第44話 元気系女子は、二人きりになれなかった時間のぶんだけ笑顔が少しだけ無理をする
藤宮みずきは、祭りの夜くらい自分がずっと主導権を握れると思っていた。
思っていた、というか、そうするつもりだった。
最初に会ったのは自分だ。
私服もちゃんと見てもらった。
似合ってるとも言われた。
たこ焼きも、とうもろこしも、一緒に食べた。
人混みで少し触れて、普通に心拍数が上がって、しかも影山は相変わらず無自覚だった。
あの時点までは、かなりいい感じだったと思う。
なのに今はどうだ。
人の流れで分かれたあと、影山とことりはそのまましばらく戻ってこない。
みずきとレナは、通りの端でとりあえず合流したものの、空気は微妙に落ち着かない。
「……遅くない?」
みずきが言うと、隣でレナが小さく息を吐いた。
「言うと思った」
「だって遅いじゃん」
「祭りなんだから少しぐらいあるでしょ」
「黒瀬、それ絶対自分も気になってる言い方」
「気になってない」
「嘘」
レナは返事をしなかった。
その沈黙がいちばん分かりやすい。
みずきは焼きそばの屋台の方を見ながら、少しだけ唇を尖らせた。
ことりが悪いわけではない。
人の流れでたまたまそうなったのだろう。
むしろ、あの場でことりの浴衣の袖を気にして引いた影山は、たぶん正しい。
正しい。
でも、正しいからこそ少し腹が立つ。
「……なんかさ」
みずきが小さく言う。
「朝比奈って、ああいう時強いよね」
レナが横目で見る。
「静かなまま近いって意味?」
「そう、それ」
「分かる」
みずきは少しだけ驚いてレナを見る。
「え、そこ素直に認めるんだ」
「事実でしょ」
レナは焼きとうもろこしの屋台から流れてくる匂いに顔をしかめながら続けた。
「藤宮は前から分かりやすい。白鳥は最近前に出てきた。朝比奈は静かな顔で一番ちゃんと距離詰める」
「うわ、整理されると嫌だ」
「でもそう見える」
みずきは肩を落としたふりをした。
「私、今日かなりがんばってるつもりなんだけどなあ」
「がんばってるでしょ」
「ほんと?」
「見てれば分かる」
その返しが妙に素直で、みずきは少しだけ気が抜けた。
「黒瀬ってさ、こういう時にたまにやさしいよね」
「たまに、は余計」
「でも今のは優しい」
「別に」
その“別に”は、みずきにもよく分かる。
本当にどうでもいい時の“別に”じゃないやつだ。
だから、少しだけ気が楽になった。
レナもたぶん同じなのだ。
今、自分だけが落ち着かないわけではない。
◆
とはいえ、落ち着かないものは落ち着かない。
祭りの通りには人が多い。
浴衣姿の女子も、カップルも、友達同士の集団も多い。
誰かと少し離れた場所で話していたとしても、別におかしくはない。
それでも。
ことりと影山の二人が、今どんな顔で話しているのかを想像してしまうのは止められなかった。
ことりはたぶん、静かな声で本音を言う。
影山は困った顔をしながらも、ちゃんと受け取る。
その光景は、みずきが見ていなくても何となく想像できてしまう。
「……やだな、それ」
思わず本音が漏れた。
レナが小さく聞き返す。
「何が」
「想像つくの」
「それは分かる」
レナも短く答える。
「影山って、そういう時ちゃんと反応しそうだし」
「でしょ?」
「だから面倒」
みずきはレナを見る。
やっぱり、この人も分かっている。
全然タイプは違うのに、こういう時に感じる引っかかり方は似ているのかもしれない。
「でもさ」
みずきが言う。
「ここで待ってるだけも嫌じゃない?」
「嫌」
即答だった。
二人で少しだけ黙って、それから同時にため息をついた。
その時だった。
