第61話 終業式前の大掃除は、意外と好きな人の本性が見えるイベントらしい
終業式前の大掃除というのは、やる前は面倒で、始まると妙に慌ただしく、終わったあとにだけ少し達成感がある。
影山涼太は、朝のホームルームで担任が「今日は大掃除中心だからなー」と言った瞬間から、すでに少し疲れていた。
掃除そのものが嫌いなわけではない。
むしろ家事は日常でやっているから、雑巾がけも机運びも人より抵抗は少ない方だと思う。
問題は、その掃除の最中に発生する“自然なペア化”とか“たまたま同じ作業になる距離の近さ”とか、そういうものだ。
そして最近の自分の周りには、その“自然な距離の近さ”を普通より少しだけ特別にしてしまう相手が、四人もいる。
「……終わったな」
小さく呟く。
「何が?」
斜め後ろの席から、みずきがすぐに聞き返してきた。
「大掃除が始まる前の俺の平穏」
「大げさすぎ」
「いや、今日のメンバー次第でかなり消耗するだろ」
「自覚あるんだ」
「最近はな」
その会話を聞いていたことりが、少しだけ困ったように笑った。
「影山くん、最近そういうのを口にするようになりましたよね」
「言わないとやってられない時がある」
窓際のレナが、こちらを見ずにぼそっと言う。
「そのわりに逃げないけど」
「逃げる余地あるか?」
「ないね」
みずきが楽しそうに言う。
つばさは今日は少し遅れて教室へ来て、扉の近くから静かに状況を見ていた。
「大掃除は、日常イベントのふりをした距離感確認行事ですから」
さらっととんでもないことを言う。
「白鳥、おまえ最近ほんとそういうこと普通に言うな」
「事実なので」
やめてほしい。
でも否定しきれない。
担任が前へ立ち、役割分担をざっと告げ始める。
「机運び班、窓拭き班、ロッカー整理班、廊下側のワックス前掃除班……」
名前が呼ばれるたび、教室のあちこちで椅子の音がする。
影山は自分の名前が呼ばれた時、少しだけ嫌な予感がした。
「影山、朝比奈、窓側の机運び手伝え。藤宮は窓拭き。黒瀬はロッカー整理。白鳥は図書委員の本棚確認終わったら、余ってる班の補助入ってくれ」
見事に散った。
散ったのに、絶妙に近い。
「うわー、影山と朝比奈、静かに仕事進むやつじゃん」
みずきが言う。
「藤宮さんは、静かに進まない自覚があるんですね」
ことりが返す。
「あるよ。今日の私は窓に全力だから」
「何の宣言だよ」
影山が言うと、みずきは笑った。
レナは自分のロッカーの前へ向かいながら、短く言う。
「机、落とさないでよ」
「落とさない」
「そういう意味じゃなくて」
そこまで言って、レナは少しだけ言葉を止めた。
たぶん、“朝比奈の足元”とか“浴衣じゃなくてよかったね”みたいなことを考えたのだろう。
つばさだけが、その空気まで見ていそうな顔をしていた。
◆
机運びは、想像していたよりずっと静かだった。
教室の後ろから順番に机を持ち上げ、廊下側へ寄せる。
二人でやれば軽い。
でも、だからこそ変に会話を足さなくても作業が進んでしまう。
「こっち持ちます」
ことりが言う。
「ああ」
影山が机の片側を持つ。
ことりは反対側を支える。
それだけだ。
それだけなのに、妙に距離が近い。
大掃除という名目があるから自然。
でも、自然すぎるからこそ意識する。
「朝比奈」
「はい」
「無理するなよ」
「これくらい大丈夫です」
「下ろす時だけ気をつけろ。指挟むと痛いから」
「……はい」
ことりが小さくうなずく。
その“はい”が少しだけやわらかい。
祭りのあとから、ことりとのこういう短い会話には、前より少しだけ温度が乗るようになった気がする。
大げさではない。
でも、前みたいに完全な事務連絡だけでもない。
「影山くん」
「ん?」
「やっぱり、慣れてますね」
「何が」
「こういうの」
ことりは机を運びながら言う。
「持ち方も、下ろし方も、自然です」
