第62話 一人暮らし男子の部屋の話題は、女子たちにとって危険な想像を呼びやすい
大掃除というのは、終わったあとに変な余韻を残すことがある。
雑巾の匂い。
机を戻す音。
窓を閉めたあとに教室へ戻ってくる、少しぬるい夏の空気。
そして今日に限っては、それ以上に厄介な余韻があった。
影山涼太は、自分の机へ戻って椅子を引きながら、さっき口を滑らせた一言のことを思い出していた。
好きな人の本性。
あれは失言だ。
かなりの失言だ。
もちろん、誰か一人を指して言ったわけではない。
大掃除みたいなイベントだと、普段見えない面が出る、という意味で言っただけだ。
だが、今の自分の周りでその単語はだめだろう。
明らかにだめだ。
「……なんでああいう言い方したかな」
机の脚を少し引きながら、小さく呟く。
「何が?」
すぐに聞いてきたのは、当然のようにみずきだった。
「いや、別に」
「出た」
「藤宮、それほんと好きだな」
「影山がそれ言いすぎるから」
その会話を聞きながら、ことりが机の位置を整えている。
レナは窓際のロッカーを閉めて、つばさは黒板横の掲示物のズレを直していた。
大掃除は終わった。
でも、人はまだ散らばっている。
そしてその配置が、なんとなく会話を続けやすい形のまま残っている。
そこがまた不穏だった。
「でもさ」
みずきがほうきを壁へ立てかけながら言う。
「今日、影山の家事力高いのあらためて分かったよね」
嫌な流れが来た。
影山はそう思った。
「なんでそうなる」
「だってさ、一人だけ机の持ち方とか、雑巾の絞り方とか、全部慣れてたじゃん」
「それは家でやってるからでしょ」
ことりが静かに言う。
「やっぱり、一人暮らしだと違うんですね」
その声は落ち着いている。
でも、その“違うんですね”には少しだけ興味が混ざっている。
レナも壁にもたれながら短く言った。
「台所仕事してる人の手つきだった」
「どこ見てたんだよ」
「見えるでしょ、それくらい」
つばさが最後に補足する。
「生活動線に無駄がない感じもしました」
「おまえは観察の角度が怖い」
「ありがとうございます」
「褒めてない」
だが、四人の言っていることは大きく外れていない。
一人暮らしを始めてから、家事は完全に日常だ。
弁当も夕飯も自分で作る。
掃除も洗濯も、特別なことではない。
だから大掃除程度で慌てないだけだ。
それだけなのに、どうしてこうも教室の空気が妙な方向へ転がるのか。
◆
「ねえ影山」
みずきが、いかにも面白いことを思いついた顔で聞いてきた。
「部屋ってどんな感じなの?」
「何で急に」
「一人暮らし男子の部屋って、だいたい二択じゃん」
「二択?」
「めっちゃ荒れてるか、意外とちゃんとしてるか」
レナが横からぼそっと言う。
「影山は後者でしょ」
「うん、私もそう思います」
ことりが素直にうなずく。
「机も整ってそうですし」
「本棚の分類も雑ではなさそうです」
つばさまで乗ってくる。
「おまえらな」
影山は本気で疲れた声を出した。
「なんでそんなに人の部屋の想像してるんだよ」
すると、四人が一瞬だけ黙った。
その沈黙が、逆に答えみたいなものだった。
みずきが一番先に笑ってごまかす。
「いやー、だって気になるじゃん?」
「何がだよ」
「生活感」
「その言い方も大概だな」
ことりは少し視線を落としてから、静かに言う。
「でも、少しだけ分かります」
「朝比奈まで」
「一人暮らしの家って、どういうふうに暮らしているのか想像しにくいので」
その言い方はかなりことりらしい。
直接“気になる”とは言わない。
でも、興味があることは隠しきれていない。
レナは腕を組んだまま、窓の外を見ているふりで言う。
「別に見たいわけじゃないけど」
「出た」
みずきがすぐ反応する。
