第45話 明るい子の本音は、祭りのざわめきの中で聞くと余計に胸に残る
祭りの夜は、人の流れが会話の形まで変えてしまう。
影山涼太は、それをこの数十分で何度も実感していた。
みずきと最初に会った時。
ことりが浴衣姿で現れた時。
レナが“たまたま”みたいな顔で合流した時。
どれも、学校や普段の放課後なら起きない空気の揺れ方だった。
そして今もまた、そのひとつだ。
金魚すくいの屋台の前から少しだけ外れた通り。
みずきが影山の袖を引いて、人の少ない方へ寄った。
ことりとレナはすぐ後ろにいたはずなのに、ほんの少しの人波で距離が開く。
その数歩が、また二人の時間を生んでいた。
「……ちゃんと一緒にいたいんだけど」
みずきがそう言った時、影山は本気で言葉に詰まった。
冗談ではない。
少なくとも、いつもの半分笑って半分逃げるみたいな調子ではなかった。
ちゃんと届く声だった。
だからこそ、思わず本音に近い返しが出た。
そんなふうに思ってるなら、最初から言えばよかっただろ。
言ってから、自分でも少し驚いた。
だが、みずきの顔を見た瞬間、それを引っ込める気はなくなった。
あいつはたしかに明るい。
勢いもある。
でも、本気のところほど冗談へ逃がそうとする。
だから、たまには正面から受け取ってやらないと、たぶん永遠に同じところを回るのかもしれない。
そう思ったのだ。
「……さっきより機嫌いい」
レナに言われたみずきは、「そう?」と笑ってごまかしていた。
でも、その笑顔がさっきまでと少し違うことくらい、影山にも分かる。
無理して持ち上げていた笑顔ではない。
ちゃんと、自分の気持ちが少し届いたあとに浮かぶ顔だ。
それを見て、影山は妙に落ち着かない気持ちになった。
◆
四人でまた通りを歩き始める。
だが、“みんなで”の形はもう最初の時ほどきれいではない。
立ち位置も、会話の向きも、少しずつ揺れている。
みずきはさっきより少し機嫌がいい。
ことりは静かな顔のままだが、たぶん空気の変化には気づいている。
レナは露骨に何も言わないが、何も見ていないわけがない。
影山はその真ん中で、また思う。
なんで祭りに来てまで女子同士の温度差を読む必要があるんだ。
「影山」
みずきがまた声をかけてくる。
「何」
「次、何食べる?」
「まだ食うのか」
「祭りだよ?」
「さっきからそればっかだな」
「便利だから」
そこへ、ことりが小さく口を挟む。
「焼きそばなら、少し分けやすいかもしれません」
影山はそちらを見る。
「分ける前提なのか」
「四人で一つ、なら食べすぎにならないかなと」
ことりらしい提案だと思った。
みずきの“まず楽しい方へ行く”でもなく、レナの“疲れない方を選ぶ”でもない。
ちゃんと全体のことを考えて、でもその中に“みんなで共有する時間”を作ろうとしている。
「いいじゃん」
みずきが言う。
「じゃあ焼きそば!」
「結局そこへ行くんだな」
「いい案は採用するタイプなので」
そう言ってみずきが笑うと、ことりも少しだけ笑い返した。
さっきまでの微妙な空気が、ほんの少しだけ和らぐ。
だが完全には解けない。
それぞれが、それぞれのやり方で影山といたいと思っている。
その事実がもう隠せなくなっているからだ。
◆
焼きそばの屋台はかなり混んでいた。
「うわ、並んでる」
みずきが言う。
「四人でここはきついな」
影山が周囲を見る。
たしかに通路の真ん中で固まるには人が多い。
「先に場所取っとく?」
ことりが言った。
「それがいいかも」
レナも珍しくすぐ賛成する。
「じゃあ、誰が並ぶの」
みずきが聞いた。
一瞬、沈黙が落ちる。
誰と誰が残るのか。
誰が並ぶのか。
ただの役割分担のはずなのに、その一瞬で空気がわずかに張るのが分かる。
影山は心底面倒だと思いながら、先に言った。
「俺が並ぶ」
「じゃあ私も」
みずきが即答した。
早い。
あまりにも早い。
「藤宮さん」
ことりが静かに声を出す。
「何?」
「さっきから少しだけ、分かりやすすぎます」
「えー」
「えー、ではなく」
みずきは笑った。
だがその笑い方は、前よりも少しだけ開き直っている。
「だって、今のは取りに行きたいじゃん」
「何をだよ」
影山が言う。
「二人時間を」
その場の空気が一瞬で止まる。
「おまえな!」
影山が思わず低く言うと、みずきは「ごめんごめん」と笑いながらも全然引いていない。
ことりはほんの少しだけ耳が赤くなり、レナは露骨に「うわ」という顔をした。
「……やっぱり元気系って強い」
レナがぼそりと言う。
「褒め言葉として受け取っとく!」
「褒めてない」
だが結局、焼きそばの列には影山とみずきが並ぶことになった。
ことりとレナは少し離れた場所に空きを探しに行く。
自然な流れ。
なのに、その自然さの中へそれぞれの思惑が少しずつ混ざっている。
「ほら」
みずきが並びながら小声で言う。
「ちゃんと二人きりになった」
「なってないだろ、焼きそば待ってるだけだぞ」
「祭りの屋台列での二人きりは貴重なんだよ」