「まあ、一人暮らしだしな。家で家具ずらしたりするし」
その返事に、ことりが少しだけ目を細める。
「生活感がありますね」
「それ褒めてるのか?」
「かなり」
そのやり取りが、少しだけ楽しかった。
しかもそれを、教室の向こうからみずきがしっかり見ていた。
「静か! 静かに距離詰めるのやめて!」
窓を拭きながら大声で言ってくる。
「何言ってんだおまえ」
「だってなんか、今の会話すごい自然だったもん」
「作業中だからだろ」
「そういうとこ!」
みずきは雑巾を持ったままこちらを指さす。
ことりは少しだけ困ったように笑い、でも完全には否定しない。
そこへ、ロッカー整理中のレナが横から刺してきた。
「藤宮はうるさく距離詰めるから気になるんでしょ」
「黒瀬ひど!」
「事実」
やっぱり大掃除は平穏ではない。
まだ始まって十分程度なのに、すでに面倒な気配しかしない。
◆
窓拭き班のみずきは、予想通り静かには進まなかった。
「影山、こっち雑巾ちょうだい!」
「自分の使えよ」
「こっちもう限界!」
「そんな早いことあるか?」
見れば、たしかに雑巾がかなり黒くなっている。
ちゃんと働いているのだ。
うるさいだけではない。
「……ほら」
新しい雑巾を渡すと、みずきはぱっと顔を明るくした。
「ありがと!」
「元気だな」
「こういうイベントはテンションで乗り切るの!」
「力技すぎる」
みずきは笑って、今度は窓の上側を拭こうとして背伸びした。
「届かない!」
「そりゃそうだろ」
「影山、ちょっと!」
「何だよ」
「上、代わって!」
そう言われて近づくと、みずきは当然のように場所を譲る。
その距離が近い。
雑巾を受け取る指先が一瞬だけ触れる。
みずきはそれを気にしていない顔をしているが、少しだけ笑い方が変わった。
「やっぱ背高いと便利だね」
「窓拭き限定評価やめろ」
「いやでも助かるって」
影山が上の方を拭いているあいだ、みずきはそのすぐ横で下側を拭く。
こういう“同じ作業を分担する近さ”が、やっぱり少し危ない。
「影山」
「何」
「今日さ」
「うん」
「こういうの、ちょっといいね」
「何が」
「大掃除」
「珍しいこと言うな」
「いや、面倒だけど」
みずきは窓の外をちらっと見ながら言う。
「学校のイベントって、なんだかんだ一緒に動けるじゃん」
その言い方に、本音がちゃんと混ざっているのが分かる。
ついこの前までなら、みずきはもっと冗談へ逃がしていたかもしれない。
でも今は違う。
「……まあ、そうだな」
影山が答えると、みずきは少しだけ満足そうに笑った。
「でしょ?」
そこへ、後ろからレナの声がした。
「藤宮、しゃべってる時間の方が長くない?」
「ちゃんと拭いてるし!」
「声がでかい」
「黒瀬は静かすぎるの!」
ロッカー整理をしているレナは、作業自体はかなり丁寧だった。
不要なプリントを分け、古い掲示物をはがし、使わない備品を箱へまとめている。
動きが無駄なくて、変に話しかけづらい。
でも、その静かさの中に影山は別のものも感じていた。
レナは、こういう“仕事”の場面ではむしろ落ち着くのだろう。
やることがはっきりしている方が強い。
「黒瀬、それ重そうだぞ」
影山が反射で声をかける。
レナが箱を持ち上げようとしていたのだ。
「大丈夫」
「一人で持てるか」
「持てるって」
言いながら持ち上げた箱が、少しだけぐらつく。
「ほら」
「……っ、見てたなら先に言って」
影山が近づいて反対側を持つ。
レナは一瞬だけ黙って、それから小さく言った。
「ありがと」
「どこまで運ぶ?」
「廊下の回収箱」
二人で運ぶ。
作業としてはただそれだけだ。
でも、レナとこういうふうに何かを一緒に持って歩くと、祭りのあとに自販機前で話した“何でもない会話”の続きを少しだけ思い出す。
「黒瀬って、こういうのちゃんとしてるよな」
影山が言うと、レナは少しだけ顔をしかめた。
