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放課後、秘密を拾ってしまった僕はなぜか美少女たちの相談役になった件  作者: 常陸之介寛浩✪書籍・本能寺から始める信長との天下統一


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第43話 浴衣の優等生が近くにいるだけで、夏の夜はたぶん少し危ない

 人混みというものは、ほんの数秒で景色を変える。


 さっきまで四人で並んでいたはずなのに、気づけば影山涼太の隣にいるのは朝比奈ことりだけだった。

 後ろの方にみずきとレナの姿は見える。

 声も届く。

 でも、提灯の明かりと人の流れのあいだで、一度切れた距離はすぐには戻らない。


「大丈夫か」


 影山が言う。


「はい」


 ことりは小さくうなずいた。

 その声は落ち着いている。

 だが、ほんの少しだけ呼吸が浅いのが分かる。


 浴衣は人混みと相性が悪い。

 袖も裾も、普段の制服や私服よりずっと周囲へ気を配らなければならない。

 だからさっき影山が反射的にことりを引いたのも、当然といえば当然だ。


 当然のことなのに、今はそれが妙に意識に残っていた。


「少し、人の少ない方行くか」


 影山が通りの端へ目を向ける。


「……はい」


 ことりも素直に従う。


 祭りの中心から少し外れた神社脇の細い道へ入ると、空気が一段階だけやわらいだ。

 人はまだいる。

 でも屋台のど真ん中ほどではない。

 提灯の灯りも少し遠くなって、代わりに夏の夜の湿った匂いが近づく。


「下駄、大丈夫か」


 影山が聞く。


「まだ少し慣れないですけど、歩けます」


「ならよかった」


 その会話だけで、ことりは少し安心した。


 影山くんは、こういう時に余計なことを聞かない。

 怖かったか、とか、焦ったか、とか、そういう感情そのものは掘らない。

 でも困っている部分だけはちゃんと見ている。


 そこが、この人のやさしいところだと、ことりはもうかなり知っていた。


     ◆


 神社の脇には小さな腰掛けがいくつか置かれていた。

 祭りの人の流れから少しだけ外れた場所で、涼みに来た人が座るためのものだろう。


「少し休むか」


 影山が言う。


「いいんですか」


「無理して戻ってもまた流れるだろ」


 たしかに、その通りだった。


 ことりは小さくうなずいて腰を下ろした。

 浴衣の裾を軽く整え、帯の形が崩れていないかだけ確認する。

 その動きを、影山が少しだけ見てから視線を逸らしたのが分かった。


 その一瞬の反応が、ことりには少しだけうれしい。


「……今日は、最初から大変ですね」


 ことりが言うと、影山は少しだけ苦笑した。


「まだ前半なのにな」


「はい」


「みずきとレナ、あとで文句言いそうだな」


「少しだけ、そうかもしれません」


 ことりは小さく笑った。


 でも、それを怖いとは思わなかった。

 むしろ今は、こうして二人きりになれたことの方が大きい。


 ほんとうは、最初から少しだけそうなれたらと思っていた。

 もちろん、祭りの最初から露骨に二人で回りたいわけではない。

 みずきもいるし、レナも来ると分かっていた。

 つばさもたぶん後で合流する。


 だから“みんなで”でいい。

 そう思っていた。


 でもその“みんなで”の中でも、少しだけ、二人だけの時間がほしかったのは本当だ。


「影山くん」


「ん?」


 ことりは少しだけ指先を組んだ。


「本当は」


「うん」


「最初から、少しだけ二人で話せたらと思っていました」


 言えた。


 思っていたより、声は静かだった。

 でも静かなぶんだけ、かなり本音に近かった。


 影山はすぐには返事をしなかった。

 提灯の赤っぽい光が少し遠くで揺れている。

 祭りのざわめきも、ここではやわらかく聞こえる。


「……そっか」


 やがて、影山が小さく言った。


「はい」


「なんで」


 ことりは少しだけ視線を落とした。


「みんなでいるのも、嫌ではないです」


「うん」


「でも、ちゃんと来て、ちゃんと会えて、それで終わるのは少しだけもったいない気がして」


 そこまで言ってから、自分でも顔が熱くなるのを感じた。


 かなり言っている。

 普段の自分なら、ここまで素直には言わない。


 でも祭りの夜は、少しだけ人を素直にするのかもしれない。


「……朝比奈って、たまにそういうとこあるよな」


 影山が言う。


「どういうところですか」


「静かな顔して、急に近いこと言う」


