第46話 近寄りがたい女子ほど、人混みではぐれたあとに本音をこぼしやすい
祭りの夜は、人の流れに飲まれるだけで少し疲れる。
黒瀬レナは、通りの端で立ち止まりながら小さく息を吐いた。
焼きそばを買いに行った影山とみずきは、さっきより戻るのが遅い。
ことりはそのことを表に出さないようにしているが、視線だけはときどき人混みの向こうへ向いている。
レナはその様子を見て、少しだけ目を細めた。
みずきが前へ出る。
ことりは静かに引かない。
自分は“別に”を盾にしているくせに、ちゃんと気にしている。
つばさが来たら、たぶんまた静かな顔で核心だけを拾う。
ほんとうに面倒だと思う。
でも、その面倒さの中心に影山がいることは、もう誰にも否定できない。
「黒瀬さん」
ことりが小さく呼ぶ。
「何」
「少し、座りますか」
ことりが指さした先には、神社脇の低い石垣があった。
立ったまま待つには少し疲れるし、人の流れもここなら避けやすい。
「そうだね」
レナは珍しく素直に答えた。
二人で並んで腰を下ろす。
浴衣姿のことりと、私服の自分。
こんな組み合わせで祭りの端に座っていること自体、少し前の自分なら想像しなかった。
「……朝比奈」
「はい」
「今日、あんた強いね」
ことりは少しだけ目を丸くした。
「何がですか」
「いろいろ」
ことりはすぐには答えなかった。
けれど少ししてから、小さく言う。
「がんばっては、います」
その返事がことりらしすぎて、レナは少しだけ笑いそうになった。
「そういうとこ」
「黒瀬さんも、今日はちゃんと来ましたよね」
「来たけど」
「それって、わりと大きいことだと思います」
レナは視線を祭りの通りへ向けたまま、ぼそりと返す。
「……あんたに言われると、変に納得するから嫌」
「すみません」
「謝るな」
その会話が途切れた瞬間、人の流れの向こうからみずきの声が聞こえた。
「戻ったよー!」
やけに元気だ。
レナはその声だけで、だいたい察した。
さっきより明るい。
つまり、焼きそばを買いに行ったあいだに何かしらあったのだろう。
ほんとうに分かりやすい。
みずきと影山が戻ってくる。
みずきは焼きそばの皿を二つ持って、かなり機嫌がよさそうだった。
影山はいつも通り少し困ったような顔だが、完全に無風でもない。
「遅かったね」
ことりが言う。
「並んでたのと、ちょっとね」
みずきが笑う。
「ちょっと何」
レナが聞くと、みずきは「秘密」と返した。
その言い方がまた、腹立たしいくらい分かりやすい。
「はいはい」
レナはそれ以上聞かなかった。
聞いたら余計に面倒になるだけだと知っている。
◆
焼きそばを四人で分ける。
紙皿と割り箸。
みずきが「ほら影山、先に取って」と言い、ことりが静かに「熱いので気をつけて」と添える。
レナはそのやり取りを見ながら、小さくため息をついた。
ほんとうに、誰も引く気がない。
でも、それでいいのかもしれないと最近は思う。
中途半端に気づかないふりをする方が、たぶんしんどい。
「黒瀬」
影山がふいに言う。
「何」
「焼きそば取らないのか」
「あ」
完全に考えごとをしていた。
レナは箸を伸ばして少しだけ取り分ける。
「……ありがと」
「別に」
「それ、俺の台詞じゃないのか」
「細かい」
みずきが吹き出す。
ことりも小さく笑う。
少しだけ空気が和らぐ。
だがその直後、通りの向こうで人の流れが大きく変わった。
花火の場所取りをしようとする人たちが、一気に神社の奥側へ動き始めているらしい。
四人の周りにも、急に人が増えた。
「うわ、何これ」
みずきが声を上げる。
「花火の移動かな」
ことりが言う。
「じゃあこっちも少しずれた方がいいかも」
影山が周囲を見る。
その瞬間、横から来た集団が思いのほか近くを抜けていき、四人の立ち位置がばらけた。
みずきはことりの方へ押され、影山は反射でレナの肩を軽く引く。
ほんの数秒のことだ。
「……っ」
レナは一瞬だけ息を止めた。
「大丈夫か」
影山が低く言う。
「……うん」
そのまま二人だけが通りの脇へ押し出される形になる。
みずきとことりの姿はすぐ近くに見える。
でも人の流れの向きが違って、今すぐには合流しにくい。
「またか」
影山が小さく言った。
「祭りってこういうのばっか」
レナはそう返したが、内心では少しだけ別のことを考えていた。
また二人きりだ。
意図したわけではない。
でも、こうして“人の流れの事故”みたいな形で、自分と影山だけの時間が生まれるのは、今夜これで二度目かもしれない。
しかも今回は、かなり静かな場所に出てしまった。
屋台通りの裏側、小さな公園へつながる道。
祭りの音は聞こえるけれど、少し遠い。
さっきまでのざわつきが嘘みたいに薄まる。
「……ここ、前に来たとこにちょっと似てる」
レナが言う。
「公園の時?」
「そう」
影山は少しだけ周囲を見た。
「人少ないな」
「その方が助かる」
レナは本音で言った。
人が多い場所は、気を張る。
