、少しだけ色のついた付箋を見せる。
「おまえっぽいな」
影山が言うと、みずきはぴたりと動きを止めた。
「……今の」
「何」
「ちょっと反則」
「なんでだよ」
「“私っぽい”って普通に言うの」
そう言いながらも、みずきはかなりうれしそうだ。
「だってそうだろ」
「そうだけど!」
みずきは付箋を胸の前に持ったまま、少しだけ顔を赤くする。
それからすぐに笑ってごまかした。
「じゃあこれ買う」
「単純だな」
「単純でいいの。気分上がるし」
少しして、飲み物売り場の前を通りかかった時、みずきがふいに言った。
「ねえ」
「何」
「こういう“普通の買い物”ってさ」
「うん」
「けっこう好き」
影山は一瞬だけみずきを見た。
その横顔は、さっきまでみたいな勢いの笑顔ではなく、少しだけ本音に寄っていた。
「普通の、って何」
「文房具選んだり、飲み物見たり、これどうかなって言ったり」
みずきは視線を棚へ向けたまま続ける。
「祭りとか、家で課題とかも楽しいけど」
「うん」
「こういう“デート未満”みたいなの、けっこう好き」
その言葉は、冗談っぽく逃がしていなかった。
デート未満。
つまり、ただのクラスメイトの買い物でもなく、でもまだはっきり“そう”とも言わない距離。
今の自分たちにいちばん近い言葉かもしれない。
「……みずき」
思わず名前で呼ぶと、みずきが少しだけ目を丸くした。
「何」
「最近、ほんとにその辺隠さないな」
「うん」
みずきは笑った。
「だって、最近はそうした方が楽しいし」
「楽しい?」
「影山がちゃんと困るから」
「そこかよ」
「そこも」
“そこも”という言い方だった。
全部ではない。
でも、ちゃんと含まれている。
「あと」
みずきはペットボトルを一本取って、軽く振るように持った。
「ちゃんと届く感じがするし」
その一言に、影山は少し黙った。
たしかに、最近のみずきは前より届く。
勢いだけでなく、本音が混ざっているからだろう。
「……そうか」
やっとそれだけ返す。
「うん」
みずきはそれ以上追い詰めなかった。
そういう引き方ができるようになったのも、たぶん最近の変化だ。
◆
レジへ向かう途中、ことりたちと合流した。
ことりは透明ブックカバーを手にしている。
つばさは替芯とノートをきっちりそろえていた。
レナはスポーツドリンク一本だけ持っている。
「買えた?」
みずきが聞く。
「はい」
ことりが答える。
「藤宮さんたちは?」
「かなり満足」
「文房具でそこまで満足できるのすごいな」
レナが言う。
みずきはにやっと笑った。
「影山が付き合ってくれたからねー」
ことりの目がほんの少しだけ揺れる。
つばさは静かにその一瞬を見ていた。
レナは「はいはい」という顔をする。
「何だよその言い方」
影山が言うと、みずきは肩をすくめる。
「ほんとのことじゃん」
「そういうのを盛るな」
「盛ってないよ」
でも、そのやり取りの奥で、さっき言った“デート未満みたいなのが好き”がまだ自分の中に残っているのを、みずきはちゃんと自覚していた。
元気系女子は買い物になると“彼女っぽい距離”を自然に混ぜてくる。
そして今の自分は、その距離感を前よりずっと楽しんでいる。
ただし、その楽しさが“ただのノリ”では済まなくなってきていることも、みずきはちゃんと分かっていた。