「その“別に見たいわけじゃないけど”が一番見たい人の言い方」
「違うし」
「じゃあ何」
「なんとなく、想像つかないだけ」
「ほら、結局気になってる」
「うるさい」
つばさが、静かな顔のままさらに追い打ちをかけた。
「先輩の部屋、かなり整ってそうです」
「白鳥もか」
「祭りのあとから、生活圏への興味は自然だと思います」
「その言い方やめろ」
やめてくれ。
どうしてこの後輩は、そういう言葉の選び方ばかりするのか。
◆
教室の中は、大掃除直後の落ち着かないざわつきがまだ残っている。
でも、自分たちの輪だけ少し別の熱を帯びていた。
「で?」
みずきが机に浅く腰かけるみたいな勢いで身を乗り出す。
「実際どうなの」
「普通だよ」
「普通って何」
「普通は普通だろ」
「それじゃ分かんないって」
「分からなくていい」
みずきは「えー」と不満そうな声を出す。
だが、そこで引くわけがない。
「ちゃんと自炊してるのは知ってる」
「うん」
「洗濯とか掃除もしてるんでしょ?」
「してる」
「じゃあ絶対ちゃんとしてるじゃん」
「だから、普通だって」
ことりがそこで少しだけ遠慮がちに聞いた。
「冷蔵庫も、きちんとしてるんですか」
影山は一瞬だけ言葉に詰まる。
「なんでピンポイントで冷蔵庫」
「いえ、その……自炊するなら、一番生活が出る場所かなと」
それはかなり鋭い。
冷蔵庫の中は、たしかに生活そのものだ。
調味料の並び、作り置きの容器、卵の残り数、野菜の端切れ。
人に見せる前提の場所ではない。
「……まあ、たぶんそんなに汚くはない」
「へえー」
みずきが変に感心した声を出す。
「キッチン見たい」
「やめろ」
「リビングも」
「ない」
「うわ、一人暮らしワード強い」
「何なんだよほんとに」
レナが少しだけ目を細めた。
「でも、なんか分かる」
「黒瀬まで?」
「影山の家、静かそう」
その一言に、影山は一瞬だけ祭りのあと、自販機前でレナと話した時間を思い出した。
何でもない会話。
祭りの夜の続きみたいな時間。
その時もたしか、レナは“静かな場所”へ落ち着くタイプだった。
「……静かではあるな」
影山がそう答えると、レナはそれ以上何も言わなかった。
でも、その答えをちゃんと受け取った顔はしていた。
つばさが静かに言う。
「一人で回している部屋って、その人の性格がかなり出ますよね」
「また分析し始めた」
「事実です」
「じゃあ白鳥的に、俺の部屋はどんな予想なんだよ」
少し意地悪のつもりで聞く。
つばさは少しだけ考えてから、平然と答えた。
「見た目はかなり整っていて、でも机の引き出しの一段目だけ少し雑多」
「なんでそこまで具体的なんだ」
「なんとなくです」
「怖い」
みずきが笑い、ことりもつられて少し笑った。
レナだけが「それ、ちょっと分かる」とぼそっと言う。
「おまえら勝手に人の引き出しまで作るな」
◆
そこへ、掃除道具を片づけに来たクラスの男子が一言落とした。
「影山ってさ、普通に主夫できそうだよな」
影山は本気で嫌な予感がした。
「やめろ」
「なんで」
「その話題広げるな」
だが遅かった。
みずきがすぐさま食いつく。
「分かる!」
ことりも、ほんの少しだけためらったあとで静かに言う。
「……私も、少し」
レナは目を逸らしながら言った。
「否定しにくい」
つばさが最後に落ち着いた声で締める。
「生活能力の高さは、かなり魅力的です」
「白鳥、おまえそういう言い方が一番危ない」
「でも本当です」
教室の空気がまた少しだけ揺れる。
影山は、額を押さえたい気分になった。
これだ。
こうやって、一見どうでもよさそうな話題から妙なところへ転がっていく。
「……大掃除のあとの高校生の会話じゃないだろ、これ」
「えー、でも自然じゃん」
みずきが言う。
「どこが」
「だって、一人暮らし男子の部屋って普通に気になるし」