「何その理論」
「経験則!」
「またそれか」
でも、さっきと違って影山も完全には突っぱねられなかった。
みずきが“二人きり”を欲しがっていることを、もう知ってしまったからだ。
◆
列は思ったより進まなかった。
鉄板の上で焼きそばが炒められる音。
ソースの強い匂い。
横から流れていく浴衣の裾。
祭りのざわめきは絶え間なく続いているのに、この列の中だけ時間が少し伸びている気がする。
みずきは最初こそ明るく喋っていたが、途中で少しだけ静かになった。
影山はそれに気づいて、横を見る。
「どうした」
「んー?」
「急に大人しい」
「そんなことないよ」
「ある」
みずきは少しだけ視線を逸らした。
「……さっきの、気にしてる?」
「何が」
「二人時間って言ったやつ」
「そりゃまあ、あれだけはっきり言われたらな」
「うわ、やっぱり」
みずきは肩を落とすような仕草をした。
でもその口元は少しだけ笑っている。
「でも、ほんとなんだもん」
小さく言う。
影山は何も返さず、続きを待った。
「みんなでいるのも楽しいよ?」
「うん」
「朝比奈も、黒瀬も、白鳥ちゃんも、嫌いじゃないし」
「うん」
「でも、その中でちょっとだけ“今、二人で話せたらいいのに”って思う時あるじゃん」
その言葉は、さっきよりずっと静かだった。
明るい調子ではない。
冗談のふりも薄い。
だから余計に、影山の中へまっすぐ入ってくる。
「今日だってさ」
みずきは祭りの灯りを見たまま続ける。
「最初は私と影山だけだったのに、朝比奈が来て、レナが来て、それでそれはそれで楽しいんだけど」
「……」
「でも、“最初に会ったの自分なんだし、もうちょい二人でいたかったな”って思った」
影山は、そこでようやくはっきり理解した。
みずきは明るい。
勢いがある。
冗談も多い。
でも、その明るさの奥にある“独占したい気持ち”みたいなものは、思っていたよりずっとまっすぐなのだ。
ただのノリではない。
ただからかっているわけでもない。
「……藤宮」
「何」
みずきがこちらを向く。
その目は、普段より少しだけ静かだった。
「それなら、最初からそう言えよ」
影山は低く言った。
「みんなで、みたいな言い方じゃなくて」
みずきは一瞬、完全に止まった。
「……え」
「言ってたら、もう少し考えた」
「何を」
「回り方とか」
影山はそこで少しだけ視線を逸らした。
「おまえがそうしたいって分かってるなら、最初からそのつもりでいたかもしれないし」
言い終わってから、自分でもかなり踏み込んだ気がした。
だが、みずきのあの静かな本音を受け取ったあとで、中途半端な返しをする方が違うと思ったのだ。
みずきはぽかんとしたまま数秒黙り、それからみるみる顔を赤くした。
「……今の」
「何だよ」
「かなりだめ」
「何が」
「そうやって普通に言うの!」
半分怒ったみたいな声。
でも、目は全然怒っていない。
「だってほんとだろ」
「ほんとでも!」
みずきは顔をそらし、でもそのまま小さく笑った。
「……じゃあ次は、最初から言うかも」
その言葉は、前より少しだけ本気の重さがあった。
影山はそれを聞いて、胸の奥が少し落ち着かなくなる。
次。
最初から。
それはもう、かなりはっきりした予告みたいなものではないか。
「おまえ、最近ほんとに冗談の精度おかしいな」
「冗談じゃないのも混ざってきたからじゃない?」
みずきはそう言って笑った。
その笑顔は、さっきまでの“少しだけ無理をした笑顔”とは違った。
ちゃんと、自分の本音を少し出したあとの顔だ。
◆
「二つねー!」
屋台のおじさんの声で、ようやく焼きそばができあがる。
紙皿を受け取りながら、影山はまだ少しだけ自分の中が騒がしいのを感じていた。
みずきは横から焼きそばを覗き込んで、「おいしそう」と笑っている。
もうさっきの赤さは少し引いている。
でも完全には消えていない。
「戻るか」
影山が言う。
「うん」
歩き出してから、みずきがふいに小さく言った。
「影山」
「何」
「今日、最初に会えたの私でよかった」
その言い方は、明るくもあり、でもかなり本音でもあった。
影山は紙皿を持ちながら、少しだけ息を吐いた。
「……そうか」
「うん」
「俺も、最初におまえだったから、祭りの空気に慣れたかもな」
返してから、また少し踏み込んだかと思う。
だがもう、今夜はそういう夜なのかもしれない。
みずきは数秒黙って、それからほんの少しだけやわらかい声で言った。
「それ、ちゃんと覚えとく」
その声が妙に胸へ残る。
明るい子の本音は、祭りのざわめきの中で聞くと余計に胸に残る。
たぶん今の影山は、それをかなり正面から受け取ってしまっていた。
ことりやレナが待つ場所へ戻る途中、影山は自分の歩幅が少しだけさっきと違うことに気づいていた。
軽いわけではない。
でも、ただ面倒なだけでもない。
夏祭りの夜は、やっぱり平穏から遠い。
そして、その遠さの中で、自分も少しずつ変わっているのだと、否応なく分かってしまうのだった。