人の流れの向こうから、ことりと影山が戻ってくるのが見えた。
「あ」
みずきが小さく声を上げる。
戻ってきた二人は、特別に何かが変わったようには見えない。
手をつないでいるわけでもないし、距離が極端に近いわけでもない。
でも、分かる。
空気が少しやわらかい。
ことりの顔が、来た時より少しだけやわらいでいる。
影山も、言葉にはしていないが何か一つ会話を終えて戻ってきた顔をしている。
その変化が、みずきにはちゃんと見えてしまった。
「……うわ」
小さく漏れる。
レナも「まあ、そうなるよね」みたいな顔をしていた。
ことりが二人の前で立ち止まる。
「お待たせしました」
声はいつも通り静かだ。
でも、いつも通りすぎるからこそ少し違うことが分かる。
「いやー、けっこう長かったね?」
みずきは、できるだけ明るく言った。
責める感じにはしたくない。
でも、何もなかったみたいに流すのも嫌だった。
ことりは一瞬だけ目を伏せ、それから小さくうなずく。
「ごめんなさい」
「別に責めてないって」
笑う。
笑える。
でも、その笑顔が少しだけ無理をしていることを、自分で分かってしまう。
影山がその顔を見て、ほんの少しだけ眉を寄せた。
「藤宮」
「何」
「大丈夫か」
その一言に、みずきは一瞬だけ止まった。
だめだ。
そうやってすぐ気づくから、余計に無理しにくくなる。
「大丈夫だよ?」
少しだけ声が高くなる。
自分でも分かる。
影山は少しだけ疑わしそうな顔をしたが、それ以上は何も言わなかった。
ことりが横で、少しだけ申し訳なさそうにしているのも見える。
それがまた、責めにくい理由だった。
「……じゃあさ」
みずきは勢いを戻すみたいに言った。
「次、金魚すくい行こ!」
「まだ行くのか」
影山が言う。
「祭りなんだから行くでしょ!」
「さっきも聞いたなその理屈」
「便利だから何回でも使う」
わざと大きめに笑う。
空気を動かしたかった。
このままだと、ことりと影山の間にできた“少しやわらかい何か”が、そのまま場に残りそうだったから。
自分でも分かる。
焦っているのだ。
笑顔で前へ出て、いつものテンポに戻して、ちゃんと“自分の時間”も取り戻したい。
◆
金魚すくいの屋台の前は、子ども連れが多かった。
さすがに四人で並んでずっと見ているのも変なので、少しだけ端に寄る。
「やるの?」
影山が聞く。
「やる!」
みずきは即答した。
そして、店のおじさんからポイを受け取る。
「一発で取ったらすごくない?」
「無理だろ」
「影山はすぐそう言う!」
「現実的なこと言ってるだけだ」
「今日くらい夢見てよ!」
みずきはそう言って、水槽へポイを入れる。
金魚はすばやく逃げる。
当然ながら、そんなに簡単ではない。
「あーっ!」
「だから言った」
「まだ一回目だから!」
その横で、ことりが少しだけ笑った。
レナも口元だけで笑っている。
よし、と思う。
この感じだ。
ちゃんと笑える。
空気を戻せる。
みずきはポイを持ったまま、振り返って影山を見る。
「影山、ちょっとしゃがんで」
「何で」
「見にくいから!」
「それ俺のせいか?」
「私の金魚すくい見ててよ!」
その言い方は、半分冗談で、半分本気だった。
影山は少しだけ呆れながらも、結局しゃがんで水槽の近くへ視線を落とす。
「ほら、あの赤いやつ」
「どれだよ」
「今いた!」
「分からん」
「ちゃんと見て!」
そのやり取りが、少しだけ二人っぽい。
みずきはそれを自覚しながら、今度はちゃんと集中した。
ポイを静かに沈めて、金魚の動きに合わせる。
すくうというより、下から持ち上げるように。
「……っ」
