第63話 勉強会という名目は便利だけど、便利すぎるから余計に危ない
危ない話題というのは、一度教室の空気に乗ると消えにくい。
影山涼太は、そのことを翌日の昼休みに早くも実感していた。
昨日の大掃除後に出た、部屋の話。
そこから派生した“影山の家で何かするのってありなんじゃないか”という流れ。
あれはその場の雑談で終わってほしかった。
ほんとうに終わってほしかった。
なのに今、昼休みの教室で、朝比奈ことりが委員会の資料を机へ並べながら、いかにも自然な顔で言った。
「来週までに、共同でまとめる課題がありますよね」
その一言に、影山は嫌な予感しかしなかった。
「あるな」
「それ、放課後だけだと少し時間が足りないかもしれません」
静かな声。
穏やかな言い方。
でも、この優等生がこういう切り出し方をする時はだいたい危ない。
「……朝比奈」
「はい」
「今、何を言おうとしてる?」
ことりは少しだけ目を瞬いたあと、ほんの少しだけ笑った。
「まだ何も言っていません」
「その前置きの時点でだいぶ言ってる」
そこへ、みずきが食いつく。
「え、もしかして勉強会?」
ことりはうなずいた。
「近いです。課題整理会、みたいな」
「名前だけちょっと真面目にしたね」
「勉強会だと、少しだけ直接的かなと」
「そこだけ配慮するんだ」
みずきは笑ったが、その目はしっかり前のめりだった。
影山はすでに頭が痛い。
ことりは机の上のプリントを揃えながら続ける。
「課題も、委員会のまとめも、人数がいた方が早い部分があります」
「うん」
「図書室の資料も参考になりそうですし」
つばさが入口近くから小さく反応した。
「それなら手伝えます」
早い。
早すぎる。
「白鳥ちゃん、乗るの早いね」
みずきが言う。
「必要なことなので」
つばさはそう答える。
だが、必要だからだけではないことは、今や全員が薄々分かっている。
「で、場所は?」
みずきが聞く。
ことりは少しだけ間を置いた。
たぶん一応、ここは慎重に置きたかったのだろう。
でも、次の瞬間に出てきた答えはしっかりそこだった。
「影山くんの家、という案が」
「出た」
影山が即座に言う。
「まだ確定ではありません」
「でも案として出した」
「はい」
ことりはきちんとうなずいた。
その素直さが、こういう時だけ恐ろしい。
◆
窓際で話を聞いていたレナが、露骨に嫌そうな顔をした。
「だから言ったのに」
「何を?」
みずきが聞く。
「部屋の話出したら絶対こうなるって」
「でも、かなり自然な流れじゃない?」
「自然すぎるのが危ないんでしょ」
レナの言うことはもっともだった。
委員会の資料。
共同課題。
図書室の参考資料。
全部、本当に必要な要素ではある。
だからこそ断りにくい。
「……学校でやればいいだろ」
影山が言う。
「放課後だけでまとまるなら、それでもいいと思います」
ことりが返す。
「でも、最近は終業式前で予定も詰まり気味ですし」
「それはそうだけど」
「それに、影山くんの家なら資料も広げやすいかなと」
ことりの言い方は最後まで落ち着いている。
“家へ行きたい”ではなく、“作業環境として合理的”の形を保っている。
でも、その合理性が危ないのだ。
「私、それ普通にありだと思う」
みずきが言った。
「藤宮は絶対そう言うと思った」
レナが呆れたように返す。
「だってさ、一人暮らしの部屋ってまず気になるし」
「本音出てる」
「いや課題もちゃんとやるよ?」
「そこ疑ってない。気になるの方が前に出すぎ」
そのやり取りの横で、つばさが静かに補足する。
「人数が揃うなら効率はいいです」
「白鳥、効率って言えば何でも通ると思うなよ」
「通るとは思っていません」
「でも押し材料にはしてるでしょ」
「少しだけ」
認めるな。
だが、認めるところがこの後輩らしいとも思う。
影山は机に肘をつきたくなった。
ことりは静かに理由を積み上げ、みずきは勢いで追い風を作り、つばさは合理性で囲い込み、レナだけがまともに警戒している。
なのにそのレナも、完全に反対しきる気配ではない。
「黒瀬は?」
みずきが聞いた。
「何」
「反対?」
レナは少しだけ黙った。
その沈黙がすでに答えの半分だった。
「……反対っていうか」
「うん」
「行ったら絶対、普通の課題整理だけで終わらない空気になるでしょ」
誰もすぐには否定しなかった。
教室の空気が、ほんの一瞬だけ静かになる。
「いや、ちゃんと課題やるって」
みずきが言う。
でも声の中に少し笑いが混ざっている。
それがもう、レナの言うことを裏づけていた。
「だから危ないって言ってるの」
「でもレナも来る前提で話してるよね?」
「……」
レナはみずきを睨んだ。
「揚げ足取りやめて」
「いやだって」
「やめて」
