第48話 夏祭りの夜、僕はもう“みんなに同じ”ではいられないと知ってしまった
花火が少し落ち着いたあと、影山涼太は神社脇の小道から祭りの通りへ戻りながら、自分の胸の内が妙に静かではないことを自覚していた。
静かではない。
でも、うるさくもない。
ざわついているのに、そのざわつきが何なのかまではまだ言葉にならない。
ただ一つはっきりしているのは、今夜の自分が、最初にこの祭りへ来た時よりずっと“当事者側”へ引っ張られているということだった。
みずきと最初に会った。
私服を見て、思ったより普通に見惚れた。
人混みの中で距離が近くて、あいつの“最初が大事”という理屈が妙に本気なのも知った。
ことりが浴衣で現れた時は、ほんとうに一瞬言葉が出なかった。
委員の仕事を終えて急いで来たことも、少しだけ二人で話したかったことも、静かな声のまままっすぐ伝えられた。
レナは、やっぱり少し遠回しだった。
でも、その遠回しの先にある本音はかなり強かった。
会えない祭りなら来なくてよかった、なんて、ほとんどそのままだ。
つばさは観察者の顔をしながら、花火の下でちゃんと当事者になりに来た。
観察じゃなくてよかった、なんて言われたら、もう冗談で流せる範囲ではない。
「……重いな」
誰にも聞かれない場所で、小さく呟く。
自分でも分かる。
今夜、それぞれの言葉がひどく胸に残っている。
しかも、全部同じ重さではない。
同じ種類でもない。
それが、いちばん厄介だった。
◆
祭りの通りへ戻ると、ちょうどみずきとことりがいた。
「あ、影山!」
みずきがすぐに気づいて手を上げる。
その明るさは相変わらずだが、少し前よりほんの少しだけやわらかい。
たぶん、焼きそばの列で話したことがまだ残っているのだろう。
「白鳥ちゃんは?」
みずきが聞く。
「少し向こうで花火見てる」
「そっか」
みずきは何となく察した顔をする。
ことりも同じだった。
誰が誰と少し離れていたのか。
それをわざわざ細かく確認しなくても、空気で分かる段階まで来てしまっている。
やっぱり面倒だ。
「黒瀬は?」
影山が聞く。
「さっき連絡きた」
みずきがスマホを軽く見せた。
「人混みしんどいから少し外れたとこいるって」
「ああ……」
それもレナらしい。
ちゃんと来て、ちゃんと疲れて、でも完全には帰らない。
ことりが静かに言う。
「少し、皆ばらばらですね」
「だな」
影山は素直にうなずいた。
「最初の“みんなで”はどこ行ったのって感じ」
みずきが笑う。
「最初の一時間くらいじゃない?」
「本人が言うなよ」
「だってほんとだし」
そのやり取りに、ことりも小さく笑った。
こうしてまた三人で立っている。
でも、さっきまでとは少し違う。
みずきとも、ことりとも、それぞれ別の二人時間を持ったあとだからだ。
その違いを、自分だけが知っている。
あるいは相手も知っている。
そこに、もう“みんなへ同じ”ではいられない理由がある気がした。
◆
「少し歩く?」
ことりが言った。
「まだ人多いですし、このままここにいても押されそうなので」
「それはそう」
影山がうなずくと、みずきもすぐに乗る。
「じゃあ、ちょっと裏の方行こ。屋台少ないけど歩きやすいし」
三人で通りを少し外れる。
花火目当ての人が中心へ寄っているぶん、一本裏へ入るだけで空気がかなり違う。
店も少なく、街灯の明かりがぽつぽつ続いているだけだ。
それでも祭りの音はちゃんと聞こえる。
「なんか、急に静か」
みずきが言う。
「祭りの外周って感じ」
「藤宮さん、そういう言い方うまいですね」
ことりが言うと、みずきは少し得意そうに笑った。
「でしょ?」
その二人を見ながら、影山は少し不思議な気分になる。
この二人はタイプが全然違う。
ことりは静かで、言葉を選ぶ。
みずきは勢いで動いて、でも本音の時ほど照れる。
それでも、こうして同じ場所へ立っている。
しかも自分のすぐ近くに。
「影山」
みずきがふいに言う。
「何」
「今日さ、今のところ誰が一番印象残ってる?」
「おまえ、急に何聞くんだよ」
「えー、気になるじゃん」
「聞き方が雑すぎる」
みずきは笑っている。
でも、その目の奥はちょっとだけ本気だ。
ことりは何も言わない。
ただ静かな顔のまま、少しだけこちらを見ている。
やめてくれ、と思う。
そんな質問に答えられるわけがない。
いや、答えたくないというより、答えた瞬間に何かが決まってしまいそうで嫌だった。
「……誰がっていうか」
結局、曖昧なところへ逃げる。
「みんなそれぞれ強い」
「うわ、ずるい」
みずきが即座に言う。
「ずるくないだろ」
「ずるいよ。それ一番逃げてるやつ」
ことりは少しだけ困ったように笑った。
「でも、影山くんらしいです」
「朝比奈まで」
「だって本当なので」
その“本当なので”が、いつもより少しだけ甘い。