「何、急に」
「いや、ロッカー整理」
「それ褒めてる?」
「褒めてる」
レナは少しだけ視線を逸らした。
「……あんた、ほんと普通の顔でそういうこと言うよね」
「またそれか」
「またそれ」
そのやり取りを、少し離れたところからつばさが見ていた。
いつの間にか図書室の作業を終えて、教室の補助へ入っていたらしい。
◆
「先輩」
つばさが静かな声で呼ぶ。
「何」
「バケツの水、替えます」
「助かる」
「今日はみなさん、作業しながらちゃんとそれぞれ距離を詰めてますね」
「やめろ」
即答だった。
つばさは少しだけ口元をゆるめる。
「事実なので」
「白鳥ちゃん、それ今日も言うんだ」
みずきが笑う。
「便利なので」
「認めるんだ」
ことりは雑巾を絞りながら、小さく笑った。
「でも、少し分かるかもしれません」
「朝比奈まで」
「だって、今日の作業」
ことりは少し考えてから言う。
「普段見えないところが、少し見える気がします」
その言葉に、全員が一瞬だけ黙る。
たしかにそうだった。
みずきはうるさくて明るいけど、作業になると意外とちゃんと手を動かす。
ことりは丁寧で、静かに人に合わせるのがうまい。
レナは無口だけど、整理整頓はかなり正確だ。
つばさは全体を見ながら必要なところへすっと入る。
そして自分もまた、誰かのそういうところを見てしまっている。
「……だから大掃除って面倒なんだな」
影山が言うと、みずきが吹き出した。
「そこでその結論?」
「だってそうだろ。掃除してるだけなのに、人の本性ちょっと見えるの」
「うわ、それちょっと分かる」
レナが珍しく素直に言った。
「影山も、家でちゃんとやってる感じそのままだったし」
「黒瀬、それ言うなら自分もかなりちゃんとしてるぞ」
「……別に普通」
「普通じゃないと思います」
つばさが静かに言う。
「黒瀬先輩の整理、かなりきれいです」
レナはそこで少しだけ言葉に詰まった。
「そういうの、さらっと言うのずるい」
「観察結果です」
「最近それ逃げ道にしてない?」
「してます」
つばさは即答した。
その開き直り方が少しおかしくて、教室の空気がやわらぐ。
◆
掃除の最後、教室の床がかなりすっきりしていた。
机は寄せられ、窓は拭かれ、ロッカーの中も整った。
汗は少しかいたし、雑巾の匂いもする。
でも、そのぶんだけ終わった感じはある。
「……なんだかんだ終わったね」
みずきが言う。
「ですね」
ことりが答える。
レナは窓を閉めながら小さく息をついた。
「疲れた」
「でもちょっと達成感あるでしょ」
みずきが聞く。
「まあ」
レナが答える。
その“まあ”は、かなり肯定寄りだった。
影山は雑巾を片づけながら、今日の教室の空気を思い返していた。
大掃除みたいな学校イベントは、もっとただ面倒なだけだと思っていた。
でも実際には違った。
ことりとの静かな連携。
みずきとのテンポのいい近さ。
レナとの無言でも噛み合う感じ。
つばさの冷静な全体補助。
全部が、それぞれ違う形で“近い”。
「……ほんと、意外と見えるな」
影山が小さく言う。
「何がですか」
ことりが聞く。
「好きな人の本性」
そこまで言ってから、自分で少しだけまずいと思った。
教室が、一瞬だけ静かになる。
みずきが先に反応した。
「うわ、今のかなり強い」
「いや、そういう意味じゃなくて」
「でもそう聞こえる」
レナが横から言う。
つばさだけが、少しだけ目を細めていた。
「……先輩」
「何」
「それ、かなり本質です」
「白鳥まで乗るな」
「だってその通りなので」
影山は本気で顔をしかめた。
でも、否定しきれなかった。
終業式前の大掃除は、意外と好きな人の本性が見えるイベントらしい。
少なくとも今日、自分はたぶんそれを少しずつ見てしまったのだ。
そしてその“見えてしまったもの”のせいで、今後もっと平穏から遠ざかる気がしてならなかった。