その言葉の“普通に”が、最近の教室では全然普通じゃない。
「気になるって言ってる」
レナが横から指摘する。
「うるさい」
「自分で言ったんでしょ」
「そうだけど!」
みずきは少しだけ顔を赤くしながらも、笑ってごまかそうとする。
ことりはそのやり取りを見て、静かに息をついた。
「……ほんとうに、最近みなさん分かりやすいですね」
「朝比奈もだけどね?」
みずきが返すと、ことりは一瞬だけ黙った。
それから、小さく言う。
「否定は、しません」
「うわ、強い」
つばさまで小さくうなずく。
「祭りのあとですし」
レナがぼそっと言う。
「祭り、便利ワードになってない?」
「影山の“なんでもない”よりは意味ある」
「やめろ」
小さな笑いが起きる。
でも、その笑いの奥にある熱はやっぱり前より近い。
◆
少しして、ことりがふと口を開いた。
「……影山くんの家で、何かをすることってあるんでしょうか」
その一言は、思っていたより静かに落ちた。
でも静かなぶん、教室の空気をきれいに止めた。
「え?」
みずきが一番に反応する。
「何かって?」
「いえ、その……」
ことりは少しだけ言葉を探している。
「たとえば、勉強とか。資料の整理とか。そういう、外でもできることを」
それはかなりことりらしい言い方だった。
“家に行きたい”とは言わない。
でも、“家で集まる理由”を先に置いてくる。
みずきの目がぱっと光る。
「え、ありじゃない?」
「藤宮、早い」
「だって普通に便利そう!」
レナがすぐに顔をしかめた。
「ちょっと待って」
「何」
「なんで今、その話が現実味ある空気になってるの」
「だって一人暮らしだよ?」
「だから?」
「集まりやすいじゃん」
その理屈はかなり危ない。
つばさが、妙に落ち着いた声で言った。
「たしかに、場所としては合理的です」
「白鳥ちゃんまで?」
「でも、かなり破壊力のある合理性ですね」
自分で言っておいて、その表現はやめてほしい。
影山はそこで、本気で頭痛を感じた。
まだ決まっていない。
ただ部屋の話をしていただけだ。
それなのに、どうして一気に“家で集まる”案へ飛ぶのか。
「……なしだろ」
とりあえず言ってみる。
だが、その否定は自分でもあまり強くなかった。
みずきはすぐにそこを拾う。
「今の、わりと弱かったよ?」
「うるさい」
「完全拒否ではない感じ」
「うるさいって」
ことりは少しだけ視線を落としたまま、でもちゃんと言った。
「私は、必要があればありだと思います」
必要があれば。
その一言で、自分の気持ちを全部直球にしないところが、やっぱりことりらしい。
レナは本気で面倒そうに言う。
「それ、一回決まったら絶対いろいろ起きるやつ」
「何が」
みずきが聞く。
「全部」
妙に説得力があった。
つばさはそれを聞いて、小さくうなずく。
「たしかに、かなり大きな分岐点ではあります」
「分岐点とか言うな」
影山が本気で言うと、つばさは少しだけ笑った。
「でも、先輩の生活圏に入るのは、学校や祭りとはまた別の意味があります」
その言葉が、じわっと教室の空気を熱くする。
生活圏。
部屋。
一人暮らしの家。
それはたしかに、祭りの夜とは別の意味で危険だった。
「……やっぱり平和じゃないな」
影山が小さく呟く。
みずきがすぐ返す。
「でも、ちょっと面白そう」
「その感想が一番危ない」
そう言いながらも、影山は気づいていた。
今の話題は、たぶんもう消えない。
誰かがまた、別の形で持ち出す。
勉強会か。
委員会の資料か。
夏休み前の課題か。
理由なんていくらでもつく。
だからこそ怖い。
一人暮らし男子の部屋の話題は、女子たちにとって危険な想像を呼びやすい。
そして今、その危険な想像は、たぶん自分の周りでかなり具体的な輪郭を持ち始めていた。