影山はそこで、自分が考えていたことを少しだけ整理し始める。
たしかに、みんなそれぞれ強い。
でも、その“強さ”は同じ形ではない。
みずきの言葉は、勢いがあるくせに、たまに真正面から来る。
ことりの言葉は静かで、でも気づけば深いところまで入っている。
レナの本音は少ないけれど、そのぶん一つ一つが重い。
つばさの言葉は観察の形をしていて、でも最近はもう十分に個人的だ。
そして自分は、その全部を“同じように”受け取ることができなくなっている。
「……ほんとに、違うんだよな」
ぽつりと漏れる。
「何が?」
みずきが聞く。
影山は少しだけ空を見た。
花火の残り光が遠くで滲んでいる。
「いや」
そこで一度言葉を切る。
「最近、おまえらと話したあとに残る感じが、みんな違うなって」
言ってから、自分でもかなり踏み込んだと思う。
みずきが一瞬黙る。
ことりも、すぐには言葉を挟まない。
「……それ」
みずきが先に口を開いた。
「良い意味?」
「悪い意味ではない」
「じゃあまあ、よし」
みずきはそう言って笑う。
でも、目の奥ではちゃんとその言葉を受け取っている。
ことりは少しだけ視線を落としてから、静かに言った。
「影山くんも、ちゃんと変わってきてるんですね」
「それはたぶん、そうだろうな」
否定できなかった。
前なら、ここまで自分の中の違いに気づかないふりができたかもしれない。
でも今夜は無理だ。
それぞれと少しずつ別の会話をして、別の表情を見てしまったから。
◆
少し後、ことりのスマホへ連絡が入った。
「委員の子からです」
「何だって?」
「片づけの確認だけ。すぐ終わります」
ことりはそう言って、少しだけ申し訳なさそうに笑った。
「少しだけ戻ります」
「一人で大丈夫か?」
影山が聞くと、ことりはうなずいた。
「はい。ここまで来たらもう迷いません」
その返事がことりらしくて、影山は小さく「そっか」と返した。
「じゃあまたあとで」
みずきが言う。
「はい」
ことりは軽く会釈して、人の流れの中へ戻っていった。
その後ろ姿を見送りながら、みずきがぽつりと言う。
「朝比奈って、やっぱり静かに強いよね」
「おまえも言うんだな」
「そりゃ言うよ」
みずきは笑った。
でもその笑顔は、さっきより少しだけ落ち着いている。
「で、どうする?」
「何が」
「このあと。レナもいるし、白鳥ちゃんもいるし」
「……どうするも何も」
影山が言いかけた、その時だった。
遠くの方から、短いメッセージ通知音が鳴る。
みずきのスマホではなく、自分の方だ。
見ると、レナからだった。
少し人減った。戻るなら今なら平気。
それを見た瞬間、胸の内がまた少しだけざわつく。
誰かと話したあとに残る感じがみんな違う。
今まさに、それをまた重ねていくのかと思うと、ほんとうに落ち着かない。
「黒瀬?」
みずきが画面をのぞき込む。
「うん」
「戻るの?」
影山はすぐには答えなかった。
みずきはその反応を見て、ほんの少しだけ目を細める。
でもすぐに、いつもの笑い方へ戻した。
「行ってきなよ」
「え」
「今の顔、行くやつだし」
「そんな顔してるか?」
「してる」
みずきはそう言って、軽く肩をすくめた。
「大丈夫。私、さっきちゃんと二人時間もらったし」
その言葉が、思ったより強かった。
焼きそばの列でのことを、みずきはちゃんと“自分の時間”として受け取っている。
だから今は、無理に引き止めない。
そういうやり方もあるのだと、影山は少し驚いた。
「……藤宮」
「何」
「ありがと」
「うん」
みずきは少しだけ笑う。
「でも次は、ちゃんと最初から取るからね」
「そこは宣言するんだな」
「大事だから」
その返しに、影山も少しだけ笑った。
◆
レナのいる方へ歩き出しながら、影山ははっきり理解していた。
もう、自分は“みんなに同じ”ではいられない。
誰かを特別扱いするとか、誰かを選んだとか、そういう話ではまだない。
でも、誰と話したあとに胸へ残るものが同じではない時点で、完全な平等はもう崩れている。
みずきの本音は、明るい声の奥に残る。
ことりの言葉は、静かなのに深く沈む。
レナの短い本音は、数が少ないぶんだけ重い。
つばさの言葉は、観察の皮をかぶっていてももう十分近い。
「……面倒すぎる」
思わず小さく呟く。
けれど同時に、その面倒さから逃げたいだけでもない自分がいる。
たぶんもう、元の放課後には戻れない。
秘密を拾って、相談を受けて、少しずつ積み重ねてきた時間の先で、自分はもう“ただの受け手”ではいられなくなっている。
花火がまた一発、夜空で開く。
その光を見上げながら、影山は小さく息を吐いた。
「……ほんとに、戻れないんだな」
それは、今夜はじめて自分で認めた本音だった。
夏祭りの夜、僕はもう“みんなに同じ”ではいられないと知ってしまった。
そしてそのことを、たぶん誰より自分自身が一番よく分かっていた。