でも、その否定の弱さがまた分かりやすい。
◆
昼休みが終わり、午後の授業を挟んでも、その話題は消えなかった。
むしろ、当事者たちの中で少しずつ現実味を帯びていく。
影山は黒板を見ながら、本気で思っていた。
これはだめだ。
一人暮らしの部屋に四人。
勉強会。
課題整理。
そんなもの、普通の学園ラブコメなら何か起きる前提の舞台装置みたいなものじゃないか。
「……いや、普通にやればいいだけだけど」
小さく息の中で呟く。
だが“普通にやればいいだけ”という発想自体が、すでにかなり危うい。
みずきが家へ来たら、まずテンションが上がる。
ことりは静かな顔で空気になじむ。
レナは嫌そうな顔をしながら静かな部屋には落ち着く。
つばさは最初の五分で間取りも生活動線も把握するだろう。
そんな光景を、授業中に想像してしまっている時点で、自分ももうどうかしている。
◆
放課後になると、話は本格的に具体化し始めた。
ことりが委員会のプリントと課題一覧を持って影山の席へ来る。
みずきは当然のように隣へ寄る。
レナは窓際から動かないが、聞こえる位置にはいる。
つばさは図書室の本を抱えたまま入口で待機していた。
「今週末なら、比較的時間が取れそうです」
ことりが言う。
「土曜の午後なら部活も午前で終わる!」
みずきが言う。
「図書室も午前中で閉まります」
つばさが続く。
「なんで全員もうスケジュール出してるんだよ」
影山が本気で言うと、みずきが笑った。
「だって、決まりそうだから」
「決まってない」
「でもだいぶ寄ってるよ?」
たしかに寄っている。
そこが最悪だった。
レナがようやく口を開く。
「……私、まだ行くって言ってない」
「でも完全拒否でもない」
みずきが即答する。
「藤宮」
「何」
「そのテンションで全部押し切ろうとしないで」
「押し切ろうとはしてないって。背中押してるだけ」
「同じ」
ことりが少しだけ困ったように笑う。
「黒瀬さんが嫌なら、無理には」
「嫌とは言ってない」
レナがすぐに返す。
その返答の速さに、みずきがにやっとした。
「出た」
「うるさい」
「いや今のはかなり」
「うるさいって」
レナは耳まで少し赤い。
でもそれを隠すように視線を逸らす。
つばさが静かにとどめを刺した。
「つまり、条件次第では参加するんですね」
「白鳥もやめて」
その一言で、教室の空気が少しだけやわらぐ。
でも結論の方向は変わらない。
「……影山くん」
ことりが最後に言った。
「何」
「もし、迷惑でなければ」
その言い方は最後まで丁寧だった。
でも、やっぱり少しだけ本音が混ざっている。
“迷惑でなければ”。
それは遠慮の形をしているけれど、実際にはかなり強いお願いだ。
「課題整理、手伝わせてください」
みずきが続く。
「私も行く」
つばさが静かに言う。
「資料も持っていけます」
レナだけが少し遅れて、壁の方を見たまま言った。
「……私も、別にその日暇だし」
影山はそこで、本気でしばらく黙った。
もうほとんど決まっている。
いや、決めさせられている。
でも、完全な強制ではない。
それがまた厄介だった。
迷惑かと聞かれれば、そうでもない。
課題は実際ある。
人数がいれば進むのも本当だ。
そして、自分自身も少しだけ、その“普通じゃなさ”の先を想像してしまっている。
「……土曜の午後な」
やっとそう言うと、教室の空気が一瞬だけ止まって、それから動いた。
「よし!」
みずきが一番に声を上げる。
ことりはほっとしたように小さく息をつく。
つばさは静かにうなずく。
レナは「決まっちゃった……」みたいな顔をした。
「ほんとにいいんですか」
ことりが改めて聞く。
「今さらそこ確認するのかよ」
「大事なので」
「……まあ、課題やるなら」
「やるよ!」
みずきがすぐ返す。
「最初はね」
レナが刺す。
「最初って何」
「自覚ないんだ」
つばさが静かに言った。
「少なくとも、かなり大きな日にはなりそうです」
「そういう言い方やめろ」
影山が言うと、つばさは少しだけ笑った。
「でも本当なので」
◆
帰り際、影山は一人で廊下を歩きながら、小さく息を吐いた。
結局、決まってしまった。
ことり。
みずき。
レナ。
つばさ。
全員参加の課題整理会。
場所は、自分の家。
祭りの夜も平穏じゃなかった。
でも、あれは外の場だった。
人混みがあって、屋台があって、偶然という言い訳もあった。
今度は違う。
自分の部屋だ。
自分の生活圏へ、四人が入ってくる。
「……ほんとにやるのか、これ」
誰に聞かせるでもなく呟く。
けれどもう、後戻りはできそうになかった。
勉強会という名目は便利だ。
便利だけど、便利すぎるから余計に危ない。
その危うさを、影山は廊下の夕方の光の中で、かなりはっきり感じていた。