 ことりは思わず小さく笑った。


「影山くんほどではありません」


「俺?」


「はい」


「何したっけ」


「さっき、“すごく似合ってる”って言いました」


 影山が一瞬だけ言葉に詰まる。

 その反応が、ことりにはかわいく見えてしまう。


「……聞かれたからだろ」


「そうですけど」


「だから何だよ」


「うれしかったです」


 ことりはまっすぐ言った。


「すごく」


 今度は本当に、影山が黙った。


 その沈黙が長く感じる。

 でも、嫌な沈黙ではない。

 むしろ、自分の言葉がちゃんと届いていると分かる静けさだった。


「……朝比奈」


「はい」


「今日の浴衣、ほんとに似合ってる」


 もう一度、言われた。


 今度は、人混みの中でもなく、みずきの茶化しもなく、誰の視線もない場所で。


 ことりは少しだけ息を止めた。

 胸の奥が熱くなる。

 祭りの夜の空気が急に近くなる。


「……ありがとうございます」


 やっとそれだけ返す。


 たぶん今の自分は、かなり分かりやすい顔をしている。

 でもそれでもよかった。


「色も」


 影山が少しだけ言葉を探しながら続ける。


「朝比奈っぽい」


「それ、この前も言ってましたね」


「そうだっけ」


「小物屋さんで」


「ああ」


「……覚えていてくれたんですね」


 ことりが言うと、影山は少しだけ肩をすくめた。


「まあ、あれくらいは」


 その言い方も、やっぱりやさしい。

 大げさに“もちろん”とは言わない。

 でも、ちゃんと覚えている。


 だからうれしい。


     ◆


 しばらく、二人で黙って祭りの音を聞いていた。


 遠くで誰かが笑っている。

 焼きそばの匂いが風に乗って流れてくる。

 境内の方では小さな子どもが走る音がした。


 その全部が、少しずつ“今この瞬間”の輪郭になっていく。


「……来てよかったです」


 ことりがぽつりと言った。


 影山がそちらを見る。


「委員の手伝い、終わったあと、少しだけ迷いました」


「迷った?」


「はい。もう、人も多いだろうし、みなさん一緒かもしれないし」


「うん」


「でも、それでも来てよかったです」


 ことりは少しだけ笑った。


「すごく」


 その言葉は、さっきよりもっと静かだった。

 でも静かなぶんだけ、深く残る。


 影山はすぐには返事をしなかった。

 少しだけ目を伏せて、それから低い声で言う。


「俺も」


 ことりは思わず目を上げた。


「え」


「朝比奈が来てくれて、よかった」


 今度は短い。

 けれど、その短さが逆に本気だった。


 ことりは自分の指先を少しだけ握りしめる。


 それ以上の言葉はいらなかった。

 今日ここへ来て、浴衣を着て、委員の仕事を終わらせて、少しだけ勇気を出して。

 その全部が今、ちゃんと報われた気がした。


「……影山くん」


「ん?」


「こういうの、ずるいです」


「何が」


「そんなふうに言われると、また来年も頑張って来たくなるので」


 影山が少しだけ笑った。


「来年も委員やるのか?」


「それは分かりません」


「だろうな」


 そのやり取りが、少しだけおかしくて、二人で小さく笑った。


 風が少しだけ涼しくなる。

 神社の木々が揺れて、提灯の灯りがまた少し遠く見えた。


     ◆


「そろそろ戻るか」


 影山が言った。


 ことりは一瞬だけ迷ったが、うなずいた。


「はい」


 ずっとここにいるわけにはいかない。

 みずきもレナもいる。

 つばさもそのうち来るかもしれない。


 でも、戻る前に一つだけ伝えておきたかった。


「影山くん」


「ん?」


「今日のこと、たぶんしばらく忘れないと思います」


 ことりは立ち上がりながら言った。


 影山は少しだけ驚いたような顔をしたが、何も茶化さなかった。


「……そうか」


「はい」


「俺も、たぶん」


 それだけ返ってくる。


 その“たぶん”の曖昧さまで含めて、影山くんらしいと思った。


 神社脇の小道から、もう一度祭りの通りへ戻る。

 人の流れと灯りの中へ戻る前に、ことりは一度だけ振り返るような気持ちで、今の時間を心へ刻んだ。


 浴衣の優等生が近くにいるだけで、夏の夜はたぶん少し危ない。

 もし影山がそう思ったのだとしたら、ことりの方もまた同じだった。


 静かな場所で二人きりになるだけで、こんなにも心が近くなる。

 それを知ってしまった夜だった。

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