誰と一緒にいるのか、どこを見ているのか、何を言ったのか。
そういうものが全部目に見える場所だ。
でも今みたいに、少し静かな場所へずれると、逆に自分の本音が出やすくなる。
それが厄介だった。
◆
公園の手前、小さなベンチが一つ空いていた。
「少しだけ座るか」
影山が言う。
レナは迷わなかった。
「うん」
二人で腰を下ろす。
少し距離はある。
でも、祭りの喧騒から切り離された静けさの中では、その距離すら近く感じた。
風が少しだけ涼しい。
遠くから屋台の音と人の笑い声が聞こえる。
提灯の灯りもここまでは届かず、代わりに街灯の白っぽい明かりが足元を照らしていた。
「……祭りって疲れる」
レナがぽつりと言う。
「だろうな」
影山が返す。
「人多いし、暑いし、うるさいし」
「いつも言ってるな」
「だってほんとだから」
「うん」
その返し方が、やっぱり楽だ。
否定もしないし、変に励ましもしない。
ただ“そうだな”と受け取るだけ。
だからレナは、その先まで少しだけ言える。
「でも」
「うん」
「今日は来てよかった」
言ってから、自分でも少し驚いた。
でも、撤回する気にはならなかった。
影山が横を見る。
「祭りが?」
「……そういう聞き方ずるい」
「何が」
「分かってるでしょ」
影山は少しだけ黙った。
その沈黙が、逆にちゃんと分かっている証拠みたいで、レナは少しだけ視線を逸らした。
「朝比奈とも、みずきとも、つばさとも、今日はみんなちゃんと来るだろうなって思ってた」
「うん」
「だから余計に」
そこまで言って、言葉が少し止まる。
なんて言えばいいのか分からない。
でも、ここでまた“別に”へ戻るのは違う気がした。
「……会えたらいいな、って思ってた」
やっとそれだけ絞り出す。
影山はすぐには返さなかった。
でも、その沈黙が嫌じゃない。
「会えたじゃん」
やがて、影山が静かに言う。
それだけなのに、胸の奥が少しだけ熱くなる。
「……うん」
「それで来てよかったなら、いいんじゃないか」
簡単に言うな、と思う。
でも、こういうことをこの人はほんとうに普通に言う。
会えたじゃん。
たったそれだけで、今夜の自分がここへ来た意味が肯定されてしまう。
「……あんたと会えない祭りなら」
レナは前を向いたまま、小さく言った。
「たぶん、来なくてよかった」
言った瞬間、少し遅れて自分の言葉の重さに気づく。
かなり本音だ。
しかも、かなりそのままだ。
影山が隣で息を止めた気配がする。
やばい。
言いすぎたかもしれない。
でも今さら引っ込めるのはもっと嫌だった。
「……黒瀬」
「何」
「それ、だいぶ強いな」
「……分かってる」
レナは少しだけ唇を引き結ぶ。
「でも、本当」
祭りそのものに強い興味があったわけじゃない。
屋台を全部回りたいわけでもない。
花火を絶対見たいわけでもない。
ただ、影山がそこにいる夜へ、自分もいたかった。
それだけだ。
そこまで理解してしまった以上、もうごまかしきれない。
「そっか」
影山の声は低かった。
茶化さない。
逃がさない。
でも重くもしない。
そのちょうどよさが、今はたまらなくありがたい。
「……何、その返し」
レナが少しだけ言う。
「何が」
「もうちょっと困るとかあるでしょ」
「困ってるけど」
「見えない」
「黒瀬も見えにくいだろ」
それは、たしかにそうだ。
レナは小さく笑った。
ほんの少しだけ。
◆
「そろそろ戻るか」
影山が言った。
「……うん」
祭りの通りへ戻れば、またみずきもことりもいる。
つばさもそのうち来るかもしれない。
この二人きりの時間は、ずっとは続かない。
でも、その短さがむしろ今はちょうどいい気もした。
ベンチから立ち上がり、少しだけ歩く。
「黒瀬」
「何」
「今日、会えてよかった」
また、それを普通のトーンで言う。
レナは本気でこの人のそういうところがずるいと思う。
自分がせっかくかなり本音を言ったあとに、同じくらいまっすぐな言葉を返してくる。
「……ほんと、あんたって」
「何だよ」
「普通にしてるのがいちばん反則」
影山は少しだけ困ったように笑った。
「最近それよく言われる」
「だろうね」
そう返しながら、レナは少しだけ肩の力を抜いた。
祭りの夜、人混みではぐれたあとに本音をこぼしやすいのは、たぶん静かな場所が近くなるからだ。
そして近寄りがたい女子ほど、その静かな場所で自分でも驚くくらい素直になる。
それを今、自分で証明してしまった気がした。
「戻ったら、たぶん何か言われる」
レナが言う。
「みずきとか」
「だろうな」
「めんど」
「うん」
「でも」
「ん?」
「今は、少しだけ平気」
その言葉に、影山は何も返さなかった。
でも返さないこと自体が、ちゃんと受け取った証拠みたいで、レナにはそれで十分だった。
祭りのざわめきがまた近づく。
通りの灯りが見えてくる。
もう少ししたら、また四人、あるいは五人の空気へ戻る。
それでも、今夜のこの短い時間は、自分の中にかなり強く残るだろうとレナは分かっていた。