そっと持ち上げる。
小さな赤い金魚が、一瞬だけポイの上に乗った。
「お」
影山が声を漏らす。
でも、次の瞬間にはするりと逃げた。
「うわー!」
みずきが本気で悔しがると、影山が少しだけ笑った。
「惜しかったな」
「今の惜しかったよね!?」
「まあ、さっきよりは」
「うわ、そこはもっと褒めるとこ!」
「じゃあ、がんばったな」
「雑!」
でも、その“がんばったな”が少しだけうれしい。
祭りの夜の中で、こういう小さな会話を積み重ねたい。
たぶん自分はそう思っている。
◆
金魚すくいのあと、人の流れがまた少し変わった。
花火の時間が近づいているのか、中心の通りへ向かう人が増えている。
さっきより歩きにくい。
みずきは自然な顔で影山の袖を軽く引いた。
「こっち」
「ん?」
「人少ないとこ寄ろ」
影山は特に疑わず、そのままついてくる。
ことりとレナも後ろから来ているが、通路の狭さのせいで少し距離が開いた。
ほんの数歩。
でも、その数歩が大事だった。
「……ねえ」
みずきが少しだけ声を落とす。
「何」
「今日さ」
「うん」
「ちゃんと一緒にいたかったんだけど」
言ってしまった。
冗談の形を借りきれなかった。
でも今さら引っ込めたくもない。
影山が少しだけ足を緩める。
祭りの音が近い。
人の流れもある。
だからこそ、この小さな会話は逆に外から見えにくい。
「……いるだろ、一緒に」
影山が言う。
「そうじゃなくて」
みずきは笑う。
でも、少しだけその笑顔が揺れる。
「みんなでいるのも楽しい。でも、私だって今日、ちゃんと一緒にいたいんだけど」
それはかなり本音だった。
さっき、ことりと影山が戻ってきた時のやわらかい空気が、まだ少し胸に残っている。
だからこそ、自分もちゃんと言いたかった。
明るく。
でも本気で。
影山は、少しだけ困ったように目を細めた。
その顔を見ると、本気で言葉が届いたのだと分かる。
「……藤宮」
「何」
「そういうの、祭りの最初に言えよ」
一瞬、意味が分からなかった。
祭りの最初に。
つまり今のは、“もっと早く言えばよかったのに”という意味だ。
「……は?」
「いや、だから」
影山は少しだけ視線を逸らす。
「そんなふうに思ってるなら、最初から言えばよかっただろ」
みずきは完全に固まった。
心臓が跳ねる。
それはつまり、言えばちゃんと受け取る、ということではないのか。
「……今の」
やっと声が出る。
「かなりずるい」
「なんでだよ」
「なんでじゃないでしょ!」
みずきは半分本気でそう言って、でも最後には笑ってしまった。
だめだ。
これはだめだ。
さっきまでの少し無理した笑顔とは違う。
今はちゃんと、うれしくて笑っている。
「影山ってさ」
「何」
「ほんと、こういう時だけ反則」
「意味分からん」
「分かんなくていい!」
そのやり取りの少し後ろで、ことりとレナが追いついた。
みずきはすぐに顔を作る。
でも、さっきまでとは違う。
今度の笑顔は、少しだけちゃんと自分のものだ。
「何かあった?」
ことりが静かに聞く。
「んー?」
みずきはわざと首をかしげる。
「別に?」
レナがじっとこちらを見たあと、少しだけ目を細めた。
「……さっきより機嫌いい」
「そう?」
「分かりやすい」
みずきは肩をすくめた。
たぶんもう、隠しきれていない。
でも、それでもいいと思えるくらいには、さっきの一言が大きかった。
元気系女子は、二人きりになれなかった時間のぶんだけ笑顔が少しだけ無理をする。
でも、そのあとで少しでも自分の時間を取り戻せたなら、またちゃんと笑えるのだと、みずきはこの夜はじめて知った。




